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適職とはなんだろうと考える。

違和感

その字のごとく、自分にあった仕事という意味なんだけども、
自分にあうということはどういう意味なんだろうか。
そもそもできない仕事というものがある。
いや、きっとある。
でもそれもどういう物ができないのか、できるのかもわからない。
だから、なかなか適職探しって難しいのだ。
やってみて初めて、あれ?これってなんか違うって思ったり。
違和感を感じて初めて、これは自分にはあっていないと思うのだった。
ただ、人に言われたことがあって、
人間がやっていてできない仕事なんかないというのだった。
確かにその通りなんだけども、
モチベーションの問題だったり、お給料の問題だったり、
いろんな問題が理由に「自分にあっていないことに分類する」という行為があるから、適職から外れるのだと思う。
その仕事をやらないと死んでしまう。そういう状況に置かれないと、その仕事にそんなに執着することってないようなきがするのだった。

合ってるのだろうかと考えるとき

自分が働くにあたって、やはり色々考える。
お給料面、やりがい、手応えなどなど。
どうしてもいろんなことを考えてしまう。
転職経験がある人ほど、たくさんの要素を引っ張り出しては、ああでもない、こうでもないと悩んでしまうのだ。
そう、データに悩まされるのだった。求人票というものから与えられる目に見える情報だけでなく、過去の経験に基づいた感や伝わるニュアンス、膨らむ想像、そういうものがデータとして処理されて、最適性が評価される。そういう流れで、最適なのかどうかということが決まってきたりするのであった。

職場実習というもので試す。

障害者枠でなおかつ就労移行支援事業所からの応募の場合、企業実習という機会が与えられることが多い。企業実習をすると、少なくとも職場の雰囲気などは少しは分かる。そして、利害はないけども具体的な人物とも目を合わせることになる。更には職場という異次元に身をおくことでストレス耐性も少しは試される。それによって「適職感」はある程度つかむことができたりするものだった。
ボクもまさに今そのステージにいてて、5月から就労する場面に直面していて、やりがいなどがありそうな予感がしている。ただ、働き始めるということはそれなりに色々な段階の手続きが必要で、そのことそのものがすでにストレスになってしまっていることも否定できない。
さらには社長という人物が前職の社長とイメージが被ってしまい、パワハラ的なものを思い出してしまい、ストレスに感じてしまったりする。

働き始め

これはまだ実際には来ていないステージではあるが、想像は容易だ。
完全に就職して働き始めたらいったいどうなるか。
ちょっとしたことで落ち込んでみたり、
少しストレスがかかると会社にいけなくなってみたりというようなことがあるかもしれない。
でも、いちいちそれに今から反応して何も動けなくなることは、とてももったいないことだと思う。働いてから考えよう。そう思うのだった。

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