習性

 身体に馴染んだ動きは、意識せずとも行うことができる。よくある話だ。漫画やアニメでも見る描写だと思う。歴戦の猛者が、意識外からの不意打ちを弾く、みたいな。癖になってんだ、的な。そういうやつ。

 私にもそれがある。いや、背後からの銃弾とかには全然貫かれるけど。歩くときには全然音出るけど。日常で行う動作は、完全にそれだ。ルーティンというやつ。部屋を出ていくときは必ず電気を消すとか、そんな程度のこと。日常で毎度やる動きは全部身体にインプットされていて、これがどう作用するかというと、一切の思考なく生活を営む瞬間が出てきてしまう。気づいたら飯を食っている。気づいたら布団に入っている。時間が飛んだとかじゃなくて、なんかぼんやり生きていたことは記憶しているんだけども、具体的にどんな景色が見えていたかはよく覚えてない。音なんかは一ミリも思い出せない。音なんかしてた? まあしてはいたんだろう、生きてたんだし。

 で、これ、そこそこ困るときがある。そこそこ、というのは、程度の話でもあるし頻度の話でもある。頻度で言うと、最近よくあるのが、バスタオル。お風呂を出てすぐ、脱衣所にある棚の上から三段目。我が家のバスタオル収納場所はそこ。風呂上りにはそこを開けて身体を拭く。まあでも、洗濯の周期とかの関係で、そこに入っていないときもある。お風呂に行く前に、畳んだままテレビ前とかに置きっぱなしだったバスタオルを持ってって、棚の上へ適当においてお風呂に入る。実によくある。問題は、風呂を上がった時に、私は絶対に棚を開けてしまうということ。だって、お風呂って日常動作だから。思考なんて一切なく動いているから、いつものように棚を開いてしまうのだ。すぐ目の前にバスタオルが見えているのに。

 まあ対策が無いわけではない。そりゃこんな体質で今まで生きてきたんだから、多少の策は練らなければどうにもならない。どうにかなってるかと言われると難しいけど。今回で言えば、バスタオルを棚の上ではなく、定位置に入れてから風呂に入るという方法で解決できる。風呂上がりに癖で開けても、今日の分はそこに入ってるわけだから、そのままつつがなく動作を続けられる。ただ、なんとなく虚しい気持ちになる。わざわざいらん工程を踏んでやらないと、生活してるだけで数十回もつまずくようなこの性質は、はっきり言ってカスだ。卑下とかじゃなく、普通に迷惑している。自分の意識が一切介さないことなので、なんか他人事みたいな気さえしているが、間違いなく自分の愚かさである。こまったね。

 とかなんとか書いてはみたけど、どうせ寝て起きたら忘れてるのかもしれない。文字を書くのも、もはや日常となりつつあるので。これを書いている自分に意識があるのか、私にはわかりようもない。明日目を覚ました私だけが答えにたどり着ける。さて、答え合わせでもしに行くか……。

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