ドラマの中の筆跡⑥誤解されたままの男『関ケ原』の石田三成
私は石田三成については小説『影武者・徳川家康』(愛読書の一つ)から
良い印象を持っている。だいたい敗者は悪者にされるものだが、
明智光秀と石田三成、この二人は本当に気の毒なぐらい悪者にされてきた。
しかし、この二人は「頭脳明晰・公明正大・忠義報恩」の人なのだ。
映画『関ヶ原』では三成が有能な能吏として活躍していた事務室が
見られる。ここで、三成は机上の空論を繰り広げることになった合戦に
同盟してくれという手紙を何十通も書いたと思うと胸が詰まる。
モチロン、これだけ机が並んでいて、書くためだけに雇われている
祐筆という職業の人が「同じ手紙を書き写し」最後に三成が
サイン=名前を書いて花押を書く、という「手書き時代の複写法」。
これは「写経」「聖書」も同じ方法でずっと続けられてきた
人間コピー機ともいえる方法。
けれども手作業の中から美術品として今なお大事にされている
「消息」「装飾文字聖書」が世界中にたくさんある。
今回、私が扱うのは何も三成が達筆だったという話ではない。
石田三成は旗印に「大一大万大吉」と書いた。
あなたはあなたの揚げる旗になんと書く?
私は迷うなぁ。
ともかく、三成の言う「大一大万大吉」とは、
「1人が万人のために、万人が1人のために尽くせば、
天下の人々は幸せになれる」ということなんだって。
この旗印は三成の直筆がたくさん残っているけれど、
今回は初めて自分の旗印を決めるシーンがあったので拝借した。
大という字を見てみよう。
あれだけ冷たい金勘定と計算ばっかりいている男と言われたが、
どうしてどうして、この長い太い右ハライには
「情緒があって、感情的で、過去に捉われる、未練たっぷり」が
現れているの。
そして「大」の横棒、「吉」の横棒ともにフラットで
右上がりとは言えない。
「公平で・野心家ではない」所があるのね。
横線の左右突出も見られないから「才能をひけらかすタイプでもない」
そして「大」の左ハライに続く縦線。
素直にエイッと伸び伸び書いているの。
私は何度も「なぞり書き」して三成がどう書いたかチェックしました。
「一」も「大」の下に収まっちゃっていて、なんというか、この時、
つまり初めて西軍の大将として立つときに頭は計算してるから
理性で人数があるから大丈夫。
と思いながらも晩年の秀吉の朝鮮出兵で大名たちを極度に疲弊させたこと、
もはや徳川の財力には敵わないかもしれないという漠然とした
予感があったのかもしれない。横線が弱すぎるのね。
だけど、自分自身が秀吉の御恩に報いたいという感情に
支配されているとは思ってもいなかったかもしれません。
字には「大」の右ハライとして3度も「過去への未練と執着」に
囚われている「大人情家」なのにね。
実は三成贔屓。
土壇場でみんなに裏切られてどんなに辛かったか!
だけど、死ぬまで美しく生きたよね。死刑の前の市中引き回しの際の
エピソードですが、喉が渇いた三成が「水飲みたい」って言ったら
「柿ならある」といわれるの。
私は罪人を引き回す役人だって鬼じゃない、自分が持っている干し柿を
せめて最後に分けてあげようと思ったんじゃないか、と思うの。
でも、そこが三成の美学というか、空気が読めないのが最後までなのか
「それなら体冷やすからやめとくわ。」って、アホか!
とも思うけど、凄い精神力だと思うよ。ステキ!
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