『春凪詩』 感想 〜犬属性のかすみさん〜
サークル西大附属病院、岩しろさん作『春凪詩』を先程読了しました。いやー、面白かったです。すごくきれいなお話だな、と。今抱いている感想の上澄みを掬って端的に纏めると、とにかく『綺麗』。その言葉に尽きます。だからこれ以降に綴るのはただの蛇足です。幾らでも書けるけどなるべく3000文字以内で収めたいと思う。
私はPixiv連載版を読みました。読了まで8時間〜9時間くらい。疲れも時間経過も気にならないくらいパワーのある作品でした。まだ1周しかしていない為、読み込みが浅い箇所、盛大な解釈違いが発生している可能性がありますが今しか書けない感想もあると信じて筆を取らせて頂きます。
本作は
そんな内容です。あまり好みでは無いファンタジーかぁ、と思いつつも読み進められたのは小気味良い語り口の文体と存外に人間である中須かすみさんがたくさん登場していたから、というか全然犬にならない。1話のラスト、印象的な江ノ電のシーンになる頃にはしっかりと客席で居住まいを正していました。
直前の喧嘩シーンとの対比もあってとても印象的なシーンです。かすみさんよ、それは恋心ではないのか。でも違うって言っているしなあ。心中知らずして邪推するのは人間の悪い癖だよな、あくまで綺麗を煽っているだけ、うんうん。などと思った記憶があります。
そして犬になる。
言及はされていませんが、作中のかすみさん結構オフィーリアに嫉妬してますよね。自信に満ちているイコール中須かすみとは他者のイメージで案外、もしくはこと桜坂しずくさんの事に関しては自信が持てなかったんだろうなぁ、と。冒頭の激昂にもここで得心がいきます。終盤でも語られるけど桜坂さん自身に目を向けすぎてて桜坂さんがかすみさんに向けていた物に全然気付かなかったんだろうなぁ……。オフィーリアよりもかすみんは下、とは。盲目的すぎるだろう、中須かすみさんよぉ。
以前似たような話を文字書きさんにして頂いた事を思い出して心が温かくなりました。自分なりの解釈は新しい答え。岩しろさん自身からのメッセージにも取れると信じてこの記事を書いています。それに胡座をかく気は無いけれど。人の心など結局他人には計り知れない、それは傲慢だ。しかしそれを察そうと努力する事は優しさなのかもしれない。割と物語の根幹に関わる話。
大好き。
この後のわんちゃん教授との会話シーン含めて好きです。
1話の回想シーンもそうですが、かすみさんと桜坂さんのやり取りが美しい。ただただ綺麗。日本語のやり取りが、答えの無い哲学、美学の話で盛り上がる所が。桜坂しずくさんに押し付けられた書籍を残さず読んでいたかすみさん。中須かすみが本質的に犬だから、桜坂さんが貸してくれたから、という理由以外にこういった取り止めのない哲学のお話を「桜坂さんと」楽しむために読んでいたとするならばとても愛おしいですね。綺麗。
花火大会、とても印象的な同級生達が想いをぶつけ合うシーン。犬とは従順で、献身的である。見返りなんて求めない。中須かすみさんは本質的に犬である。キャンキャンよく吠える。他人の痛みに寄り添ってくれる。そこには見返りなんて求めない。ただ君が笑ってくれるだけで良い。見返りを求めない献身、それを人は愛と呼ぶのではないだろうか。
かすみさんへの想いに泣いちゃった。
彼女らは心中を見事に測り切ったのである。
なんか毎回桜坂さんとの回想シーンを挙げているけど好きなので仕方ないね。本作を思い返して真っ先に何処を思い出すかといえばこのシーンだったりします。少数派なんだろうな、別に良いけれど。それくらい印象的なシーン。もう2人が愛を囁きあってるようにしか見えない(過激派)
完璧なのは退屈。
中須かすみという、気高きよだかの星。
完璧とは完璧なだけである、と私は思う。下手な絵は下手なだけ。上手い絵も同様にただ上手いだけだけ。それをどうしようもなく愛おしいものにさせるのは欠けとか、至らなさだと思っている。それを桜坂しずくさんが、作者の岩しろさんが言及している事を私はとても嬉しく思うのです。
作品で唯一、桜坂しずくさんのが死生観が語られているシーンだと思う。後悔が伺えるのは花火大会のシーン。一人で気高く散り、輝く事を美しく思いつつも桜坂さんはそれを寂しい、と思っているのだ。桜坂しずくにとって中須かすみは自身を闇から掬い上げてくれた光で、神様である。自身の死を周囲に告げないという真面じゃなさ、盲信、自己犠牲のような献身をかすみさんに対する愛と言い、なんでもないかのように装っていた。しかし桜坂さんもそれを寂しいと思っていた事実が伺えるシーンであり、ほんの少しだけ、救われる。
これ本当に疑問と呼ぶには僅かすぎた違和感だったので明かされた時に心の中で思わず叫びました。この後の『真っ黒』も。拍手。
優しさと狂気は表裏一体である。私は真面なので例えば戦隊ヒーローが身を挺して、死を覚悟して誰かを助けるシーンを見て酷く恐怖を覚える。全く以て真面じゃない。狂ってる。死んだら終わりなのに。この作品の近江彼方さんは、真面じゃない。桜坂しずくに並ぶ狂気の女だ。だがそこには桜坂さんの意思を尊重しようとする深い優しさ、そして強さがある。同好会メンバーとの板挟みに合うことは明確なのに、死に行く少女の為に矢面に立つのだ。それはもう、ヒーローではないか。病院の庭のシーンは今少し読み返しただけでもボロボロ泣いてしまう。この作品の近江彼方さんはとても優しい、至って真面じゃない女である。そしてそれは桜坂しずくさんも同様である。真面じゃない。
桜坂しずくもまた部長にとってのよだかの星に成ったのだと思う。卒業公演、桜坂しずくのスタート地点、即興劇。名優桜坂しずくへの部長の想いがひしひしと伝わってくる素晴らしいシーンですね。活字から情景がありありと浮かんでくる。桜坂しずくは舞台に生きる。この舞台を観た人達の中で、部長の中に生き続けるのでしょう。
綺麗。ただただ綺麗。
私も有限の物に美しさを感じるタイプだからだろうか。語りたい事の多いシーンだけど上手く言葉に出来ない。だからそれを感想とする。
人の心中など到底分からない。それを測りきった気でいる事は傲慢であり、同時に深い優しさである。本作で何回も提示された、おそらくテーマの一つだと思う。だからこそ、このシーンの桜坂しずくさんは嬉しかったに違いない、なにせ愛するかすみさんと同じ事を想ったのだから。通じ合えたのだから。心底嬉しかったに違いない。だから私はこのシーンで、またしてもボロボロ泣いてしまうのだ。
#12、『はるがすむ』は『春凪詩』とは別作品ということもあり文体が『すみひと』に近い文体から『月光アナタ』に近い硬派な物に変化している。これだけで桜坂さんを喪った後のかすみさんの心境の変化が伝わってくる。
「しず子」でしょうか。やっぱ。
不穏すぎる……。
どうしても連想してしまいます。2人のかつてのじゃれ合いを。それが倒錯だとしても。かすみさんと読者に都合の良い夢だとしても。見てなかった、見えなかった、見えない振りをしていた。春に霞んでいる。結局の所、かすみさんは全て覚えている。あの春を。春が住んでいる。
きっとこれからもかすみさんは自身に残る常在の春と共に、かつて愛した春を求めて生きていくのでしょう。それはとても綺麗で、美しくて、とても残酷な事だと思います。正直『はるがすむ』はこの解釈で合っているのか非常に怪しいのだけれども。3回くらい読み直してからここに挑むべきだったかもしれない。
さておき、素晴らしい作品を生み出して下さった作者の岩しろさんへ感謝の意を示しつつ、この辺りで筆を置かせて頂きたいと思います。
ありがとうございました。
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