チャットGPTは作者(機能)になりえるのか?ーー荒巻義雄・巽孝之編『SF評論入門』(小鳥遊書房)にグレッグ・イーガン『ゼンデギ』論を寄稿
小鳥遊書房から出ました! 『SF評論入門』。荒巻義雄・巽孝之編。私はグレッグ・イーガンの『ゼンデギ』論を寄稿。日本SF評論賞(優秀賞)もイーガン論だったので、はじまりのイーガン論である。
日本SF評論賞の評論を再録することも選べたのだが、私は新しい論を書いた。12人が寄稿しているが再録もあり。再録は資料的価値もあり、とても助かる。私は改稿のうえ、『ポストヒューマン宣言』に載せたので、書き下ろした。
『ゼンデギ』にはVRゲーム上で、バーチャルな人格を作る技術が出てくる。自分の死が近いと知ったマーティンが息子を導くバーチャル・マーティンを作ろうとするが、果たしてそれは「人間」なのか?
初読時には存在していなかったチャットGPT(生成AI)をふまえて、バルト「作者の死」やフーコー「機能としての作者」についても論じている。チャットGPTは人間ではない(いまのところ)。じゃあ、「(フーコーが言う)機能としての作者」になり得るのだろうか? を『ゼンデギ』をテクストにして考えている。
ゲーム内のキャラクター(CPU)を限りなくスムーズにするため、人間から吸い上げた脳のデータを使うっていう話もある。平凡な人の脳データを集めて、仮想人格を作ったとき、その人格に「人権」(的なもの)は発生するのだろうか? 個人を搾取しているわけではない(個人のデータはありきたりのものだから)。集めたデータを加工する技術がユニークなものだ(ビッグデータ処理とにている)。こうして作り上げた仮想人格を「酷使」することは、侵害になるのだろうか? 侵害になるとしたら、誰の何を侵害しているのだろうか? ネット上のデータを食わせて吐き出すチャットGPTが、誰の何を侵害しているのか? という議論ともつながる。原著2010年、翻訳2015年。
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