幸福論者になろう!

・多忙さから解放された反動で、めちゃくちゃに甘いものを買いあさっている。

・普段ならふつうにお菓子をひとつふたつ食べて満足するところなのだが、最近はなんか全く買ったこともないコンビニスイーツとかに手を出し始めてしまった。

・コンビニスイーツ、真面目に探し始めるとマジで底がなさそうで困る。タガが外れるとどこまでも追いかけてしまう性質があるので、これ以上踏み込んで引き返せなくなる前に足を洗うべきかもしれない。

・ひとまず、このモンブランを食べてから考えよう。うん。


・ずっと自分が抱え続けている悪癖のひとつとして、「諦め癖」がある。あらゆるものに対して、どうせ無理だしな~という諦念を結論としてしまう、というもの。

・これに伴う副作用というか、この癖から派生して発生した習慣があり、それを最近自覚した。どうやら私は、幸せのハードルが随分低いようである。こういう書き方をするとなんかディストピア的な雰囲気が出てくるような気がしないでもないが、そんなたいそうな話ではない。

・この間機会があり、自身のこれまでの人生について振り返ってみることになった。これまた大層に見える書き方だが、ようは人生の要所要所で起きたイベントを思い起こし、その時自分の気分がプラスだったかマイナスだったか考える、みたいなやつである。色々と思い出しながら書き起こしていった結果、私は「生きているだけでなんか漫然と幸せ」な人間であったことが発覚した。

・そう思って考えてみれば、私は「なんか不幸だなぁ」みたいな考えをしたことが一度もないかもしれない。一般的にそういう思考があるものなのかどうかは知らないが、こんなインターネットに浸りきりのかたつむりみたいな人間にしては珍しい傾向なのでは? と思わなくもない。精神を病む、ということが基本的にないのである。それに関しては多少自覚的なところがあったが、まさかこれまでの生涯を通してこんなにも頭ハピハピお花畑人間だとは思っていなかった。

・どうしてこんなことになるのかというと、私はこれまで、「嫌なことに気付かない」という性質によるものだと考えていた。現在が最も良い環境であると無意識に思い込み、勝手に適応してしまう力のことである。私はそういう動きが顕著で、すごくわかりやすく言うと、ブラック企業とかに就職すると終わるタイプだ。ブラックであることに気付けず命をすり減らして死んでいくタイプ。だいぶお先真っ暗である。

・実際、その性質が影響しているところはかなりあると思う。ただ、ここで考えたいのは、なぜそういう性質があるのか? という点だ。

・幸せのハードルの話に戻る。おそらく、幸せを感じるハードルが低いゆえに、現状でも100%の幸福値をたたき出してしまうということになるのだろう。このハードルの低さは何に起因するか? という疑問もわいてくるのだが、ここで「諦め癖」が出てくる。

・何に対しても諦めが先立ち、諦念で締めくくってしまう悪癖。それは当然、幸福という観念に対しても働くものだろう。ようは、「幸せへの期待値が低い」のだ。ひっくいひっくい位置に設定された期待値を、現実は当然軽々しく超えていく。生きているというだけで超えられてしまうクソ雑魚ハードルだ。

・これだけ聞くと、いいことなんじゃないの? と思ってしまうのだが、これにはひとつ欠陥がある。ハードルが低く、気づけていないだけで、本当なら私はもっと幸福を享受できるはずなのだ。満足してとどまっているだけで、幸福の許容量をこえたわけではない。実際、予想していなかった方向から嬉しい出来事が飛んでくると、今まで以上の幸福に身を包まれることもある。幸福への向上心のなさ、とでも言おうか。人間として生きるうえで、幸福を追求できないというのは、ちょっとなんか嫌な感じがする。

・幸福を追求して生きることは、かなり人間的な行動の一つだと思っている。人として生きていくのに必要な食事・排泄などを除けば、わりと最上位にランクインすることも期待できるのではないか? というくらい。一般的にはそうでなくても、少なくとも私の中ではそうだ。つまり私は、自分が考える最も人間的な営みを行えていない、ということになる。これは問題だ。

・じゃあどうしようか? という話なんだけど、別に今で十分幸せだしな……という気持ちが出てきてしまった。諦め癖。脳のすべてのシワに刻まれている。なるべく人間らしく生きたいという考えはあるものの、幸福への向上心がないので、幸せになろうという意欲が湧いてこない。どうしよう。詰んでるかも。

・とっかかりがあるとすれば、意図していない方向から飛んできた場合には、自分が定めたハードルを越えた幸せを認識することができる、というところ。幸せまでは求めなくても、日々の些細な部分に目を向けることで、日常的に「おっ、いいな」という瞬間を生み出せるかもしれない。普段、あらゆる情報をシャットアウトして歩いているので、試してみる価値はある。

・ついでに、写真を撮る習慣もつけよう。あらゆることを忘れてしまうので、記録に残しておくほうがずっといいはずなんだけど、記録に残すという発想がないので普段は写真もなにも撮れないでいる。多分日記を書くの向いてない。



・コメダ

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