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『朝倉氏の城郭と合戦』を刊行しました

皆さまこんにちは、戎光祥出版の丸山です。

新刊の佐伯哲也著『朝倉氏の城郭と合戦』を刊行しましたので、紹介させていただきます。

『朝倉氏の城郭と合戦』カバー

著者は佐伯哲也先生

本書の著者である佐伯哲也先生は、1963年に富山県富山市にお生まれになり、1996~2003年には富山県・石川県・岐阜県の中世城館跡調査の調査員として各県の城館を調査するなど、北陸を中心として、全国の中世城館を約2,000ヶ所調査した実績をお持ちです。

また、登山も30年以上のキャリアがあり、山岳信仰研究の論文も多数発表しており、現在、北陸城郭研究会会長、富山の中世を語る会代表を務められています。

著書には、『越中中世城郭図面集』、『能登中世城郭図面集』(いずれも桂書房)のほか、弊社からも2017年に上杉謙信・景勝VS北陸織田軍VS一向一揆の三巴の抗争と城郭の変遷について解説した『戦国の北陸動乱と城郭』を刊行されています。

越前朝倉氏とは?

本書の主役である朝倉氏は、もとは但馬国(現在の兵庫県)を発祥とする氏族で、南北朝時代に足利将軍家の一族・斯波氏に仕えるようになり、斯波氏が越前国(現在の福井県)の守護に任じられたことから、それに従って越前に入部し、次第に地盤を築いていき、斯波氏から越前守護代に任じられました。

このように斯波氏の重臣として活躍していた朝倉氏でしたが、応仁の乱が勃発すると当初は山名宗全率いる西軍に属していたものの、やがて斯波氏から離れて細川勝元率いる東軍に寝返り、乱の情勢に大きな影響を与えます。

越前では一乗谷を本拠と定め、斯波氏の影響力から脱した朝倉氏は戦国大名化し、孝景→氏景→貞景→孝景→義景と五代にわたり一乗谷を中心に栄華を誇りました。

『朝倉氏の城郭と合戦』の読みどころ

このように、越前で栄華を誇った朝倉氏ですが、逆に文化的なイメージが強いこと、さらには織田信長に滅ぼされたことにより、ともすると戦国大名朝倉氏は戦下手の、弱小大名とイメージされることもあります。
しかし、大河ドラマ「麒麟がくる」でも信長のライバルとして描かれたように、実際は本国越前のみならず若狭・加賀・近江・美濃・丹後(現在の福井県・石川県・滋賀県・岐阜県・京都府)など周辺諸国に出兵をくりかえした、戦国時代を代表する大大名でした。

そこで本書では、戦国時代をとおして各地で行われた朝倉氏の合戦の実態を取り上げ、強大な軍事力を保持していたことを紹介するとともに、朝倉氏が築造・改修した城郭を遺構の様子などから丹念に分析することで、朝倉氏が戦国史上トップクラスの築城技術を持っていたとを明らかにしています。

本書の章立てと収録城郭は次のとおりです。

総説 越前朝倉氏戦いの軌跡
第一章 本拠・一乗谷とその周辺の城郭
 一乗谷城/一乗谷朝倉氏館/小見放城/小城/上城戸櫓城/一乗谷下城戸
第二章 朝倉氏一族と家臣の城郭
 細呂木館/戌山城/朝倉山城/雨乞山城/波多野城/成願寺城/杣山城/疋壇城/燧ヶ城/西光寺城/織田城/茶臼山城/上野山城/神宮寺城
第三章  朝倉・織田氏に翻弄された若狭国衆の城郭
 後瀬山城/新保山城/賀羅ヶ岳城/大塩城/白石山城/国吉城/
第四章 朝倉氏が国外遠征で築いた城郭
 松山城/篠脇城/神路城/中山の付城/狩倉山城
第五章 織田軍との抗争と城郭
 金ヶ崎城/長比城/上平寺城/田上山城/田部山城/大嶽城/福寿丸/山崎丸/丁野山城/中島砦
第六章 越前一向一揆時代の城郭
 鉢伏山城/西光寺丸城/虎杖城/河野新城/野津又城/村岡山城
第七章 織豊政権時代の城郭
 越前大野城/勝原城/小丸城/東郷槇山城

本拠・一乗谷城をはじめ51城を収録し、縄張り図・遺構写真・地図など図版も数多く掲載しています。
また、第六章と第七章では越前一向一揆や織豊政権が築城・改修した城郭も取り上げ、朝倉氏の城郭と比較・検討することで、より朝倉氏の城郭の特徴を理解できるように構成しました。

それでは気になる朝倉氏の城郭の特徴とは?
…ぜひ本書をお読みいただき皆さまの目で確認してみてください。
一つだけヒントを示すと、同じ朝倉氏が築いた城であっても、越前国内と国外の城では特徴が違うということです。
畝状竪堀群や笏谷石など、注目すべき論点が本書中に溢れています。

購入方法は?

最後になりますが、『朝倉氏の城郭と合戦』は全国のリアル書店・ネット書店様のほか、弊社のHPから通販することも可能です。
皆さまのご注文をお待ちしております!!

https://www.amazon.co.jp/dp/4864033722


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