押印の果たす機能と電子署名による代替可能性 -文書が本人の最終的な意思を示すことの機能を中心としてー(2020年10月12日)

1 はじめに
 新型コロナウイルスの蔓延に伴う在宅勤務の要請の広がりの中で、押印が事務負担になることから、押印の代替としての電子署名の利用可能性が注目されるようになった。押印を電子署名により代替するにあたっては、押印に期待されていた機能を整理し、それが電子署名でどのようにカバーされているかを整理することにより、電子署名をよりよく用いることが可能になるように思われる。力不足ながら簡単にこの点の整理を試みたい。

2 押印に期待された機能
 電子署名の機能や問題点を論じるにあたり、そもそも文書への押印にどのような機能が期待されているかを整理する必要がある。この点は、おおむね次のように分類できるように思われる。
① 当該文書と名義人とを結びつける機能
② 当該文書が本人の意思に基づく最終的な内容であることを示す機能
③ 本人に対して慎重な意思決定を促す機能

 このうち、①と②は、文書の成立の真正の問題に含まれるものである。③は、文書の成立の真正と直接に関係ない問題ではあるが、一定の場合に期待される機能である。①については既に多く論じられているので、以下②の点を簡単に検討したい。③については、機会があれば別に検討してみたい。

3 文書をが本人の最終的な意思を示すことを意味する機能
(1) 文書が「真正に成立」することの意味
 文書が「真正に成立」したとは、「当該文書の作成者であると挙証者が主張する者の意思に基づいてその文書が作成されたこと」をいう。文書の真正な成立が否定される場合としては、銃口を突きつけられて文書の作成を強いられた場合や、習字のために書いたような場合などが典型例としてあげられる。これの場合には、民訴法上の私文書の成立推定規定の適用があるとしても、反証により、文書の真正な成立は否定される。

(2) 下書きと「真正に成立した」文書の違い
 文章が真正に成立するとは何か、文書の作成過程を考えてみたい。文書の作成にあたっては、下書きがなされ、推敲や検討を経て、最終案が作成され、その最終案を本人が自らの意思に基づく最終的な内容として確定することが通常であろう。最終的な内容になる前の文書や下書きは、本人の検討のために作成されたものに過ぎず、いわば習字のために作られた文書と同じようなもので、本人の意思内容を反映したものとはいえず、「真正に成立した」とはいえないことになる。
 下書きと本人の最終的な意思を示す文書とはその意味するところが大きく異なる以上、両者をどのように区別するかは重要な問題となるが、文書に署名や押印がなされているかは一つ重要な要素となろう。文書に署名や押印がなされていることが、その文書が下書きではなく、本人の最終的な意思を示す文書であることを意味することになる。三文判などの押印で本人と名義人とを結びつけることができないにもかかわらず、なお押印が求められる場合があるのは、このような、文書を本人が自らの最終的な意思を示すものであることを確認する機能に期待したものと思われる。
 そして、署名又は押印のこのような機能は、社会的にも共有された認識となっているといえよう。文書に押印又は署名をしたものの、その内容は下書きに過ぎず、したがってその文書は真正に成立したものではないとの主張は、押印や署名にそのような機能があることをそもそも本人が認識していないような例外的な事情があるのでもない限り、受け入れられることは困難である。これは民訴法の私文書の成立の推定規定によるともいえるが、その規定を待つまでもなく経験則によって裏付けられるだろう。

(3) 電子署名の付与が本人の最終的な意思を示すといえるか…押印との対比
 下書きと最終的な文書との区別は、電磁的記録ないし電子化された文書(電子文書)でも同様に、あるいは紙の場合以上に重要となる。この区別のために、電子署名の付与は一定の役割を有することになろう(もちろん、電子文書のやり取りをめぐる状況などから最終的な文書であることを認めることも可能であり、多くの場合にはこの方法が有効に機能するように思われる。例えば、ある電子文書が下書きか本人の最終的な意思を示すものかが外形的には判然としない場合でも、一般的には、電子署名が付されていればそれを本人の最終的な意思を示すものととらえることには合理性があるといえよう。)。電子署名の付与に押印と同様の意味があると認識している場合には、当該電子文書への電子署名の付与は、当該電子文書を本人の最終的な意思を示すことを意味するといえよう。
 もっとも、電子署名の場合には押印と異なり社会的な認知の問題が存在する。電子署名の付与が、署名や押印と同様、本人の意思内容として文書の内容を最終的に確定させるという意味を有することを、本人が十分に認識していない場面は署名や押印の場合よりも頻繁に生じることが考えられる。また、電子署名の具体的な付与を行う行為が本人の意図に基づかない場合(誤クリックなど)が生じうる。
 このような場面で、電子文書に電子署名が付されている場合でもなお、その内容は下書きであり、本人の最終的な意思を示すものではないから、電子文書として真正に成立したものといえない、との主張がなされたとき、これを裁判所としてはどのように扱うべきであろうか。
 本人による電子署名の付与に当たり、電子署名の付与の意味を本人が認識しておらず、あるいは本人の意思に基づかず電子署名がなされたときは、電子署名が付されている場合でも、成立の真正は否定されざるを得ないように思われる。電子署名法3条の推定規定が及ぶ場合であっても、以上のような事実があるときは反証が成立し、推定は及ばないと言わざるを得ない。また、押印の場合と異なり、電子署名をめぐる社会的な認知状況からすれば、一般人は電子署名付与の意味を認識しているはずだとの経験則も妥当しないであろう。

(4) 電子署名サービスの提供者側での対処
 以上のとおり、電子照明を付与することについての本人の認識が不十分であることにより、電子署名の付された私電子文書の成立の真正が否定される場面は押印の場合に比べてより広く考えられる。電子署名を使う可能性のある人々は多岐にわたるところ、その中には電子署名の意味の理解や認識が十分とは言えない者が存することも想定されよう。そのような人々に対して、理解が不十分なままで行った電子署名の付与に対して、あえて私電子文書の成立による不利益を課す理由はないように思われる。
 とはいえ、以上の議論は、実際には電子署名の利用に影響を与えることはほとんどないと思われる。電子署名サービスの提供を受けるにあたり、サービス提供者から電子署名の有する機能や意義の説明を受けることにより、電子署名の付与に際して以上のような署名や押印と同等の機能を有することの認識を与えることは可能であろう。また、誤クリックなどでは電子署名の付与が行われないようにする仕組みの導入も必須であろう。これらの仕組みを整備する限り、実際に電子署名の利用に影響が生じることはまずないと思われる。

(5) 文書が確定版であることを確保するのに押印は必要か?
 以上では押印の機能のうち、文書を下書きとは区別し、本人の最終的な意思を示すものとして確定する機能についてごく初歩的な検討をしてみた。
 もっとも、そもそも論として、押印によらないで、同様の効果や機能を確保することができないかも検討されて然るべきである。例えば、一定の窓口に提出する必要のある文書であれば、その文書を提出したという行為から、作成者が当該文書を最終的なものとする意思を認めてよいだろうし、不十分ながら最終版であることの確認のチェックを求めることでもよいかもしれない。
 文書が確定版であることを示すために、果たして押印(または電子署名)が唯一不可欠なのか、他の方法でカバーでないかという点も、より深く検討されてもよいのではないか。

4 小括
 押印に期待されている機能として、当該文書が下書きとは区別された本人の最終的な意思を示すという点をあげることができ、この機能は押印に関して共有される社会的な認識を背景にするものである。私電子文書に電子署名を付すことも同様の機能を期待することができるが、少なくとも現時点では電子署名に対する社会的認知の状況や本人の認識などから、個別の状況により、電子署名が付されていたとしても、当該電子文書が本人の最終的な意思を示すものではないとして、私電子文書の真正な成立が否定される場面も十分に考えられる。
 もっとも、この点は、電子署名のサービス提供者による一定程度の工夫により解決可能であるし、電子署名の理解が不十分な人々に不利益を課してまで電子署名の効力を過度に認める必要もないように思われる。
 また、そもそもある文書が、下書きと区別された、本人の最終的な意思を示すものであることを確保するために、押印や電子署名を必要とするか、他の方法により代替できるのではないかも検討する余地がある。その検討の結果によっては、文書に押印又は電子署名が必要となる場面も限られてくるかもしれない。

                                以上
【2020年10月12日 初稿】

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