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陽の気が満ちる季節に、山陽にて

作家に会いに岡山へと出かけて、予約を見ながらたどり着いた宿は作家のアトリエから175kmも遠く離れた島の上にあった。
さほど驚きもしなかった。

慌ただしく決めた旅程の中で、島から山陽の内海を眺めることだけを大切にしていた。当たり前に、この場所を選んでいたのだ。

目の前の海はどこまでも凪。

長年憧れを抱いた内海は想像よりもはるかに静かで、
用事のない日には日なが一日港に転がったり、
波打ち際に座ってノートに意味のない文字を書きつけたり、
島をぐるぐると散歩してまわった。

日が暮れたら「yubune」のお湯に浸かって、お隣で本を読みながら釜飯やお刺身を食べる。宿に帰ったら、今度は意味のある言葉をノートにじっくりと書いた。
夜の海の上に浮かんだ、満ちていく初夏の月がこちらを照らしてくれるから、その月明かりで十分なほどに手元のノートが見える。

去年、急激に見えなくなっていた視界はこのところ明るくなってきた。
それは具体的に視力がどうこうということではなく、
気持ちの問題だったのだ。
見えなかったわけではないのだ、見たくなかったのだ。

ベッドの上で目を閉じると、ショパンの12のエチュードが聴こえる。
嵐の中にいるとつい忘れてしまうけれど、長い旅路の中にもこんな風に穏やかな時はいつか訪れる。かならず。

毎朝リュックサックを背負って、黄色い船に乗って山陽へと渡った。
うたた寝するサラリーマン
真っ白い半袖シャツを着た学生
スマホをひっきりなしにいじる主婦に挟まれて、
わたしはずっと海を見ていた。

目をそらすことなく、なつかしいあの人もきっと眺めている内海を、島のこちら側から眺める。
わたしは今、牛のように穏やかな瞳をしている。

設計士と連れ立って、森の中にあるパン屋にも足を伸ばした。
山に抱かれるようにしてある廃校を改修したパン屋で、お茶をしようと座ったら、みるみるうちに天気が変わって雨が降った。

それはそれは細くしずやかで優しい雨で、
自然の真ん中で降る雨の音はこんなにも優しいのかと静かな感動が広がる。

あたたかいミルクの入ったカップを手のひらで包みながら、
雨粒に濡れた新緑の葉っぱを眺め、
その葉の上で踊る雨粒の音に耳をすませると、
雨も葉っぱもこの光も影も、
ずっとずっと前からわたしの友だちだったと思い出す。

こもれ陽ばかり追いかけて歩く。
陽の気が満ちる季節に、影を見つめて、

戦火をまぬがれたころこの美しい街には
この光も影も、そのどれもが全て
わたしが訪れるよりもはるかに昔から
すでにそのようにあった。

この影も、あの光も、はるか昔からここに、
そしてわたしの中にあって
どちらが始まりで、どちらが後もなく
影は光にすっぽりと包まれ
光もまた影に覆い隠されて

そんなことを考えながら
倉敷の街で木漏れ日を追いかけていたら
風が一つ、強く吹いた

わたしは
ここにはるか昔からあるものが
確かにわたしの中にあり、
わたしはその中にあるのだということが
"ほんとうに"
分かってしまって、
いっとき歩けないほどの深い感動が胸に広がる。

こんなところまで潜ることがあるだなんて
嵐の中では想像もしなかったけれど、
今はもう、この海を内から見ているのか
外から見ているのか
どちらとも言えず
その深い深いところで
あたらしい線が一本結ばれるのを感じる。


一年前に宙に放った"さようなら"に
あたらしい"こんにちは"を返す。

この海にたどり着いてよかった。

サポートしていただいた分は、古典医療の学びを深め、日本の生産者が作る食材の購入に充て、そこから得た学びをこのnoteで還元させていただきます^^