YouTuberの遺伝子はあるのか?--安藤寿康『遺伝マインド』(有斐閣)書評

日本における双子研究の第一人者の筆者・安藤寿康による、遺伝研究の概説書である。「遺伝子研究」ではなく、「遺伝現象」に着目する。ある表現型をもつ遺伝子を特定するのではなく、一卵性と二卵性の双子やきょうだいの行動を比較することで、人の何が遺伝しているのか・遺伝していないのかを突き止める。といっても、「遺伝なのか、環境なのか」というありがちな二者択一にはならない。むしろ、遺伝現象を調べれば調べるほど明らかになるのは、遺伝現象は遺伝子が担う情報が環境を介して表現されている、ということだ。「遺伝なのか、環境なのか」ではなく「遺伝も環境も」だ。

筆者によれば「遺伝マインドとは、行動遺伝学的視点から、人間の日常的な心や行動の営みの中に、遺伝要因が入り込んでいるという事実のもつ意味を解き明かしていこうとする態度を指している」。

遺伝マインドは次の3点を教える。

➀遺伝現象は個々の「遺伝子」の単独プレイによるのではなく、多数の「遺伝子たち」の協同プレイによる現象である。
➁遺伝現象は環境を介してあぶり出されてくる。
➂社会は多様な遺伝子たちによってつくられている。

人への遺伝の影響を考えるとき「遺伝」「共有環境」「非共有環境」の3つの要素が関係する。例えば、双子にとって「共有環境」とは、家庭・親である。双子にとって家庭と親は「共有している環境」である。他方、双子にとって「非共有環境」とは、共有しない部分、同じ家でも「部屋が違う」「服が違う」、違う学校へ通う、別々の友達と遊ぶ、などだ。厳密にいえば、二人の人間が同一の空間にいることは不可能なので、その違いは「非共有環境」ともいえる。が、一般的には、家庭・親以外のものが「非共有環境」とされる。

筆者は、生まれた直後に別々の家庭に養子にだされた一卵性の双子を紹介している。別々に育てられたにも関わらず、双子はきわめて似ている性格をもっている。ところが、「どうしてそのように思うようになったのか?」と聞いたところ、二人とも「親の育て方で自分はこうなった」と答えたのだ! 別々の親のもとで育てられた一卵性の双子が、似たような性格をもっていても、その理由として「親の育て方でこうなった」というのだ。遺伝学的には、一卵性双子の性格は、遺伝の結果である。しかし、その意味づけは二人の非共有環境(=別々の親に育てられた)によってなされている。

タークハイマーが「行動遺伝学の三法則」と名付けたのは次の3点だ。

➀遺伝の影響はあらゆる側面に見られる。
➁共有環境の影響はまったくないか、あっても相対的に小さい場合が多い。
➂非共有環境の影響が大きい。

遺伝現象に共有環境(家庭・親)の影響は、相対的に小さいのが現実である。とはいえ、いくつかの能力については、共有環境の影響が大きくでるタイミングもあるので、家庭・親の役割がまったくない、というわけでもない。家庭・親は子供にどうかかわれば良いかというと、環境と遺伝の「交互作用」として分かっている次の2点と関係する。

➀環境の自由度が高いほど遺伝の影響が大きく表れる。
➁環境が厳しいほど遺伝の影響が大きく表れる。

地方と都市を「自由度の違う環境」として遺伝の影響がどの程度でるか調査したところ、環境の自由度が高ければ高いほど、その人のもっている遺伝の影響が強くでる。他方、その人のもっている遺伝の力を出すには、ある程度のストレス環境、例えばアスリートのトレーニングなどが必要とされる。➀と➁は正反対のことを言っているようだが、矛盾しない。アスリートの親が、自分の子供が小さいころからスパルタ的トレーニングをするのは、教育虐待かどうかという議論はおいておくとして、子供が親から運動に向いている遺伝子(運動神経)を遺伝していた場合、子供もアスリートとして能力を開花する可能性はある。何かの才能に秀でた人は、自分の子供に自分と同じようなトレーニングをするとよい、という話ではない。子供が親の何を遺伝しているかは、自由な環境がないと、わからない。もし、子供が親が秀でている能力(スポーツや芸術など)を持っていない場合、どんなに熱心にトレーニングを施しても無駄であり、教育虐待である。子供がどんな素質をもっているか、遺伝の力を知るためには、そもそも自由な環境がなければならない。

となると、親が子供にやれることは、子供の可能性を信じてさまざまな機会=環境を用意することであり、子供が上手にやれることがあるならば、積極的に後押ししてあげることなのだ。なんというか、当たり前のことだな。

面白いというか、これも当たり前かもしれないが、遺伝子には名前がない。「遺伝子の前文化性」と筆者は言うが、「テニス選手の遺伝子」「ピアニストの遺伝子」「小説家の遺伝子」といった特定の遺伝子は存在しない。そもそも遺伝子/遺伝があり、職業がある。職業があって遺伝子があるわけではない。また、遺伝マインド➀でも指摘されているが、1つの「遺伝子」が人間を作るのではなく複数の「遺伝子たち」が人間の性格・行動を織り成している。活躍したテニスの選手のどの遺伝子がどう発現したのかは、わからない。スポーツや芸術だけではない。「できるビジネスパーソン」「やり手の企業家」「面倒見の良い先生」などいても、「この遺伝子が原因である!」とは絶対に言えない。世の中の「成功」は複雑な要素が組み合わさってできている。

HIKAKINはYouTuberとして成功する遺伝子を持っていたのだろうか? YouTuberという職業は比較的最近できたもので、まさに前文化的だ。YouTuber以前に、HIKAKINと同じ遺伝子を持っている人がいたとしても、その人はYouTuberの遺伝子を持っている、とは言われないのだ。というか、そもそもYouTuberの遺伝子はない。いくつかの要因がからみあって成功したYouTuberがいるだけだ。HIKAKINは時に「聖人」とも形容されるほどに、炎上しにくく、何かあっても「適切に」対応していると評される。炎上耐性をYouTuberの性質にあげたくなるが、耐性というよりそもそも炎上しないようなリスク管理がYouTuberには必須なのだ。むろん動画編集、企画力、しゃべる力、体の動かし方など、その他の資質もYouTuberとして成功するには必要だ。

YouTubeのような新興プラットフォームは、それまでの既存のプラットフォームにはない「自由な環境」がある。多様な才能をもった人たちがあつまり、切磋琢磨という名の進化論的競争をすると、環境に最適化した個体が生き残る。こうして生存した個体は、そのプラットフォームの遺伝子を「最初から」持っているかのように見えるが、それはあくまで後付けの視点である。

環境から独立した遺伝もないし、遺伝を考慮しない環境もない。「遺伝は遺伝しない」というように、親から子供に何がどう遺伝しているのかも、少なくとも最初はわからない。遺伝の影響が大きく出る自由な環境を用意してはじめて、その人の遺伝的能力が明らかになる。といっても、遺伝子はあくまで前文化的なものなので、現在の文化的枠組みでその人の遺伝子を名付けるのも、また問題なのである。


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