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残業ゼロの会社を目指す理由

30年前の広告代理店の制作部時代は毎日帰るのは2時から明け方。週1日は泊まり。月8日の休みのうちに6日位は出勤していたと思います。有給も代休も使った記憶がないです。当時はテレビも見た記憶がないです。

ピンクレディが売れっ子のときに平均睡眠時間が3時間と言っていましたが、私はそれよりは寝ていなかったような気がしています。売れっ子の漫画家アシスタントみたいな暮らしでした。終わらないと帰れない。それだけの理由の残業でした。

会議室に仮眠ベッドもあったし風呂屋セットも総務の方が用意してくれていました。夕方になると疲れてくるので毎日隣のクリニックで点滴を打っていました。打っている時間が勿体ないので、点滴の棒のガラガラをひいて会社を歩いていました。

そんな数年間を過ごした私が言えるのは過剰労働は仕事の質が落ちるということです。「過労死」とか「残業時間」という概念が全くなく、私が国が決めた残業時間があると知ったのは社長になってからのことだと思います。偉いおじさんたちは残業しているとお寿司をよく差し入れしてくれました。「ごめんね」って言いながら。

また制作の現場は出勤にルーズな同僚が多く夕方から会社に来ているのに忙しいという人もたくさんいました。それも少し違うなあと思っていました。私は朝は定時に来ていました。クライアントから連絡が入るからです。携帯もメールもない時代は席にいることが大切だったのです。クライアントは定時で始まるのに、パートナーである企業のスタッフが自由出勤は違うなあと思いました。

その頃は寝ていない頭で何を考えてもいいアイデアが浮かんでこないし、効率も悪いし、疲れているし、クライアントから怒られるしこんな暮らしから抜け出しだいと思っていました。仕事中にたまに気を失っていましたがあれは失神という心不全だったんだと、最近循環器の医師から教わりました。何度か駅のホームから線路に落ちそうになったりしてこのままだと死んじゃうなあと思って転職を決意しました。

やらされていると感じている仕事、小手先でこなしていた仕事、間に合わせるだけの仕事ばかりしていました。その時は、クライアントとってベストは何なのかを考えずに目の前のことに精一杯でした。

その後PR会社に転職。それからは今までの反省を活かしてお客様がやりたいことを日々カタチにしていく、数字にしていく楽しさを知りました。そして時間通りに終わるように仕事をするようにしました。そうしたら全てが変わりました。寝て食べて働くをきちんと毎日やったら別人になり、全てが穏やかになりました。

スタッフは親御さんから預かっている大切な宝物。仕事を通じて成長はしてほしいですが大変な思いをさせたくないといつも思っています。ご飯を食べるように布団で寝るように自然に仕事ができますように。今後も限りなく残業ゼロを目指します。初任給は30万にしました。都内で暮らしながら働くにはそのくらいは必要だからです。

新卒に信じられないノルマをかけてサバイバルさせて使い捨ての採用を繰り返す大企業。ベンチャーだからが口癖の毎晩徹夜作業が当たり前の企業もあります。そんなところで40代までは働けません。そこは早めに卒業してよいと思います。幸せに健康的に働いてくださいね。


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