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月夜の呟き 老木の蜜柑

すこし眠っていたのだろうか。
黒い夜空をあおぐと月が出ていた。

冷えた体いっぱいに月光を浴びると、遠い昔に刻まれた記憶がなにやら蘇って来るのを感じる。
思えばいつから、この家の庭に植えられていたのか。
今となっては思い出せないが、生まれた頃はどこかの山の中にいたような気がする。


移ろいを繰り返す山の季節の中で、気持ちよく花を咲かせ、のびのびと枝葉を茂らせ、秋には蜜柑をみのらせて、わたしは大きくなっていった。
野鳥が訪れ、蜜柑をついばむ時期だけは、静寂から解き放たれて軽快な気分になったものだった。

そんなわたしが、理由がわからないまま何かのはずみでこの家にはるばると運ばれ、移されて来た。

陽当たりのいい場所に植えられ、栄養になるものを与えられ、わたしはますます機嫌よく、毎日枝を伸ばし根を張った。
この土地の気候を、わたしは気に入った。


ほかの蜜柑の木は、たいてい1年おきに豊作と不作を繰り返して、からだの調子を整えていたようだったが、わたしはそんなことはせず、毎年思い切り花を咲かせ、思い切り蜜柑を実らせた。

この家の主たちは、たいそう喜んで、秋が深まる頃になるときれいさっぱり蜜柑をもぎとって、箱に納めて家の中へ運び入れていた。
毎年の収穫高も気になるらしく、計量を欠かさぬ様子だ。
ある年には、「1本の木から100キロ収穫できた」という、驚きの声が聞こえてきた。満更ではない気分だ。

しかしだ。
実際のところ、からだに夥しい実をつけ、それを100キロもの重量に育て上げるのは、並大抵の苦労ではない。
腕がへし折れるかと思うような重みに耐えて迎える収穫の日。それを終えると、1メートルほども背が伸びたような感じがした。

この家に赤ん坊が生まれたこともあった。
それが大きくなると、その友達を何人も連れてきては、わたしの腕から蜜柑をもぎとり、おやつによく食べていた。
子どもだった者たちが大人になって、家から去って行った後も、秋が深まる頃になるとわたしの蜜柑を食べたいらしく、ふらりとやってきたりした。

わたしはいつも上機嫌で、のびのびと腕を伸ばし豊かに葉を茂らせた。

つい、陽当たりのいい方へとぐんぐん行って、そちらに蜜柑をいっぱい実らせてしまうのだが、この家の主はそれを喜んでいない節があった。
どうやらわたしは、お隣さんの庭に入ってしまったようだ。
不本意なのだが、そちらの枝をバッサリ刈り取られた。

このままでは口惜しいので、翌年はもっとぐんぐん行ってやった。
すると主は、「思い切り、詰めておこう」と言って、もっとバッサリとわたしの枝を切り落としたではないか。
わたしは不愉快この上ない思いで、夜な夜な月を相手に問わず語りの愚痴をこぼした。

主の都合など関係ないので、わたしは毎年気分よく、ぐんぐん行き続けた。
蜜柑は毎年豊作で、とくにお隣さん側がよく実った。

ある年の蒸し暑い夏。
足元のあたりが痛痒くて気持ちが悪くなった。
じっと我慢をしていたら、主が気づいてくれた。
「幹に虫が入ってるな。」

主が薬をほどこして、丁寧にオガクズで包んでくれた。
気持ちが悪いのは続いていたが、だからどうという事もなく、わたしは花を咲かせ、蜜柑を実らせ続けた。
メジロやシジュウカラ、ひよどり、椋鳥、カラス。
様々な鳥たちが、通りすがりにわたしの蜜柑をつついては羽を休めて行った。

年とともに、毎年という訳にはいかなくなって、豊作の年は減って行った。
収穫高も少なくなって行き、100キロも実らせたのが、はるか昔のような気がする。
足元を喰われた古傷が、やけに痛んだ。

冬を越して、春に新芽を吹き、花を咲かすまではよかった。
そのあと、夥しい実を抱えながら、酷暑の夏、乾きに耐えるのは地獄だ。
毎年、それの繰り返し。
さすがに、わたしも疲れてきた。

今度ばかりは、もう駄目かと思ったが、何とか秋の収穫まで持ちこたえた。
身軽になって、やっとひと息ついた。
しかし、来年からはムリ。もう御免だ。

と、思案しながらひと冬を寝て過ごしたら、なんだか元気が出てきてしまい、春には思わず沢山の花を咲かせてしまった。
やはり蜜柑の木である限りは、花を咲かせて実をならせたい!


張り切ったものの、やはり夏の暑さがこたえた。
もう、ぐったりだ。
倒れられるものなら倒れてしまいたい。
足元はじくじく痛いのに、自分で倒れるに倒れられない身が辛かった。

真夏のある日、そんなわたしの葉が、ばらばらと落ち始めてしまった。
もう駄目なのか!?
乾いた地面から、必死に水を吸い上げる。

そして少しずつ、秋になった。

なんとか、命を長らえたようだ。
頑張ってよかった。
見れば、四方の腕にたわわに蜜柑がなっている。
これで主たちも喜ぶことだろう。
何としても、収穫の日までこの蜜柑たちを落とさずに守って行こう。
おそらくこれが、わたしの最後の蜜柑になるに違いない。

だが、秋が深まっても、一向に蜜柑は大きく育たなかった。
わたしの蜜柑は、小さなゴルフボールほどの大きさのまま、ただひたすら朱くなっていった。

「こんな小さい蜜柑なんて、数ばっかりで採りきらないよ」

快くない言葉が聞こえてくる。
どうやら、モノにならない蜜柑ばかりだと見下されているようだ。
しかし、味のほうは抜群に甘かったらしい。
当然だ、わたしが命がけで育てた蜜柑なのだから。

「せっかく食べれるものを、放っておくのは勿体ないから、採れるところまで採ってみよう、すごく甘いんだから」
いよいよ主たちは、収穫を開始する事に決めたようだ。
枝葉のあいだに鋏が入って、わたしのからだがどんどん軽くなっていく。

数日かけて、主たちはとうとう全ての蜜柑を収穫した。
わたしは気が遠くなるほどの安堵に身をまかせながら、そのまま天にも昇れそうなくらいの、からだの軽やかさに陶酔した。
そして、落葉させるのも忘れて、わたしは眠りについた。

どこかで、話し声が聞こえる。
お隣さんが引っ越して行き、そこの土地を半分にして小さい家を2軒建てて、売り出すとか、なんとか。
「以前よりもギリギリに建て込むから、うちの蜜柑がはみ出すと、いっそう迷惑だな」
「どんな人が引っ越してくるのかしら、蜜柑でご近所トラブルにならないといいけれど」

そうか、わたしはそんなに、いけない蜜柑なのか。
冬の睡魔に引き込まれて、そのまま深い眠りに落ちた。


わたしが眠るあいだに、主はわたしの枯れた枝をおおかた切り落とし、足元に薬を施して、寒さ除けの毛布まで敷いてくれていた。
おかげで春先にうっすら目が覚めた時には、いく分からだが軽く感じた。

もう一度、頑張って花を咲かせてみようか。
準備に入るなら、今だ。


いや
やめておこう。

やはり限界だ。
そして何よりわたしは、いけない蜜柑なのだ。

暖かくなると、この家の主は毛布をはずして、晴天が続くと水も与えてくれた。
まだ、わたしに何かの期待を抱いているのだ。悪い気はしなかった。
春の陽射しはどこまでも優しく、満身に降り注ぐ。
しかしわたしの心は決まっていた。

ほかの蜜柑の木が新芽を吹き出して、若葉へと懸命に育てている時も、わたしはそれを静かに眺めていた。
そして今や、白い蜜柑の花盛り。


こんな、月が美しい晩には、特に強く甘い香りがわたしのところまで漂ってくる。
このまま朽ち果てて、わたしは何処にいくのだろう。

ほかの蜜柑が放つ甘い香りに酔いながら、夢見るような蜜柑の日々を忘れまいと、わたしは心のどこかにそれをそっと刻んだ。

主はまだ、わたしが新芽を出すかもしれないと、時々水を与えいる。


(了)


ーー40年以上の長きにわたり蜜柑を実らせてくれた老木へ
                       感謝をこめてーー

                                                              

                      photo by ラテすけ










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