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生まれも育ちも葛飾

渥美清 男はつらいよ 歌詞
(私 生まれも育ちも 葛飾柴又です
帝釈天で うぶ湯を使い 性は車 名は寅次郎)

(人呼んで フーテンの寅と 発します)

俺がいたんじゃ お嫁にゃ行けぬ
わかっちゃいるんだ 妹よ

いつかおまえの よろこぶような
偉い兄貴に なりたくて

奮斗努力の 甲斐も無く
今日も涙の

今日も涙の 日が落ちる
日が落ちる

ドブに落ちても 根のある奴は
いつかは 蓮の花と咲く

意地は張っても 心の中じゃ
泣いているんだ 兄さんは

目方で男が 売れるなら
こんな苦労も

こんな苦労も かけまいに
かけまいに

男とゆうもの つらいもの
顔で笑って

顔で笑って 腹で泣く
腹で泣く

(とかく 西に行きましても 東に行きましても
土地 土地の お兄貴さん お姐さんに
ごやっかい かけがちになる 若造です)

(以後 見苦しき面体 お見知りおかれまして
今日こう万端 ひきたって
よろしく おたの申します)

私は葛飾区柴又で3年生まで育ち隣の金町に歩いて引っ越し 半世紀以上
今も金町に住んでいる
学校に行くときは帝釈天を通り
夏休みのラジオ体操は帝釈天
川千屋のうなぎをさばくさばき方を
弟と飽きるまでみてた
参道の横に入ると お煎餅がたくさん干してあった
土手の近くに三角公園があり
今もある
その近くで食べ盛りの私達兄弟は
食パン8枚切りを1本切ってもらって
食べた
駅前には今も残る 焼きそばと今川焼
母はそこの焼きそばがすきで
今もある
残念なのは お煎餅やさんのあさひやさんがなくなったことだ
ざらめのお煎餅が好き

学校の帰り撮影をしてた
凄い人混みだった

その後撮影はスタジオになったらしい

面白いことに、寅さんが帰ってくる土手は
駅の反対だ
寅さんはどっから帰ってきたんだろう
と、子供のころは思ってた
家の前を通りすぎたり、もどったり
きっと金町駅おりて 土手をあるいて
参道にきたのかな

今では綺麗に舗装されている

私 昭和の時代
参道の同級生は2代目として
頑張ってる
しかし、団子は髙木屋老舗
近くには宮川のうなぎ すぐなくなる
私はいしいの芋ようかんが好き
今川焼も食べたくなった

娘に1つだけ今川焼を買って
喜ぶ顔が好きだった

たまに、参道にいくかなーと思うけど
人通りも多く疲労困憊
お正月にはあんず飴をもとめていく
お店の人との掛け合いが好き

葛飾がやっぱり好き
仕事で葛飾をいったりきたり
こち亀 キャプテン翼 川をわたるたびに
ちょっと違う 

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