花譜、不可解、廻花についてぐるぐると(代々木2024)


はじめに

ひどく個人的で主観的な、内省の記録です。

バーチャルシンガー(以下、Vsinger)花譜と廻花について。
2024年1月の代々木から、自分の心が想像以上に激しく揺り動かされたので、ちょっと書き残しておきたいと思い筆を執りました。
まともな文章になっているか怪しくはありますが、よければご一読ください。




LoopⅠ

廻花 #11

嬉しいに決まっているのに、同時にそれだけではない いろんな感慨がこみ上げてきて泣いてしまう私を許してほしい。
決して悲しい涙じゃない。

Vsingerとして展開する〈花譜〉。
オリジンとして存在する花譜。
そして今回誕生した、花譜のもう一つの可能性。
オリジンを色濃く反映する〈廻花〉。

〈花譜〉という枠から花譜があふれる時が、いつか来るとは分かっていた。
そしていま、「ついに来てしまった」とも「やっと来てくれた」ともつかない、どうにも表せない歪な感情で胸がいっぱいになっている。


花譜は2018年、バーチャルユーチューバー(以下、VtuberとかV)という文化がにわかに盛り上がっていた頃に、その流れのひとつとして現れた。
彼らは、程度の差、経緯の違いこそあれ、基本的には能動的にVtuberとなることを選択したはずだ。
しかし、Vsinger〈花譜〉はそもそもが、当時14歳の少女を世に出すために運営側が用意した外装、手段であり、彼女が初めからVをやりたかったわけではない。
そこに、「本来の自分ではない」という葛藤はより強くあって然るべきもので、いつか彼女を守るその殻が、窮屈になる時が来るのは自明だった。

Vでなくとも架空のビジュアルで活動するアーティストは他にもいる。
ただその多くはあくまで自画像の代理として架空のビジュアルを使っているのに対し、〈花譜〉は単なる外装に留まらず、それ自体の持つ世界観や物語があまりに強力だったのだ。


花譜 # 125

出会った頃の彼女は、夜陰の都会の片隅で、あるいは荒涼とした異空間で、独り揺蕩うように歌っていた。
V.W.P結成どころかそのメンバーもまだデビューしておらず、運営すら表に出なかった時期である。

自身の言葉で喋ることはあまりなかったように思う。
ただそのどこか寂し気でゆらめくような、それでいて内に凄絶な光を秘めたような歌声が、ぽつぽつと響いていた。

それから高校受験による休止や、いまでは語られることも少なくなったあのクラウドファンディングを経て、最初の不可解――逆サバを読んでいない本当のファーストワンマンライブが行われた。


不可解 #22

不可解は御伽噺とともにあった。
初めて目にしたときは、ライブに挿入された物語である「御伽噺」が〈花譜〉自体の背景の開示なのか、それともあくまで演目のひとつなのか、判じかねたのを覚えている。
それほどに当時の〈花譜〉は神秘に包まれていて、PIEDPIPERの描く情景の中の住人だった。
御伽噺――つまりは空想の物語が〈花譜〉の大部分を占めていたのだ。

その不可解は、いまと比べれば小さく、粗く、しかし濃密だった。
宇宙の真理を感じさせるプロローグと詠唱、フルスロットルの「糸」。
「死神」を始めとするcover曲では朴訥な歌声に迸る激情が乗っていた。
中盤の山場、感謝とともに歌い捧げられる「祭壇」から、エラー音にも似た繋ぎに静止する会場。その一瞬生まれた空白に、満を持して叩きつけられる「魔女」。
最終盤に、初めての特殊歌唱用形態・星鴉への変身を経て歌われたのはライブ名を冠する「不可解」。

〈花譜〉という存在が纏う幽玄の気配が、秘めやかな魔法の呼気が、あどけない怪物性が、諦念と祈りが……たとえ仮初であったとしても、彼女の歌声の説得力でもって確かに現前していた。
その頃の花譜はまだ14~15歳で、長く訓練を積んできたわけでもなかった。
歌声は不安定で、しかしだからこそ不思議な揺らぎがあった。それは、切実な焦燥や、震えるような温かみや、剝き出しの希望や、底のしれない深淵を思わせて、聴く者の感情を揺さぶった。

PIEDPIPERの描く情景とカンザキイオリの紡ぐ曲によって創られる世界が、当時の花譜の歌声に、あまりにも嚙み合っていたのだと思う。
花譜は、大人たちが用意した〈花譜〉という世界に守られながらも、一方でその世界と強く共鳴し、中身を与えたのだ。
そしてその不可解な世界は、当時の――今から見ればまだ始まったばかりで、見通しの不明瞭さとだからこその高鳴りを併せ持ったV界隈や、それを眺める私の心情にまで、同じようにシンクロしたのだと思う。


それから時を経て、いつのまにか花譜を取り巻く風景はガラリと変わった。肩を並べる仲間ができ、独りではなくなった。
配信が始まり、自身の言葉で話すことが増えた。
どこにでもいる女の子として、当たり前に笑うようになった。
原初の情景から遠ざかる一方で、花譜の足跡は劇的に増えていった。

あれから何度も不可解をやった。
カンザキイオリは卒業し、花譜は大人になった。
声変わりもした。
私にとって花譜を花譜たらしめていた初期の要素のいくつかは、散り散りになっていった。

不可解はその完結が告げられ、新たなライブは怪歌と名付けられた。


LoopⅡ

廻花 #27

怪歌での花譜は最高だった。
活動の中で己のものにしてきた歌たちを堂々と響かせ、小さな体で巨大なステージを自在に駆けた。
5年間、自分の力で歩み続けたその足で、そこに立っていた。
私の席は……まあ……アリーナでステージから遠く、視界の八割が前の人の後頭部と左の人の右腕で覆われ、自分の右腕を自分の体のまっすぐ前に上げるのが精いっぱいというやや不完全燃焼を強いられる環境だったが、そのあと配信でもちゃんと観た。

とにかく彼女は最高だった。
不可解から怪歌へ――過去の真似事でもなく過去からの脱却でもない、継承と発展を感じさせるものだった。

そしてライブの最後に、〈花譜〉は〈廻花〉になった。


花譜 #06

私は、花譜を知る少し前から、Vtuberという現象が好きだった。
見る人によっては、単にガワを被って声をあてているだけに思えるかもしれない。
しかしそれは言うなれば、バーチャルを生み出す技術と人間の認識エラーを媒介として、表現する者と、受け取る者、それぞれの夢が重なる点において現れる偶像なのである。

アニメや漫画に親しみ、芸能人やyoutuberにあまり惹かれなかった私は、画面の向こうから語りかけてくる、架空でありながらその奥に確かな魂を持つ彼らに魅せられた。
そして、だれもがそうなれる。日々新しいことが起こり、この先どうなるか分からない。その自由さに胸を躍らせた。

Vtuberという現象は、虚構の上に「お約束」のラインを引き、見せたいものと見たいものを互いに投影することで成立する。
送り手は、視覚や聴覚に与える情報を置き換えて実質的な存在を生み出し、受け手はそれによって起こる認識のエラーをすすんで受け入れる。
そうして仮初の存在をこの世に顕現させるのだ。

ただ一方で、魂に惹かれる部分は大きい。
だから、設定や演出に収まらない素のリアクション、思考、反応、言葉選び、長く活動を続けるなかで滲み出るひととなりから、受け手は、仮初のその奥に一人の人間を感じ取ろうとする。

花譜に対しても同じだ。
私なりに、創られた〈花譜〉を通してその奥の花譜本人を見ようとしてきた。
私が見いだせるものなど、提示される虚構と己の願望で固められた見当違いの造形物かもしれないけれど、それでも〈彼女〉の言葉の端々から、必死になって彼女のひととなりを探していたのだ。

Vとその魂については、うまく弁えていたはずだった。
彼女のオリジンが現れたら、スマートに受け入れるつもりでいた。
想定外だったのは、5年の歳月の内にいつの間にか、理性的分別を本能的認識が大きく上回っていたことだ。
花譜の歌う声、話す声、笑う声を聞いて頭に浮かぶのは、どうしたって、ピンクの髪と不思議な瞳を持つ〈花譜〉の顔なのだ。

他者との関係において虚構を構築することは、Vtuberに限った話ではない。
誰しもが、学校で、仕事で、家で、SNSで、noteで、それぞれの場の他者に向けた仮面ペルソナを纏っている。
見た目や声の自由度には限界はあれど、見せたい部分で構築している。

画面に映る〈花譜〉の姿と、その奥にいる花譜、そして彼女があくまでVsingerのプロジェクトとして見せる〈花譜〉の振る舞い。
本来峻別されるべきそれらが、認識の根底の部分で、ただそういう見た目を持ち、そういう仮面ペルソナを持つ女の子として、ひとつに統合されてしまっていた。


不可解 #36

以前から、怪歌にもSINKAにも不可解の変化にも、様々な反応があった。
それにもまして〈廻花〉が分岐したことに対して、見る者それぞれの感じ方があったはずだ。

窮屈な殻に一つの出窓がひらけたことを祝う人もいるだろう。
花譜のオリジンに近づけたことを喜ぶ人もいるだろう。
新たな表現に胸を膨らませる人もいるだろう。
建前を信じられない人もいるだろう。
物語としての花譜を見ていたかった人もいるだろう。
売り方に文句がある人、約束が違うと怒る人もいるだろう。
空想と現実の致命的なコンタミネーションが起きて今までのように愛せなくなった人もいるだろう。
はじまりの景色を忘れられない人もいるだろう。

私の中にあるものはどれなのだろう。
〈廻花〉に出会えたことは嬉しいのに、よく分からないもやもやとしたものがついて回るのだ。

拒絶ではない。胸中に浮かぶ印象はもっと柔和だった。
変わったことに対する寂寥でもない。この温かみはたぶん別のものだ。
失望とはまたほど遠い、惜別とも言い難い、どうにも表せない歪な感情。

未練でも、まして怒りや哀しみでもない。
それなのに花譜や不可解を思うと、涙と溜息があふれてくる。
そして考えることをやめられない。
私は、この不可解な感情に説明名前をつけたいのかもしれない。


LoopⅢ

廻花 #80

怪歌の夜、彼女の選択を目の当たりにした時は、「そっかー」と、割と冷静に、どちらかといえば喜ばしく受け止めたつもりだった。
「とうとうきたかー。まあそうだよな」とか、「同じ声でもちょっと印象変わって聴こえるな」「こういう髪型が好きなのかな」とか他愛もないことを考えながら、なんでもないふりをして歌を聴いていた。

――帰り道ではもう、頭の中が「そっかー」で埋め尽くされていた。
なんだかぼんやりして、廻花が口にしたことばかりが、渦を巻いていた。

そして次の日から、ひどく情けないありさまだった。涙と鼻水が常に滲んでいるし頭が動かなくて何も手につかない。不意によく分からない何かの感慨がこみ上げては、深く長い溜息を繰り返していた。
花譜の曲を聴くたびに胸がじくじくして、聴いていない時でも花譜のことを考えては胸を締め付けられていた。
それから一週間経っても、自分でも呆れるくらいに動揺したままだった。

彼女のオリジンの発露は、覚悟もしていたし、もちろん待ち望んでいたことでもあった。
なのに、想像以上に心がざわついている。
私は〈廻花〉を受け入れられなかったのだろうか。花譜を花譜として見られなくなってしまうのだろうか。
それは絶対に嫌だった。

怪歌のその日の夜、あれこれ考えて、少しでも整理をつけたくて、よく分からないものを吐き出したくて、
誰よりも不安に包まれているであろう花譜に何かを伝えたくて、
言葉を尽くすことはたやすいけれど、運よく彼女の目に入るのは、ほんの一握りのわずかな言葉で、
じゃあ私の「本当に届けたいたったひとつ」はなんだ、と延々考えた末に、一夜明けてこれをポストした。

とりあえずは、花譜ちゃん(今は花譜と呼ばせてください)が自由に羽ばたけるなら、どんな姿でいてくれてもいいという思いです。

あと、最後を「ここにいるよ」で締めてくれてありがとう。
この言葉から始まった不可解。
色んなことが変化したけど、真ん中に花譜ちゃんがいるなら大丈夫。

我がX(旧Twitter)より

どうしよう、「たったひとつ」じゃなくてふたつあった。そして「とりあえずは」で含みのあるニュアンスをつけているのが小賢しいな。
ともあれ、感傷も前提も削ぎ落した、あのとき私のいちばん根っこにあった考えがこれだと思う。
それは少し経った今でも変わっていない。


花譜 #38

〈花譜〉と〈廻花〉が分かれた。
それは〈花譜〉からオリジン要素の強い〈廻花〉が抽出されることのように感じられた。
脳裏に浮かんだのは、〈花譜〉が、ただ世界観や物語といった設定だけ残された抜け殻に思えてしまうのではないかという恐怖だ。

いままではVsinger〈花譜〉の奥にオリジンの花譜がいて、私の視界の同一直線上に両者はあった。花譜の言葉は〈花譜〉から聞こえてきたし、〈花譜〉に声をかければ花譜に届いた。ただ一人を見つめていれば良かった。
〈花譜〉の隣に〈廻花〉が現れた。私はオリジンに近い〈廻花〉に目を向けるだろう。
すると〈花譜〉は、――あのピンクの髪と不思議な瞳を持つ女の子は、視界の端でぼやけるのだ。
花譜の宿らなくなった〈花譜〉。その予感が寂しかった。

そして、これから彼女のことをどう呼べばいいのだろう、なんてくだらないことも考えていた。
いままではオリジンの彼女のことも包含して「花譜」と呼んでいた。
これからは「花譜」と呼んで彼女に届くだろうか。いままで万感の思いを込めて口にしてきたこの名前が、彼女をあらわすには事足りなくなってしまうのだろうか、と。
くだらなくて、私にとっては大事なことだった。

これはたぶん、どれほど言葉を尽くして大丈夫だと説明されても意味がない。無意識の領域での同一性の問題なのだ。
実際にこれから花譜を見続けて、感じて、そのうえで自分の心がどう動くのかを確かめなければならないのだろう。


不可解 #17

こいをする
おとなになる
たまごをこわす

花譜1stワンマンライブ不可解『少女降臨』より

卵とは世界のことだよ
雛鳥が産まれるには 世界を壊さなきゃならないから

花譜1stワンマンライブ不可解『御伽噺』より

カンザキイオリが神椿から離れたとき〈花譜〉の世界は一度壊れたのだろう。
彼は〈花譜〉の歌う曲の制作を一手に引き受けていた。
〈花譜〉はこの5年間の大半、彼の紡ぐ言葉と旋律を歌ってきた。
観測者はその意味と感触を、〈花譜〉そのものとして受け取ってきた。

彼が去ることは、〈花譜〉という世界を構成するその大きな部分が無くなることを意味していた。
寂しかったし不安もあった。
ただ一方で残された〈花譜〉を信じてもいた。
そこには、〈花譜〉の世界に中身を与え続け、出会った頃とは見違えるほど成長した花譜がいたから。

欠けた〈花譜〉の世界を立て直すのではない。
修復ではなく、再誕。
卵たる世界を壊し、雛鳥が産まれる。
それは不可解で語られた、孵化だ。

一度目の誕生は〈花譜〉がこの世に生まれたときだ。
そのときはカンザキイオリとともにあり、〈花譜〉としての世界は、未熟でありながらも完全だった。

カンザキイオリの卒業は決して望まれたことではないけれど、
結果としてそれまで花譜を守っていた世界は壊れ、雛鳥は再誕することになった。

孵化。
それは蕾が開花する姿にも似ている。

花の命が誕生する瞬間は種から芽が出た時だと思うのですが、花が開いた時にもう一度命が生まれるような感覚があるなと思って。

花譜4th ONE-MAN LIVE 怪歌 パンフレットp58より

それだってせかいはいとおしい

わたしはきょう、ふかかいなはなになる
きょうからあしたのせかいをかえるよ
すべてをうたにかえてうたう

花譜1stワンマンライブ不可解『少女降臨』より

二度目の誕生は、彼女の開花となった。
花譜はもう一人で飛び立つ力を身につけた。
その一方で〈廻花〉が生まれた。

不可解は、過去になった。
過去は過去だ。手を伸ばしても触れられないのは、未来に一歩進んだ証なのだろう。

怪歌での花譜は最高だった。
過去の真似事でもなく過去からの脱却でもない、継承と発展を感じさせるものだったのだ。
世界は変わる。姿を変えて、いまもそこにある。
花譜が、これまでの不可解も、出会いも別れもその軌跡も、すべてを歌にかえて歌う怪歌。
そこで見た光景が、いまの彼女だ。

私も卵を壊さなきゃならない。
早くしないと 置いていかれてしまうから。


LoopⅣ

廻花 #60

〈廻花〉の歌は、
花譜が過去のライブのMCで吐露してきたような本心の部分と、
折に触れて綴ってきた詩の色あいと、
心を通わせてきた音のならびと、
それらが混ざり合った、不思議なかたちをしていた。

全部よく知っているはずなのに初めて聴くようで、
ただ歌を聴いているのに彼女と話しているような、
知らない感触だった。

初めまして うまく言えないのはお互いさまなのがいいな

廻花『かいか』より

そこで歌われるのは、彼女がいままで見せてこなかった、もう一つの彼女の言葉だ。
彼女が感じた世界への愛情だったり、やるせなさだったりが、〈花譜〉の艶やかな宵闇の空気とはまた違った、夕暮れの優しいような物悲しいような色あいで描かれていた。

そして、ところどころに表れる、彼女にとっての〈花譜〉のこと。
彼女を守る殻でもあり、彼女を縛る檻でもあった。
もう一人の自分でもあり、知らない誰かでもあった。
〈花譜〉から〈廻花〉が分かれた意味。彼女が吐き出す感情。
言われるまでもなく分かっているはずのものだった。
花譜にかかる負荷は分かっていながらずっと、いまのままを望んでいた。

ぼくからは一生みれないぼくの目 画面越しで人間じゃなくなるんだって

廻花『ターミナル』より

そして、大人になる花譜の姿を喜びながらも心のどこかで、はじめて惹かれた当時の在り方、耳に残るあの幼い淡い声色を引きずっていた。
それくらい、いくつもの偶然が嚙み合った奇跡的な景色だったのだ。

どうなれば良いかより どうありたいかなんて
歳をとることを疎まれる世界で意味を持たないんだ

廻花『ひぐらしのうた』より

あたりまえの成長やアイデンティティを前にしながら、あの頃のままを望んでしまった。
もしかしたら、そういうことじゃないかもしれない。
これは私の勝手な解釈かもしれない。
でも、ごめんなさい。
そういうふうに聴こえたのは、私に自覚があったからだ。
それでも、言われなければ、ずっと目を逸らす気でいた。
聞けて良かった。

それから、
進学したり、留学したり、歌唱力や表現力が上がっていったり、仲間ができたり、成人を迎えたり、そういうことが嬉しかったのは嘘じゃない。
いまが大事じゃないなんてことは絶対にない。


〈廻花〉について、PIEDPIPERも花譜も、noteやX(旧Twitter)、ラジオといったいろんな媒体で何度も言葉を尽くしてくれたけれど、なにより彼女の歌を聴いたことで腑に落ちた。
〈花譜〉が、伸び拡がる花譜を閉じ込めて壊さないように。
花譜から溢れ出るもので〈花譜〉の世界を壊さないように。
二人ともが、ためらわずありったけを出せるように。
そのために〈廻花〉が生まれたことを、肌で理解できた気がする。
不可解に続いて、また彼女の歌に説得されてしまった。
私がチョロいのではない。彼女の歌が全身全霊だからだ。

〈廻花〉が生まれてその結果どうなるのかは分からない。
ただ、高校生の時期の『ひぐらしのうた』で「どうありたいかなんて意味を持たない」と言っていた彼女が、いま、怪歌に向けて作った『かいか』で、

To be like who?

廻花『かいか』より

と言った。
それで充分だ。


花譜 #09

若干14歳で世に出て、身体的にも精神的にも大きな成長の余地があったこと。
半ば受動的に、強力な世界観を持つアバターを与えられ、自我との軋轢を生んでしかるべきだったこと。
花譜というVsingerは、その始まりから、不可逆な変容が運命づけられていた存在なのだと思う。

〈花譜〉は装いを変えながら背丈も伸びて、当初はヰ世界情緒と同じぐらいだったのが、いまや理芽お姉ちゃんに届かんとしている。ほんとうにかわいい。
そして変容の新たな形が〈廻花〉である。

〈廻花〉について、その名前の意味が、彼女の口から語られた。
花が種から育ち、花開き、また種に還るような移り変わる一回性。
次の芽が生まれ、同じように何度も繰り返し続いていく永続性。
その光景と、本質的在り方とが、言葉だけで自然と頭に入ってくる綺麗な名前だと思った。

それになんだか、
変化と不変という相反する二極のつなぎ目であったり、
生命へのまっすぐな肯定であったり、
神秘に包まれた世界の理の一端であったり、
言葉選びの妙であったりと、
これまで見てきた〈花譜〉や花譜と通底するものを感じて、やけに安心してしまった。

名付けるという行為は、単なる要素のラベリングだけでなく、かく有れかしと祈ることでもある。
彼女の祈る事柄が彼女の心根を映し出しているようだった。

〈花譜〉の名も同じように誰かの祈りが込められているのだろうか。
花に「譜」。
真っ先に思い浮かぶのは楽譜の譜だが、「神椿市建設中。」において花の図鑑である「花譜」が紹介されたように「記す」という意味があったり、また「続くこと」も意味するようである。

そういえば、花譜の綴りであるKAFについてもひとつ付け加えたい。

タロットカードのアルカナにはそれぞれ対応するヘブライ文字があるんだよ。


ヘブライ文字の中には「kaf(カフ)」と読む文字があるんだよ。


ヘブライ文字「kaf」に対応するアルカナは「運命の輪」。
その示す意味は「転換点」(とかいろいろ)なんだよ。



花譜はいくつもの転換点を経てここまで来た。
歌をネットにあげたこと。PIEDPIPERの誘いに乗ったこと。〈花譜〉になると決めたこと。悩んで、それでも〈花譜〉でい続けたこと。
そして〈廻花〉になったこと。

きっと、私の想像では及びもつかないほどたくさんの選択をしてきたのだろう。
それは誰もが通る道であり、ほかならぬ彼女だけの足跡だ。

5年という月日は、一歩一歩進み続けるには途方もない年月だ。
14歳だった彼女が大人になる、その重み。
人や物事が大きく変わるには充分すぎる時間だ。
場合によっては、彼女は既にいなくなっていたかもしれない。もっと違う変わり方をしていたかもしれない。

転換点は無数にあって、世界線は絶えず分岐する。
彼女が選んでくれたから、私の観測できるところに花譜がいて、〈廻花〉がいる。
そして彼女は、歌い続けたいと言ってくれた。

私の前にも選択肢がある。

きみののぞみはもう 終わったのかい

廻花『ターミナル』より

私も彼女に歌い続けてほしい。
この先もずっと、彼女の望むように変わり続けて、在り続けてほしい。

私はそれを見ていたいのだ。


不可解 #58

誰かが
「花譜に会いに行ったから、花譜のまたねが欲しかった」と言っていて、
ああ、そういえば私もあの夜、怪歌が閉じるあの瞬間、そう思ったなと思い出した。
良いとか悪いとかは別にして、確かにそれが、私の中にわいた生の感情だった。
やっぱり私にとって〈花譜〉は特別だったから。
それは事実であって、もう「しょうがない」。

そして同時に、目を瞑って脳裏に浮かぶ面影は、いまだに嫌いになどなってなくて、むしろ温かだった。
それも事実だ。

私は結局のところ、彼女がライブパンフレットで言っていた「もう口もききたくないかもな」という、そんな気持ちが自分の中に芽生えてしまうことが恐かったのだ。
蓋を開けてみれば、こうして花譜のことで思い悩んでいるときでさえ、花譜の歌に縋っている始末だ。(そうやって聴くたびにまた胸は締め付けられるのだけど。中毒か)
私のパンドラの箱の中には、絶望は入っていなかったらしい。

怪歌の終盤を〈廻花〉が担ったことは、「まあそこしかないよな」と思っている。
ただ、最後の最後に一瞬でも〈花譜〉が顔を出さなかったことが、何か決定的に変わってしまったような気がして、不安だったのかもしれない。

そういえば、最初の不可解では……
いや、最初の不可解でも、
最後の一曲を飾ったのは「そして花になる」だった。
それは、カンザキイオリの作ではあれど、彼が花譜の気持ちを汲み上げて作った、「花譜自身」の歌だ。

それからも、ライブの最後にはいつも、花譜は花譜自身の言葉を、
魔法を取り払った世界への祈りを、
〈花譜〉でない者の視点から〈花譜〉と観測者へのメッセージを語り続けてきた。

弐Q1では最後に、「そして花になる」と同じく花譜の想いを元に作られた「帰り路」を歌った。
REBUILDINGではそのふたつの歌を、変身を解き、等身大の制服の姿で歌った。
参(狂)では、シンガーソングライターとして作詞作曲した「マイディア」を歌った。
参(想)では、カンザキイオリを見送り、「リメンバー」を歌った。

いつだってライブの最後には「花譜自身」が登場していた。それが不可解だった。
ずっとずっと少しずつ、蕾はほころんでいたのだ。

この5年で不可解は変わったと思っていたし、実際、規模も印象も曲目も花譜自身も、あらゆる点が変わっていった。
しかしある一面においては、不可解は初めから何も変わらず卵の殻であり、彼女を育む揺籃であり、開花を促す土壌であった。
不可解を継承した怪歌の最後が、より花譜自身に近い〈廻花〉で終わることは、必然だったのかもしれない。

2018年。今から見ればまだVの歴史の初めの方だった頃。
新しい出来事がいくつもあって、見通しの不明瞭さに心躍らせた。
そのひとつとして〈花譜〉が始まった。

私はそれからずっと、出会ったときの花譜と、既存の不可解に執着していたのだ。

この5年は、
きっとこれから何十年と続くであろう彼女のアーティスト人生の、最初の5年間に過ぎない。

鮮烈だった。
一生忘れ得ない。

そしてそれは、未だ終わっていない。
まだ始まり続けている。
新しい始まりがいくつも生まれている。
〈廻花〉もそのひとつだ。
わくわくしている。

「それは、はじまりにすぎない」-es ist nur der anfang-

KAF_1st ONE-MAN LIVE 不可解 パンフレットp8より


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かいか #null

俺たちは、一分前の俺たちよりも進化する
一回転すればほんの少しだけ前に進む
それがドリルなんだよ

『天元突破グレンラガン』より

さて、ここまで、かいか→かふ→ふかかい→かいか、と廻る思考を繰り返してきた。
〈廻花〉の名前のようにぐるぐるぐるぐると、書いては消して、思いついては否定してを繰り返してきた。
私は一歩でも前に進めただろうか。
彼女が幾度となく繰り返したであろう自問自答に、少しでも追いつけているだろうか。
花とドリルは違うけれど、花は廻り、彼女は一歩踏み出した。

現在のこと、過去のこと、未来のこと、
花譜のこと、不可解のこと、廻花のこと、
あれこれ絡み合ったものを整理して嚙み砕き、ようやく、胸の疼きの正体呼び方が分かった気がする。

怪歌の夜から、彼女のことを考えるたびに込み上げてきて涙をあふれさせる不可解なもの。
拒絶にしては柔和すぎ、寂寥と呼ぶには温かで、失望とはまたほど遠い、惜別とも言い難い、どうにも表せない歪な感情。
重ねた月日の長さや、存在の同一性や、固定概念と小難しく結びつき、歪な形になっていた感情。
解きほぐしてみれば、何のことはない。
未練でも、まして怒りや哀しみでもない。

おそらくは、刻んできた足跡への「追憶」だったのだ。
ごくありふれた素朴な感情で、今現在や未来のどんなものとも相反することはない。

そうか、私はただ、そこにあるものを愛おしんでいただけなんだな。
これからも好きでいていいんだな。
そこまで考えたとき、いままでで一番大きな涙が流れて(我ながら「こんなに泣くもんか?」とちょっと引いた)、つっかえていたものがストンと落ちた。
名前を言い当てた怪異が消えるように、胸中のもやもやとしたものが嘘のように無くなった。

ようやく、私にとっての怪歌が終わったのかもしれない。






花譜でも廻花でもあり、そのどちらでもない あなたへ

もしあなたがこれを見ることがあったら、こんなやつもいるんだなと呆れるだろうか。
こっちの苦労も知らずにおこがましいとか、言いたかったことが何も伝わっていないと怒るかもしれない。
結局私は自分勝手な観測者でしかなく、見たいようにしか見えていない。
でもいつか、私の思うあなたと、あなたの思うあなたが一致するときがあればいいと思っています。

あなたはライブの後のXで
“わたしが誰よりも花譜の身体に固執していたのかもしれません”
と言っていて、
誰よりも近くで花譜と歩んできたあなたとは比ぶべくもないけれど、
私も花譜がすきでした。

ピンクの髪も、不思議な瞳も、夜気を纏う浮世離れした姿も、笑う表情も、
出会った頃のさらりとした顔立ちも、成長したいまの温和な佇まいも、花魁鳥(Revolutions)のほんわかした雰囲気も、
なによりその歌声も。
そして、
彼女の言葉の端々にあなたがいたから、こんなにも好きになりました。

昔なにかの配信で、ライブを控える心境を聞かれたとき「自信しかない」と答えていたような気がして、それがすごく印象に残っています。本当にそう思っていたのか、あえてそう言ったのか、私が知る術はないけれど、強くあろうとするあなたを尊敬しています。
クイズの答えを間違えたあとに感想を聞かれ「〇〇でも正解じゃんと思った」と言っていたようなおぼろげな記憶があって、その時は可愛らしくて笑ってしまったけれど、頑固で負けず嫌いなあなたを応援しています。
ライブや音楽的同位体のリリースやラジオやTVで、緊張や不安を感じながらも挑戦を続けるあなたに勇気をもらっています。
歌うことが好きで、嫌なことも歌で吐き出し、テーマごとに組んだプレイリストを楽しそうに解説する、好きなものを一途に愛するあなたに憧れています。
お笑いが好きで隙あらばふざけようとするあなたが微笑ましいです。
カンザキさんの話をするあなたの本当に嬉しそうな声音が大好きです。
組曲「あさひ」の感想で朝に対する印象を話していたときの、私とは反対のあなたの感性を大切に思います。
雪が好きだから白色が好きだと言ったあなたの原風景に思いを馳せています。
いつも観測者たちに真摯に向き合ってくれる、誠実であろうとするあなたを信頼しています。

私なりに、花譜の奥にいるあなたを見てきたつもりです。

あなたが花譜として現れてくれてよかった。
花譜のこころがあなたでよかった。
あなたが選んだ廻花なら、私は喜んで迎えられます。

あなたの選択を間違いにはさせません。






あとがき #87

いい大人が年甲斐もなくめそめそし、勝手に解釈して、ひとりで納得するだけの怪文書をここまで読んでくださりありがとうございます。

現象Ⅱ&怪歌、楽しかったですね。
〈廻花〉の登場は、その場では「ほう、来たか(後方腕組み)」くらいの気持ちだったのですが、そのあとの心身の反応にびっくりしてしまいました。

結局、記憶の底にしまっていた今までのことを全部ひっくり返して再構成しなきゃならない程度には大ごとでした。
無理して納得したわけではないけれど、脳を総動員して気持ちを整理する必要はあったというか。

腑落ちするまでに約10日、言いたいことをまとめるのにさらに多くの日にちをつかってしまい、それでもこんなにとりとめのない文章になってしまいました。
理屈も全然通ってないよね。なんだよ、「追憶」って(笑)
でもああいう考えに到って自分の中につっかえていたものが無くなったとき、つまりは、花譜(と、いまは廻花も)をそれまで通り好きでいられると分かったとき、本当に、心の底が抜けるぐらい安心したのです。

もしかしたら名前を付けた気になって本質は何もわかっていないのかもしれないけど、私にとっては、そういう風に感情が動いたというそっちの事実の方が、おそらく大事なのでしょう。

章立てとか差し挟んだ小ネタとか、やや作り物っぽい胡散臭い文章になってしまいましたが、ドバドバ泣いた履歴や、懊悩し整理をつける部分の心の動き、考えたことなどの部分は極力嘘は書かないようにしています。

あと、ダジャレを(苦しいのも含めて)いくつか入れてあるので良ければ探してみてください。

代々木から本当に時間があいてしまって、もう誰もこの話はしてないかもしれないけど、私が感じたことの記録と、もし似たような葛藤を抱えていた人がいるなら、マイ結論デッキバトルをしたいがために書き留めておきたいと思います。

書いてみて痛感したことがあって、
ひとつは、自分で思っていたより花譜が自分にとって大きな存在になっていたことです。
約20日間、これの書くことを考えているあいだも何度も泣いていて、それは別に自分の駄文に感動したわけではなく、
書くために心の奥から引っ張り出してきた花譜の印象の数々があまりに感慨深くて、花譜に強いてきた負担が申し訳なくて、それでも過去に思いを馳せてしまって、通り過ぎてきたいくつもの転換点と、あったかもしれない世界線への想像が止まなくて、
浅はかな精神の容量をやすやすと超えてしまうのです。(それが通勤中とか仕事中とか買い物中にも急に襲ってくるんだよ勘弁してくれ)

もうひとつは、私は自分で思っていたよりもずっと、花譜のことをちゃんと追っていなかったんだということです。
資料も全然取っておいてないし、私にとっての彼女の好きなところだったはずの言葉(「自信しかない」と「〇〇でも正解じゃんと思った」)さえ、いつどこで言ったのか、本当に彼女の言葉だったのかもあやふやな状態でした。
(これだけは裏をとらずに書いてしまいました。もし言ってなかったらごめんなさい……さすがにだめか)

せっかくはじめの頃から知っていたのに、
なんとなく歌が良いなと思って、ただぼんやりと聴き続けてきただけでしかなかった。
好きだという気持ちの核の部分は昔のきれいなおぼろげな記憶にまかせっきりにして、その時々の花譜と向き合うことをおろそかにしていたような気がします。
自分はただのいちリスナーだからと勝手に一歩引いて、
リリースされるものを確認するばかりで、
イベントがあれば足を運んでみるぐらいで、
彼女に言葉をかけたりとか、何かを贈ったりとか、彼女の支えになるようなことは何もしていなかった。
私の中の花譜の大きさに気づいて振り返ってみたときに、彼女と同じ時代を生きた意味が何ひとつなかった。
もっと、彼女を取り巻く日々の新しいことや小さなことを、一緒に一喜一憂すればよかった。

ああ、私があれほど過去に執着していた理由が分かった。
あまりに過去が空っぽだったから、戻って埋めなおしたかったんだ。


……うん、あとがきで書くことじゃないですね。軌道修正します!

それから、考えてることを言葉にするのって難しい。
改めて、自分の考えてることをちゃんと言える花譜さんがすごく立派だと思いました。

それにしても2024年の1月はずっと花譜のことを考えてたな。
代々木の前は年始から地震でドチャクソ心配して、突貫でライブTシャツ作って、代々木の後は2月に食い込むまでずっとこれを書いていた。
考えすぎて前よりも深く脳に刻まれてしまった気がするし、いろいろ気づくことができた。
私にとっても大事な転換点になりました。

最後に、本文中で花譜さんの好きなところをあれこれ書いたりしたけれど、
願わくば、本当の花譜さんが私の想像よりも もう少しわがままで、調子に乗っていて、自分勝手で、無責任であってくれたらいいと思っています。
私の思うカテゴリが彼女の呪いになりませんように。
好きなように、ただ健やかに、生きてほしいです。

これからもにほんのどこかで、心の動くままに観測しています。
またね


P.S.
花譜さん
成人おめでとうございます。
お酒はおいしいけどほどほどに。
いまを全力で楽しんでください。
喜びも悲しみも全てがあなたの糧になりますように。

P.S.2
Pさん
はよ神椿市つくって。まってるよ。


参考文献?

廻花の解釈で参考にしたもの↓
・怪歌の廻花MC
・怪歌パンフレット
・花譜Xの2024.01.16ポスト
・Pさんnote 2024.01.15『「神椿代々木決戦二〇二四」ありがとうございました』
・ぱんぱかカフぃR 2024.01.17放送分

参考にしてないもの↓
 見たかった↓
・MusicるTV

 聴かなきゃ↓
・ぶいあーる! 2024.02.04回


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