デジタル社会の物質性――ギヨーム・ピトロン『なぜデジタル社会は「持続不可能」なのか』(児玉しおり訳、原書房)

まえまえからなんとなく気になっていたが、実際問題、どうなっているのだろう、デジタル機器の環境負荷は。ということで、本書を手に取ってみた。1980年生まれの筆者が2021年に書いた本。

邦題「なぜデジタル社会は「持続不可能」なのか」という問いの答えは、リバウンド効果があるから、となる。リバウンド効果とは、技術革新によって効率が飛躍的にあがったところで、そもそもの使用量が増えるので、結果としてコストは増大する現象のこと。ふるくは蒸気機関が発明された時から指摘されている。車も燃費が良くなっても、燃費が良くなった割合以上に車が製造されるので、トータルとして見ると排出ガスや製造コストは増えている。インターネットとICT機器に取り囲まれるデジタル社会もまた、この例外ではない。

デジタル社会は非物質化を謳う。デジタルでは、複製費用も移動費用もかからず、無料で多くのコンテンツを、即時・連続的に使用できる。まるで肉体・物質の制限を乗り越えたかのように。ところが、デジタル社会の入り口であるインターフェイス(ICT機器)を作るにはレアメタルが必要で、環境破壊や紛争の原因になっている。製造過程では大量の電気、水、フロンガスを必要とする。完成したICT機器を使えば、データセンターやケーブル、電波塔が必要になる。中でもクラウド化した社会ではデータの使用量はうなぎ上りで、データーセンターの電力消費量はとてつもないことになっている。これに、AIやら車の自動運転やらが普及していくと、環境負荷はますますかかる。

人によっては、デジタル・テクノロジーこそが環境破壊を止められるのだと言うが、どうもそうではない。デジタル社会のグリーンウォッシュと筆者が批判するように、例えば自分が運転する車が排気ガスを出すのを直接見れるのとは異なり、デジタル機器は環境負荷があるにもかかわらず、不可視化されてしまう。これには、ICT機器の「スマートなデザイン」や、「クラウド=雲」というネーミングも、少しは関係していないだろうか? と筆者は指摘する。

新しいテクノロジーは、それまでの問題点を別の問題点、それもわかりにくいものにすり替えるだけなのではないか? という気もしてくる。東日本大震災で福島原発1号機がメルトダウンしたが、バックアップを含めて電源が喪失したのが原因である。原子力発電所を安全に運転するには別の外部電源が必要なのだ。デジタル社会のデーターセンターに水と電気が必要なのも、これと似ていないか。インフラはそれがどんな重要なインフラであっても、自分自身を自分自身だけで支えることはできない。別の、もっと原始的=物質的なインフラに頼らざるを得ない。この逆説はデジタル社会であっても解決されず、むしろ不可視化が徹底され、脱炭素社会を目指す私たちの世界と正反対に位置している。私たちは社会のデジタル化を徹底していくことでしか、社会を「先に」進められないところまで来てしまっているのだが、となると今後の環境負荷(電気・水・希少金属の使用量の増加、温室効果ガスの排出、環境汚染など)は天井なく増えていくのではないか。

…と新年一発目から重い本であった。


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