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ChatGPTなどのLLMの「ユースケース」と言われると感じる違和感

私、ChatGPTに限らずなのですけど「ユースケース」と言われると違和感を感じます。

いや、もちろん言葉の意味はわかりますしそれが必要な状況もわかります。でもあまりにも多様な場面で利用可能なものに対して「ユースケース」って言わないと思うんですよね。

例えば、日本に住んで日本語で生活している人が「日本語のユースケース」って考えたこと…あります?ないですよね?日本語はあちこちで使いまくるので一々「ユースケース」なんて列挙しだしてたらきりがないです。だからそういう使い道が多種多様なものに対しては「ユースケース」って一々考えないと思うんですよね。

でも、これが日本に住んで日本語で普段生活している人が「英語のユースケース」の話をするってのならわかります。「あなたは普段どんな時に英語を使ってますか?」っていう話ですからね。「外資系企業で働いていて、同僚とのコミュニケーションは日本語なんだけど、上司とのコミュニケーションは英語です。だから上司へのメールは英語ですし、上司との会議は英語です…。」ってのはわかります。ちょっとそれを使うのが特殊な状況であるから「ユースケース」を意識するんだと思うんですよね。

では、「プログラム言語」とか「プログラミング」だとどうでしょう?プログラムを使って作れるものって無限大ですよね。ある意味では何でもできちゃう。「プログラムを使うユースケース」って改めて言われると、「いや、なんにでも使えるし…」ってなりませんか?これを「わかるわかる」というのは多分プログラマー、あるいはプログラミングの経験が結構ある方だと思うんですよね。一方で、ローコードやノーコードで自動化の仕組みを最近ちょっと作り始めました…みたいな人なら「どんな用途で使えるだろうか?」「ユースケースは何だろう」と考えるかもしれません。それはまぁ、そうかも。

で、ChatGPTなどのLLMに関して、私は「ユースケース」とか言われると違和感があります。だって現段階であっても言葉を入力して出力するようなことならなんでも使えるんですから、用途だって無限にあります。

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