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練習しないヤツに優勝する資格なし!

今日の一言はアンドレ アガシ

王者の一言の重みってありますよね?学校の先生が漢字10回書けというのとはおのずとニュアンスが違います。

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練習以上のパフォーマンスはできないとしみじみ思うこの頃です。

今思えば精神論じゃなくて脳に叩き込む方法の一つとわかっている。脳が受け入れるまで書くことでインプット。王道の反復練習ですね。演奏家も芸術家もアスリートも、死ぬほど練習して檜舞台に上がっているんだものね!そういう努力のドキュメンタリーなんか見ると勇気づけられます。

故障・ケガに泣いた選手が復活するまでのストーリーなんか「もらい泣き」してしまうほど心に響くのね。

ですからアガシの言葉は「これほど練習してきたから優勝できるんだ」という自信の裏返し。今はメンタルだとかイメージトレーニングだとかが勝つためのハウトゥに重要ですがアガシの時代はどうだったでしょう?

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「練習しないヤツに優勝の資格なし!」と言い切るほどやり切って試合に臨む。常に自分のできる最高プラス「アルファ」をしてきたからこその一言です。

それに比べて何のとりえもない私、人並みにお稽古には「親の望み」とか「世間の価値観」でいったけれど、情熱を注げるものはなかったようです。

学校も好きではありませんでした。子供の頃、学校の先生が漢字ドリルの宿題をノートに10回書け、と言ってた。勉強も好きではなかったですね。本を読むのだけが好きでした。漢字も知らなくても前後の文脈で想像してなんとかストーリーは追えますものね。

しかし、練習が大事だとわかってきたのは50代を迎えてから。なんともスロースターターというか「いい加減な人生」とも言えます。お恥ずかしい限り。50歳になったら再開しようと思っていたことに色々と取り組み始めました。例えば茶道とか三味線(続けていてもダラダラ稽古だったの)そうすると、練習だけが力をつけるという「当たり前のこと」を心にとめるようになる。真剣に立ち向かおう、と大げさにも思ったりして決意はその都度高まるの。

よく世の中で言われるように「夢や目標」を持つと、自分に近い人に「ドリームキラー」が表れるといいますよね?私の場合も「ドリームキラー」が現れましたよ!ナントそれは母!「50過ぎて手習い?時間の無駄よね」とか「そんなことして何になるの?暇つぶしでしょ?」とグサグサ胸に刺さることを会うたびに言うのね。その暗にいうところのヴァリエーションたるやスゴイんです。

「三味線って音がうるさいからご近所に迷惑なんじゃァないの?」「今日はまたヘンな着物着て出ていったものね!センス悪!」とか「お茶の先生なんてお道具代がかかるだけでしょ?」「あそこの誰々さんが言ってたわ、娘さん着物着てしょっちゅうお出かけしてるけど水商売?って私恥ずかしいわ」ときりがない。

母の場合は「そんな時間があったら私を喜ばせることしなさいよ行きなさいよ」という感じの「構って欲しい」欲求だとわかるのですが、嫌みを言われ続けると親孝行も愛という名の義務になっちゃうの。この心の葛藤が私のキャリアのスタートになったのだからソレは感謝してる。(笑)

数々のジレンマと時間のやりくりをして「練習」時間をひねり出しているのですが、練習しなきゃとわかっていても辛いよね!練習ナシで上手になれないものか?とイメージトレーニングどうかな?と甘ったれたことも頭をよぎります。



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