なくした日記と消えないSNS

身辺雑記を書こうと思っても、何が身辺雑記かわからず、なかなか進まない。ふだんの書評やら評論やらと別に、もっとリラックスして、私個人の「人となり」がわかるようなーーそしてできれば何かメッセージがあるようなーー面白い読み物でも書ければ良いのだが。欲張りすぎか。だから書けないのか。昔はよく日記を書いていたな、何を書いていたかな、と思い返してみた。

たしかに、日記はよく書いていた。中学生のころにB5サイズのノートに、せっせと日記を書いていた。たぶん本や漫画の感想とか。書いた内容で覚えているのは、当時テレビで放映していて、中学校のクラスメイト経由でその存在を教えてもらった『新世紀エヴァンゲリオン』の感想だ。人類補完計画とは何か? みたいなことを書いていたのだろう。あと、誰にも見せる予定はないので、もっとプライベートなことも(むろん、ここでその内容を書くことはしない)。

たぶん中学生から高校生にかけて、父親が使っていたワープロ(という専用マシンがあったのだよ…)で古くなったものを貸してくれたので、使っていた。書くことがないので、ワープロマシンにも日記を書いていた。それなりの量のデータがあったが、感熱紙(というのがあったのだよ)でプリントアウトしたわけでもなく、フロッピーディスク(というのがあったのだよ)に保存するだけだった。うまくやればパソコンにテキストデータとして移行できたのだろうが、できなかった。フロッピーディスクはどこかへいった。あっても、そもそもワープロ機がないと読み込めないが。たとえ感熱紙に印刷していても、感熱紙は経年劣化にむっちゃ弱いので、四半世紀もたつと、たぶん白い紙になっていて、やはり読めなかっただろう。

ウィンドウズ95が出た時は中学生だった。たぶん98が最初のマシンではないか。兄がどっかで買ってきたのを共有していた。一部、出資をしたはず。インターネットに繋がっていたが、むかしのインターネットは文字打ちがせいぜいの楽しみなので、夜な夜なチャットを友達としていた。なぜ夜かといえば、インターネットに接続するには電話回線を使わなければならず、プロバイダー料金のほかに電話料金も必要だった。カケホーダイという定額サービスを申し込むと、確かよる10時以降、指定した番号への通話は定額になった。すぐにカケホーダイに申し込み、夜のインターネットは、定額制にした。しかし、テレホーダイタイムになると、みな同じことをするので回線が重くなった。チャットは楽しかった。高校生のころは、パソコンで掲示板(2ちゃんねるができるかできないかの時期)とチャットをよくやっていた。それと日記。ワードファイルに書き溜めていたはずだが、これももうデータはない。

大学生になると、ブログが流行り始めた。といっても私はその波に乗る前にどこかのプロバイダにテキストサイトを作っていた(はず)。そこで日記を書いていた。その後は、ブログサービスをいくつか渡り歩いて、今はnoteにたどり着いた。

書いたことは、ほとんど残っていない。たくさん書いたのだが。自分だけが読者であったこともあるし、友達や知らない人に読んでもらったこともある。データがないのは残念といえば残念だが、そこまで悔しくない。デジタルデータが意外と長持ちしないことは、心に留めておく。一生懸命、書いたけれど、書くことが目的だったので書けば満足していたから、日記が消えても気にならないのかもしれない。日記は消えたところで、私自身は消えていないわけだし。私が消えたあとに、日記が残っていたら、身近な誰か(家族や友達)が読むかもしれない。読んで面白がるかもしれない。でも、生前の私の日記を読んで面白がる誰かを、私は見れないので、どうしようもない。それに、日記を残したところで、誰も読まないかもしれない。(じゃあ、なんでこれを書いているかというと、書きたいから書いているのだ。思えば、そんな人生だった。)

中学生の頃にノートに書いていた日記は、ちょっと読み直したいかも。実家の私の部屋の机の引き出しの奥の奥にしまっていたのだが、いつしか机ごと捨てられていたので、日記はもうないだろう。

今の人たち(若者は特に)、SNSで自己発信しているが、過去の投稿を読み直すのだろうか? 日記のように。私はFacebookをよく見るのだが、一番見るのは「○年前の今日」というやつで、備忘録というか日記がわりに自分の投稿を見ている。それで朝が始まる。10年くらい使っているので、10年くらい前の「今日」が参照できる。毎朝、過去の自分の投稿を見て、今の自分の輪郭を整える…のだが、これはいったい何をしているのだろうか。




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