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問いを問う

スゲーことに気づいてしまった。
いやそんなにスゴくないかもしれない。
この現代、パソコンのタイピングを
ブラインドタッチできる人は多いと思う。
社会不適合者超現実珍談士
サルバドール・ヱビも
誰かに習ったわけでもなく
ブラインドタッチがいつの間にか
できるようになっている。
さてここで唐突に
「パソコンのキーボードの
アルファベットの配列を
左上から順に書いて」と言われたら
アナタは書けるだろうか?
多くの人はあいっ!?となるだろう。
頭の中でキーボードは思い浮かべても
そこに書いてある文字までは
覚えてない人が多いのだろうと思ふ。
さあ次にこう聞かれたらどうだろう。
「サラダって頭の中で打ってみて」
タイピング慣れしている人は
左手だけでその文字を
打てたのではないだろうか?
おそらくどんな単語を言われても
ほとんど問題なく指が動くだろう。
コレはすごいことである。
コレは「問い方」で出力が
全く変わってしまうことを示唆している。
「配置を思い出して」だとムリゲーだ。
「◯◯と打って」だと簡単だ。
タイピングに限ったことではなく
人はそれぞれ色々な能力を
豊富に備えているが
「問い方」の違いで
出力がつまり成果が
大きく異なってしまうわけである。
今回の目的が仮に
「キーボードの配置を思い出す」であったら
単語を打ってと何回も問えば
徐々にその配置が明らかになっていくので
問い方を変えれば目的は完了できる。
人は死ぬまでに色々なことを
他者に問うだろう。
自分の問い方が最適であったかの吟味は
人生において極めてジューヨーで
ジューシーだと思った次第である。
「問い」を変えれば解決できる問題はある。
オマラカウィー!!!!!

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