【徒然日記】 イーロン・マスクと独裁者の時代
『イーロン・マスク』ウォルター・アイザックソン
夏に読んだ本で、一番心に引っかかったのは、ウォルター・アイザックソンの『イーロン・マスク』だった。『スティーブ・ジョブズ』の作者によるイーロン・マスク伝。
伝記と言っても、マスクはまだ生きているし、テスラやスペースX、旧ツイッターのXなど、経営する事業も継続中だ。
南アフリカでの子供時代や、あまりまともではない両親のことも語られ、複数のビジネスを同時並行的に進めていくマスクの異常な仕事ぶりと、彼のエキセントリックな人格が、断片的な記事と、彼自身および周囲の人々のコメントで、どんどん語られていく。
今世界で起きていること、特にビジネスやテクノロジーの目まぐるしい変化に多少とも興味がある人なら、大筋は色々なメディアのニュースですでに知っていることなので、同時並列的に進行していくビジネスについても、それほど苦労せずに追っていける。
スーパーマンにして独裁者
いろんなことを感じさせる本だが、特に強く感じたのは、自由主義とか民主主義の国でも、何か新しく大きなことをやるには、社員や関係者たちの都合をいちいち考える、思いやりのある人間ではいられないということだ。
イーロン・マスクは社員たちに、自分と同じように目標に向かって邁進すること、文字通り寝食を忘れて仕事に没頭することを強制する。
技術的に無理とか、日程的に不可能といった判断は、それがどれだけ理性的かつ常識的であっても許されない。マスクはビジネスを実現するために、技術的チャレンジでもコストカットでも量産化でも、常に現実離れした目標を掲げる。
尻込みするようなスタッフは首を切られ、彼のように異常な熱狂で突進する人材だけが残る。
彼らが無理と思ったことでも、マスクが技術的なアイデアを出し、試行錯誤することで、クリアできてしまったりする。テスラのEVも、スペースXの発射後自分で戻ってきて垂直に立つロケットも、正気の沙汰ではない狂乱の末に可能になった。
常識にとらわれない発想と、技術的な知識・センス、そして自分が重要だと信じたことを何が何でもやり遂げる意志など、マスクが超人的な能力を持っているのは確かだ。
しかし、それらを発揮してビジネスを推進していくには、独裁者である必要がある。
大企業にできないこと
この本で興味深かったのは、ボーイングやマクドネル・ダグラスなど、航空業界の大企業がNASAの次世代宇宙ロケット開発プロジェクトで膨大な時間/労力とカネを使いながら、なんの成果もあげられないでいる間に、スペースXがロケットの開発を成功させていくストーリーだ。
大企業には高度な技術を持つ人材がたくさんいて、巨大な組織もある。NASAからは毎年莫大な開発費が注ぎ込まれる。
それでもスペースXのような新興ベンチャーにしてやられてしまったのには、歴史のある大企業であるが故に技術やビジネスの常識にとらわれすぎること、ワークライフバランスを重んじるため、スペースXのように生活を犠牲にしてすべてを開発に注ぎ込むような働き方ができない、許されないことなど、いろいろある。
不合理だから生まれるエネルギー
しかし、一番大きいのは、マスクがNASAとの契約で、開発コスト補償制ではなく、成果報酬制を選んだことだ。
ボーイングのように開発コストを受け取ることができれば、成果を出せなくてもカネがもらえるし、むしろ成果を出さなければ出さないほど、カネを受け取れる期間が伸びる。受託側の企業としてはこんなおいしい契約はないが、それこそボーイングが何年経っても成果を出せない理由なのだ。
それに対して、マスクは自分から退路を断ち、自分と社員を追い詰めることで、超人的なエネルギーを爆発させ、成果を出すことができた。
不合理だからこそ生まれるエネルギーというのがあるのだ。
マスクには、わざと自分と仲間をピンチに追い込み、エネルギーを爆発させようとする傾向がある。自分でもそれを認めている。
根底にはピュアな夢がある
しかし、それは単なる異常な性癖かというと、そうでもない気がする。
元々マスクの活動の根底には、ビジネスで成功したいという野心や欲望ではなく、未来に向けて人類が必要とするものを創り出したいという夢や熱意がある。
テスラを始めたのは、将来人類が化石燃料の枯渇という問題にぶつかる前になんとかしたいと考えたからだ。
スペースXも将来人類が地球に住めなくなる前に、火星に移住するための移動手段が必要だと考えたからだ。
AIをサム・アルトマンと始めたときも、技術をひとつの企業が抱え込むのはよくないと考え、オープンAIを非営利団体として立ち上げている。
「世界一の金持ち」といった話題になったりもしたが、マスクの正気とは思えない考え方やバイタリティーは、意外と子供っぽい無邪気さから生まれているとも見える。
子供だからこそ、社員に対して平気で独裁者になれるのかもしれない。
政治も経済も独裁の効率を求め出している?
そう考えると、マスクは案外いいやつなのかもしれないという気もするが、そういう個人的なレベルのこととは別に、マスクの活躍はネガティブな時代の変化を象徴している。
時代がじわじわと独裁者を求め、独裁体制が成功する方向へ向かっているという変化だ。
民主主義・自由主義・資本主義の欧米先進国は、経済的に豊かになったが、それはごく一部の国の、一部の層の話に過ぎない。
新興国・途上国は国際政治やグローバル経済のゲームの中で、ずっと先進国より貧しいままだし、強権政治で押さえつけなければ、国も経済も成り立たない。
先進国も、19世紀からあるような製造業や資源産業は、新興国・途上国の安い製品にやられて、豊かさから貧しさへ転落している。
電子機器やEVなどのハイテク産業も、中国みたいな一党独裁国家が、国家ぐるみで先進国から技術をパクリながら技術革新を進め、欧米を脅かし始めている。国家ぐるみでより安いコストを活かしながら、挑戦してくるこういう勢力に対抗して、欧米先進国が世界のリーダーであり続けるには、みんなが自分の権利を主張し、ライフワークバランスを優先して、幸せな暮らしを営んでいてはまずいんじゃないか?
イーロン・マスクの活躍には、そういうことを考えさせる何かがあるのだ。
20世紀の独裁者は民主・自由主義体制から生まれた
イーロン・マスクが支持しているドナルド・トランプが、プーチンのような独裁者に憧れ、自分が再び権力を握ったら、軍隊を使って反対する連中を潰したり、追放したりしてやると喚いているのは、あながち彼流の口から出まかせとは言えない。
自分の信念を絶対視する人間は、自分に反対する連中を反国家的な危険人物と見做すし、彼らが主張する権利や尊厳を叩きつぶしてもなんとも思わない。彼らが求める権利は全体にとって非効率だからだ。
そういう独裁を志向する権力者が、民主的な選挙で誕生するのは矛盾しているように思えるが、ナチスも選挙で第一党に選ばれて権力を握ったのだ。
資本主義の近未来
自由主義経済・資本主義経済が、自由競争で資本を増殖させるゲームであるかぎり、自由で民主的な世界は貧富の格差を拡大し続けるだろうし、一握りの成功者・強者とそれ以外の弱者という構図が維持されるだろう。
そしてこのゲームを運営する国家群が民主的だとすると、負け犬・弱者は多数派であり、その不満をゲームの胴元に向け、その代弁をしてくれるトランプ型の政治家や、ヨーロッパ型の極右政党を支持するようになる。
経済も、組合が強い企業や人権を大切にする企業は弱体化し、高度なテクノロジーを操る少数のエリートが、必要最小限の人間と最大限のロボット・AIシステムを駆使して運営する企業が支配するようになるだろう。
こういうディストピアの実現を抑止するメカニズムが、社会のいろんなところで働いてくれるといいのだが。