なぜ夫は妻が頼んだ買い物をこなすことができないのか

ポリタスTVを見ていたら、津田大介と瀧波ユカリのラジオ回で、「夫が妻の頼んだ買い物をこなすことができない」と話題になっていた。駅前のスーパーで人参を3本買ってくるように頼んだものの、2本入りしかなかったので、買わずに帰ってきた的な(誰かの)エピソードが紹介されていた。スーパーに行って、依頼したものがなければ、電話でもLINEでもいいので依頼主たる妻に連絡をとって、判断を仰ぐか、「2本でもいけるやろ」と自己判断するか。連絡を取ったら「わざわざそんなことを聞かないでほしい」と言われるのかもしれない。自己判断で2本入りを買ったことがあり、それじゃだめだと言われたことがあるのかもしれない。とはいえ、せっかく行ったのだから何も買わないってのものな…。

問題の根本はどこにあるのか? 今回の人参の場合は、使う人(妻)と買う人(夫)に役割が分かれているからではないか。当たり前の話だが、大事なのでよく考えてみたい。人参を使う人は頭にメニューを浮かべ、人参をどれくらいどう使うか考えた上で、「人参3本買ってきて」と言っている。人参が実は2本でも良いのか、3本絶対必要なのかは、メニューを考えている使う人本人にしかわからない。人参が2本で良いのか3本で良いのかの判断は、買った人参をどう使うのかまで理解しないと、買う人(夫)では判断できない。一番は、買いに行く前に、人参が何本必要なのか確認することだろう。そこで、「○○に使うから人参が3本いる」とメニュー共有されていたら、1袋2本入りの人参しかないときに、2袋4本買う、という自己判断は可能になる。

使う人が「人参を3本買ってきて」と買う人に頼む時、その「3本」がどの程度、重要なのかも伝えた方がスムーズだろう。2本でも良いのか、4本でも良いのか。使う人にしてみたら「そこまで伝える必要があるのか?」と思うかもしれないが、おそらくそうなのだろう。これは男女のジェンダーギャップというのもあるかもしれないが、使う人と買う人が分かれている場合に起こり得る話だ。会社でも、使う人と買う人が違う場合、同様のトラブルは発生するのではないか? あるいは、同様のトラブルが発生しないような仕組みがしっかりとあるのではないか。

男性が使う人で、女性が買う人の場合でも同様のことは起こり得る。(すぐには思いつかないが、男性が女性にタバコや酒を買うように頼む時に、「ちがう、それじゃないんだ…」というのは起こりえそうだ)。使う人は、そのものに対する情報量が多い。解像度が高い。買う人は、使う人ほどそのものに興味も執着も必要性も感じていないので、どうしても理解が雑になる。男女それぞれで起こり得るが、こと家事に関しては女性の関わりが多いのが現実なので(この現実が良いとは思っていないが)、女性のもっている情報量>男性のもっている情報量、となりやすい。そこで、家事に関しては男性が女性の情報量においつく努力を(双方とも)すれば、使う人/買う人のギャップが埋まる。

ここからは個人的な見解だが、家事を家族のメンバーで均等に割り振ることはむずかしいだろう。均等というのは、家事をそれぞれ同じ内容・時間に分けるという意味だ。月曜日の夕食を、夫婦二人で同時進行で同じだけの労力で作るのは、お互いに邪魔だろう。おそらく、曜日や内容別に中心となる人を決める(決まる)のではないか。中心とならない人は、中心となる人のサポートになるわけで、ここで使う人・買う人の役割分担が発生する。中心/非中心は、時間や内容によって変わるので絶対的ではない。ただ、必ず中心/非中心の偏りは生じるので、偏りを自覚した上で頼む/頼まれるようにしないと、「違う、そういうことではないんだ…」案件が発生するのではなかろうか。

書いてみて気がついたが、これは身辺雑記ではないな。ながらく身辺雑記を書いてこなかったので、何を書けば身辺雑記になるのかわからなねぇ…。


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