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髙田徹編著『城郭がたどった近代』を刊行します

 4月の新刊、髙田徹編著『城郭がたどった近代ー軍営・官公庁・公園・観光地への転換』(戎光祥近代史論集第4巻。A5判・並製・458ページ。定価5,800円+税)が刷り上がってきました。

 本書の目次は下記の通りです。

【目次】
総論 近代における城郭の軍事性  髙田 徹

第一部 近世から近代への転換
Ⅰ 近世城郭の近現代史――その継承と断絶について  佐々木孝文
Ⅱ 城郭と観光  森山英一

第二部 近代における地域の実情
Ⅰ 近代における旧仙台藩の支城群に対する認識変化  太田秀春
Ⅱ 名古屋城と近代――御深井丸と乃木倉庫を中心に  朝日美砂子
Ⅲ 大垣城天守の近代  野中勝利
Ⅳ 公園化以前の和歌山城――陸軍による管理と旧紀州藩士族の動向  大山僚介
Ⅴ 近世城郭の史蹟指定と地域社会――姫路城を事例に  竹内 信
Ⅵ 昭和初期における「姫路城三ノ丸城址復旧計画」と大手門の復興  工藤茂博
Ⅶ 軍用地としての熊本城と都市の近代化  美濃口紀子

第三部 古代・中世・織豊期城郭の近代と要塞
Ⅰ 古代城郭研究の黎明期  向井一雄
Ⅱ 近代における旧尾張国の中世城館――その変容を中心として  髙田 徹
Ⅲ 安土城の近代  松下 浩
Ⅳ 日本の近代要塞――東京湾要塞を例に  坂井尚登


 編者の髙田徹先生による「はしがき」の内容が、本書刊行の意図、内容等を的確に表現していますので、以下、転載いたします。ぜひご覧いただければ幸いです。

はしがき
 近世城郭は、明治四年(一八七一)の廃藩置県によって将軍・大名領の支配拠点(政庁)かつ彼らの居所としての使命を終えることになる。近世において意図され、維持され続けていた防御性を喪失させることになった。さら
に明治六年の全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方(いわゆる廃城令、存廃決定等とも。以下では便宜的に「廃城令」と呼称する)によって大蔵省の管轄となった「廃城」の多くは建物が解体され、堀・土塁等も破却された。陸軍省の管轄となった「存城」でも、櫓・門や堀・土塁等は軍にとって使い勝手の良い形で破壊・改変を受けたこともあったし、そのまま残されることもあった。「廃城」・「存城」を問わず、交通の妨げとなる屈折する虎口はいち早く破壊・改変を受けることとなる。「存城」であっても城域全てが陸軍省の管轄になったわけではなく、町屋を抱え込む外郭部は範囲外として解体されたり、払い下げられたりすることが多かった。
 このように近世城郭としてのあるべき姿は、近代初頭になって大きく失われた。しかしながら、それをもって「城郭」が消滅したと捉えることはできない。試みに小学館『日本国語大辞典』で「城郭」を引けば、①外まわりのかこい。囲い。②ある場所を敵の攻撃から守るために設けた防禦施設。軍事的構築物。とりで。③・④略、と説明している。②による防禦施設・軍事的構築物に関しては、時期・場所・主体について特定するところがない。辞書の説明に従うのならば、近・現代における防御施設・軍事的構築物とて、「城郭」として捉えるべき対象と言えるのである。なにより廃城令で「存城」とされた近世城郭は、正しく陸軍省によって維持・管理された防禦施設・軍事的構築物=城郭であった。近世段階から変質を遂げた近代城郭(要塞・砲台・塹壕等)の一つとして評価すべき対象と言える。もちろん近世城郭を基盤としながらも、防禦施設・軍事的構築物の在り方は大きく異なり、変貌を遂げたものであったことは言うまでもない。
 一方、近代になって廃絶することになった「廃城」であるが、官公庁となったり公園となったり、あるいは民有地等となったりした。建物や堀・石垣等が残されることもあったが、いずれもかつての規模からすればごく一部に
過ぎない。近代になっての都市の繁栄と引き換えに、地上から急速に遺構を消していったのであった。しかし、時期を措いてから在りし日の偉容・規模を懐かしみ、顕彰しようとする動きも出てくる。城郭跡の一部の保存を講じ
るとか、石碑(記念碑)によって旧蹟であることを知らしめようとする動きもあった。時に時限的に模擬建築を建てたり、大規模な復元建築を実施・計画したりすることさえあった。
 城郭の顕彰・保存等に関して言えば、近世城郭以前に列島各地に設けられた中世城館跡についても例外ではなかった。堀や土塁等の土木遺構のみを残すもの、すでに地上に痕跡を何ら残さないものを問わず、中世城館跡も地域において注視されるようになる。行政・個人によって保存・顕彰が講じられ、その表象として多くの石碑(記念碑)が建てられていった。同時に様々な形で、時に雄弁に城館跡の歴史が唱和されるようになる。有名無名を問わず城館跡とそれに関わった人物は、地域においてそれだけ身近(取り込みやすく、語りやすい)な存在であったと言えよう。
 近代において中世城館、近世城郭がどのような変遷をたどったのかは、広い意味で城郭史の範疇に収まるものとなる。細かく言えば近代史、考古学、地理学、建築史、縄張り研究等の立場から考察対象となるものである。
 近世城郭については、近世段階にどのように機能していたかを掘り下げる検討が多いけれども、近代以降の城郭においても多面的な検討が可能となる。近世城郭(跡)の近代史を解明することによって、近世段階のあるべき姿がくっきりとする場合もあるのだ。城郭が変質・廃絶することにより、それ以前は当たり前のことで記録化されることもなかった事柄が問題・課題として浮上することもあった。
 今日では中世城館跡の調査・研究が全国規模で相当進められ、大小を問わず多くの縄張り図が成果として蓄積されている。ただし、地表面に残される中世城館跡は廃絶後に様々な形で変化・変貌、そして改変を受けている。さ
らに歴史像については近代になって成立する地誌によって、著しくゆがめられる場合とてあった。中世城館を調査・研究する際にも、直近の近代における状況を把握する必要性が高いのである。
 本書では近世城郭にかかわる論考、古代・中世・織豊期の城郭(館)にかかわる論考、近代要塞にかかわる論考等によって、それぞれの近代における様相を論述する。執筆者の専門分野が異なるため、論述スタイルは一律では
なく、切り口も様々である。されど執筆者は、いずれも近代の城郭を解明しようとする熱い思いで論述している。
 本書が今後の近代における城郭史研究の道標になれば、執筆者一同望外の喜びである。
  二〇二四年一月                                                               

                               髙田 徹


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