ヒカキンと趣味の境界線

最近ユーチューブをよく見る。

といっても、題名にあるようなヒカキンの動画を毎日見ているという訳ではない。お笑いの動画を見たり、アーティストのPVを見たりと言った程度だ。その過程でヒカキンの動画を思い出したかのように探る。特に見たくもないのに見てしまう。

現代において動画配信サービスは成長の一途を辿り、日々膨大な量の動画コンテンツが配信されている。私は投稿するような立場にはないので、それらを享受する側でしかないのだが、その玉石混交のコンテンツを消化するだけでも疲れてしまう時がある。その際にヒカキンが私の中で一種の清涼剤として働いている事に気付いた。

彼の動画というのは一定のクオリティが保たれていて、かつ分かりやすい。それを視聴することによって、複雑化した動画というコンテンツを消化し続ける上での私の中の動画を見る態度というものがリセットされるのだ。さながら香水店に置かれるコーヒー豆のように。

そもそもの話だが、私はユーチューブをみる習慣があまりなかった。何故なら他の趣味にもっと時間を使いたかったからだ。漫画を読んだりアニメを見たりイベントに行ったりゲームをしていたかった。特に漫画が一番の趣味と言っても過言ではなく、大体年4、500冊程度は買って読んだりしていた。

モチベーションが高かった頃はこれが俺の生涯の趣味なんだ!と言わんばかりに熱中し一生飽きることはないと思っていた。勿論、他の趣味に関してもそうだった。

しかし、今は職を変えて住む場所も変わったり、半年近く日本を離れた生活を送っていたこともあってかだいぶ落ち着いてしまった。今では年50冊読めば良いしイベントも年一回行けば十分と言った風になった。

生涯をかけていた趣味のモチベーションが落ちたとき、困ったことに自分が暇な時どういったように過ごしていたかを忘れていた。漫画を読むわけでもなくアニメをみるでもなくゲームをするわけでもなかった。ただ何かをしなくては落ち着かなかったので、しょうがなしの案としてユーチューブを見るようになったのである。

ただその生活を暫く続けて気付けたことが一つある。それは今まで趣味という枠にとらわれ過ぎていた、という事だ。ユーチューブ、面白いじゃん普通に楽しめてるし、人に休日何してるのと尋ねられてもユーチューブ見てますでも良いのではと感じた。私はそれまで趣味というからには極めなくてはならないと思い込んでいた。誰にも負けたくないという気持ちで接していたように思う。

しかしそれは間違いで、趣味の為の人生ではなく、人生の為の趣味なのだと今更気付いた。趣味という物は人生に彩りを添える程度の物であってそれ自体が主軸になってはならない。そう思うようになってからは楽になったというか、気軽に楽しめるようになった。今までより趣味と呼べるものの境界線が広がったのだ。

ユーチューブ見るのも趣味だし漫画を読むのもアニメを見たりゲームをすること、友人と遊ぶこと酒を飲むことも立派な私の趣味なのだ。

そう思えるようになったことが大人になるってことなんでしょうか、ヒカキンさん。

ただ友人宅のPS4使ってわざわざTVでユーチューブ開いてヒカキンの動画を見るのは止めたほうがいいと思うぞ俺。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?