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新谷和之著『図説 六角氏と観音寺城』を刊行します

12月の新刊、新谷和之著『図説 六角氏と観音寺城』が刷り上がってきました。

刊行に先駆けて、下記に本書の「序にかえて」をアップしました。新谷先生による六角氏や観音寺城への想いや魅力、著述方針等がまとめられていますので、ぜひご覧ください。

序にかえて

 六角氏は、宇多源氏佐々木氏の惣領家にあたり、中世を通じて近江守護の地位にあった。在国時の居館はもともと平地にあったが、十五世紀後半以降、戦乱が相次ぐなかで、六角氏は繖山上の観音寺寺(滋賀県近江八幡市・東近江市)へ拠点を移すこととなる。
 六角氏は、日本中世史の分野では注目度の高い存在である。畿内近国では珍しく分国法を制定したことで知られ、戦国大名の当主と家臣の関係を探る好例とされてきた。また、分国である近江国には中世惣村の共有文書が豊富に残され、村の自治を前提に大名の支配がなされたことが論証できる稀有な事例となっている。この他、商業史や交通・流通史、寺院論などの分野でも六角氏の影響力をうかがうことができる。地域社会のさまざまな側面と関わらせて権力の性格を考えられるのは、六角氏研究の魅力といえよう。
 戦国期の六角氏に関しては、関連する古文書や古記録が近年集成され、それに基づく実証的な研究が進んだ。六角氏は応仁・文明の乱以降しばらく幕府と敵対したこともあって、政治史的な観点からの分析は長らく低調であったが、最近では畿内の政治史に重要な役割を果たしたことが明らかにされ、近江南部の地域権力にとどまらない広範な活動にも光が当たりつつある。戦国期の畿内政治史は、細川・三好権力論の隆盛や幕府論の見直しなどにより活況を呈しているが、六角氏はそこでの政治史叙述に不可欠な存在となっている。
 観音寺城も、戦国期を代表する拠点城郭の一つとして注目されてきた。織
田信長の安土城(滋賀県近江八幡市)に先駆けて本格的な石垣を採用したことで知られ、技術力の高さが評価されている。一方で、曲輪の配置は並立的であり、当主と家臣の力関係が拮抗していた様子が読み取れるという。近年では、先行する観音正寺の伽藍を踏襲している面が注目され、繖山の巨岩信仰とも合わせて、城郭と聖地の関わりという観点からも研究が進んでいる。このように、観音寺城の研究は、城郭史の潮流にインパクトを与える論点を次々と提起してきた。
 本書は、こうした重厚な研究史に学びつつ、六角氏と観音寺城に関する歴史を写真やイラストを交えて解説している。六章構成で、合わせて五十個のトピックからなる。おおむね時系列で叙述しているが、第五章は現存する遺構に焦点を当てており、観音寺城のガイドブック的な位置づけとしている。各トピックは相互に関連性をもたせているが、関心のあるところから読み進めていただいてもかまわない。
 なお、概説書という性格上、叙述の根拠となる史料や先行研究の記載は基本的に省略している。巻末に主要参考文献一覧を掲げているので、さらに深く調べたい場合はそちらをご参照いただきたい。また、中世の人々はしばしば名前を変えており、そのタイミングが政治史的には重要となることが少なくない。だが、本書では煩雑を避けるため、最終の実名を中心に一般に通用している呼び名で統一することとした。
 観音寺城は有名な城でありながら、六角氏の歴史とも関わらせてその特徴や魅力をわかりやすく解説した本がこれまでなかった。そのため、一般の認知度はそれほど高いとはいえない。すぐそばに安土城があり、そちらに注目が集まりがちなのも、メジャーになりきれない理由の一つである。このことは、信長が六角氏を観音寺城から追いやり、その旧領に自らの実績を上書きしていった歴史とも重なる。しかし、近江国支配において六角氏は信長よりもはるかに多くの実績をもち、現存する観音寺城の遺構にはそのことが象徴的にあらわれている。こうした魅力を少しでも感じ取っていただき、観音寺城の「ファン」が増えることを願ってやまない。
  二〇二二年十一月
                              新谷和之

著者略歴

新谷和之(しんや・かずゆき)
1985年生まれ。
大阪市立大学文学部卒。
大阪市立大学大学院文学研究科前期博士課程修了。
大阪市立大学大学院文学研究科後期博士課程単位取得退学。
現在、近畿大学文芸学部准教授。
主な著作に『戦国期六角氏権力と地域社会』(思文閣出版、2018年)、『近江六角氏』(戎光祥出版、2015年、編著)、「城郭遺構の保存と活用」(『歴史学研究』1002、2020年)など多数。

 



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