まずいラーメン

「まずいラーメン喰ってみたりするのもさぁ、なんか面白いじゃんよ」

                 ――ハルハ・ラハル――

上記のセリフは私が一番好きな作品、FLCLからの引用である。主人公、ナオ太とハル子が家出の途中、新発売のまずいカップラーメンを食べるシーンでのものだ。小説版では少々違い「ときにはまずいラーメン食ってみたりするのも、人生の豊かさってやつ?」となっている。

人生では酸いも甘いも嚙み分ける必要がある。私は約半年間のフィジー留学を経て、なお一層感じた。決して楽しいことばかりではなかった、頻繁に起こる断水や停電。言葉が通じないこと、民族性の違い。更には南半球史上最大のサイクロンが直撃した時には1週間の停電と洪水に悩まされ、ベッドバグという虫の所為で不眠に陥ったこともあった。

これまでの人生、私はどちらかというと受動的に生きてきたように思う。基本的に引きこもりがちだし、大きな変化を嫌う。しかしながら、このフィジー留学に関しては人生最大の決断と形容しても差し支えないものだった。そこでは全てを能動的にしないと始まらない、動く必要性があり、それがやりたい事の一つだった。

時折ネット上では嫌われる存在として、海外病に陥った人々というものがある。「海外では~」と言ったように何かにつけて海外と比較する人々のことを指すものだ。私は海外に行ってみるまで「海外ねぇ行ってみたいけど、何だかんだ日本のが良いだろ」と思っていた。ただその考えは今も変わらない、それは私の趣味に起因するところもあるだろうが・・・。

だが、実際に日本を離れてみて理解できる事は数多くある。日本の物資的豊かさや利便性等・・・。半年間という極めて短い期間であったが海外生活を経験し、私は自分を恥じた。モニター越しに感じるものと実際に経験した事は雲泥の差があったのだ。面白いの一言に尽きる。海外病にかかる人の気持ちが理解できた。やはり、人生において「経験」は非常に大切だと痛感し、これからも沢山のモノや事を経験したいと強く思う。その気持ちを忘れたくない為にもこれを書いている。

全ての人に留学をお勧めする訳ではないが、何かをしたい人にとって非常に有用な一手だ。長い人生においてずっと日本にいるのは勿体ないと私は思う。


ときにはまずいラーメン食ってみたりするのも、人生の豊かさってやつ?


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