学生が課題終わらないから書き始めた記事

アメリカの午後2時に課題が永遠に終わらない中絶望しながら書いてます。
毎日心の中で『疲れたな…』って思っているのが流石にダサいなって気付き始めた。
大変な人って私の中でかっこよくなくて、平気なフリしている人がかっこいいって思ってた。

っていうのも私の親の方針で家で父も母も仕事のマイナス発言を一切しなかったので、そこからこの価値観が生まれたんだと思う。
今思えば子供が生まれて今までやっていた不安定な仕事を辞め借金を抱えながら新しい仕事を始めたお父さんも、若い年で子供が2人できて結婚反対していた姑と一緒に住んでたお母さんもしんどくなかった訳がないんだよな。いつも「お仕事楽しい」って言ってたし。
きっと想像を超えてくる負を押さえつけていたはずなのに、私の泣き言に付き合ってくれてやりたいことを全力で応援してくれる両親ってめっちゃ凄いんよな。

話が少し逸れてしまったけれでど、そういう風に人間の必死な姿を見ることなくプラスの面だけを見て育ってきたので他人の言う「頑張る」が何かわからずに今まで生きてきた。と言うか今も。
高校生の時に初めて友達が「バイトだる」って言ってるのを聞いて『お仕事って大変なんだぁ』ってなんとなく気付き始めた。けど中学受験も転校も高校受験も大学受験もがんばったことがなかった。みんなのがんばるって言うのがどんな意味なのか私はまだきっと理解できていないけど、大変だったし怠けたりもしたし、たくさん泣いたりかなりがむしゃらではあるけれど私は自分のやりたいことをやってきただけっていう感覚でいた。
受験の時も先生やお友達に「本当に頑張らないといけないよ」って言われていたけど、なんだかヘラヘラしながらやり過ごしてた。がんばるってなんだろうって思ってた。やればいいのに。
私はどちらかと言うとどうしたら早く進めるかとかどうしたら楽しめるかとかそんなことしか考えていなかったし、なのに楽しんでいると周りがやることを増やしてきてパンクして潰れることがたくさんあった。
がんばるって本当に、なんですか。

そんな甘えたで育ってしまったもんだから詰めが甘く悲観的な考えを身につけてしまった。少し辛いことがあると鬱前よりより一層辛く感じるようになったし「がんばっている」をしている最中は大変で辛くて悲しくてボロボロでないとって、そんなもんだからって頭の中で考えるようになってしまって、少ししんどいと全てダメになってしまう。
自分なりに楽しんでいる状態を「我慢している」にいつの間にか変換してしまうし、夢中になりたいのに気がつけば頭の中でなんだか笑われている気がしてしまう。

でも、本当は楽しみたいし周りのことなんて気にせずに夢中で汚くても自分の世界に篭りたい。しかしそれを貫くには周りを気にしすぎてトラウマから逃れられないみたいな感じでさ、なんか、楽しんでいてもすぐに覚めるようになってしまった。そんな自分を見つめ返してはダサいなダサいなって悲しくなっていくし、こんなに私の世界って小さかったけ。
もっと自由でsあぁ、なんでもあったはずなんだけどな。

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