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会社から卒業を決める時

25年以上勤務した代理店を卒業された方と話しました。卒業理由は仕事は偉くなればなるほど全て丸投げ。何も生まない人や何も考えていない人が担当になり自分で解決するのではなく、誰かを連れてきますというのを繰り返すことは正しくないと感じたからだそう。
いつもいつも、外注先でできそうな会社やできそうなヒトをコーディネイトするだけ。自分の意見やこうなりたいは無し。偉くなったら部下がやるのを見届けるだけでは、何も生まない人になると危機感を感じたそうです。
自分で考えずに悩まずに汗もかかないで、企画書も外注。媒体も外注。実務も外注。進行管理費だけが利益。

愛想はよいし、人も良いが、仕事は人がやるべきと信じて疑わない酒ばかり飲むOBに囲まれて、自分も定年までいたら何も生まない一員の仲間入りをしてしまうと気がついて卒業を決意したとか。今はイキイキと次の道を探しておられます。役に立つために自分の手足と知恵で仕事をしたいと思ったそう。

私の同世代もたくさん引退を決めています。早くから偉くなり現場をやっていなかった人が、引退したあとなんとなく繋がりだけで働こうとしてもうまくいかないことも。以前の収入や地位にしがみついたり奢っていたらなおさらです。45歳を過ぎたら偉そうにしないでむしろたくさん現場をやった方が良いと思います。

私は30年近く前に多くのものを作っていても「役に立っている」実感がつかめなかったのです。納品したあとも「なんでこれやっているんだっけ」ってクライアントに聞かれ答えられませんでした。
たまに予算を遣うための仕事みたいに感じるときがありました。続いてる定期刊行物だからとめないように発刊しているという日々でした。
折角作っているのに、折角発信しているのに何を伝えたいのか、何を変えたいとか、何をやりたいかではなくクライアントの経営陣が怒らないものを作るをこなすことで必死でした。そこは卒業しました。

今もどこかで「何もできない無力感」「このままでいいのか不安」「自分で何を生めるのか疑問」と闘っておられる方はいると思います。そこに自分の力ではどうにもならない慣習という魔物がいることもあります。

古い慣習はなかなか自分だけでは打破できません。考えるを外注したら、自分には何も残りません。古い慣習そのものが悪しき習慣だと気がつなかい人が多いから。組織に馴染むとは当たり前を当たり前と受け入れていくチカラ。だから卒業は自分で決めるべきです。残る決断も含めて私は全ての決断を応援します、
私は正しくサービスをしたいと思い独立しました。独立してよかったです。



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