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エンゼルフィッシュ 中年の恋の化石①

荷卸しの待ち時間にスマホを何気なく見たらメモ帳にもう今は何だったのか思い出せないメモやら待ち合わせ時間やらパスワードが残っている。遡って不要になったそれらを削除していると、その中にこれがあった。以前縦書きが出来るブログのサイトに載せた事があったが、ブログって絶滅危惧種だったのかそこが閉鎖されてから忘れていたのだが、未だ削除されていない事から自分の中で残しておきたい気持ちがあるのだろう。時間が経ったので笑い話に出来るのだが6年くらい前にマッチングサイトに登録していた事がある。ドブにお金を捨てながらそこでやり取りされる駆け引きやら自己アピールやら主義主張などに日々自己肯定感を削られた。マッチングサイトを釣り堀と仮想してそこでの出来事と妄想を手記にしたものだ。当時は中年の危機の最中でもあったが、とある人とマッチングしてやっとサイトを卒業出来ると浮かれていたのかこんなものを書いた。



この釣堀に通い始めて約一年になる。


私は釣りの趣味も知識も持ち合わせてはいない。何故釣りに興味を持つ様になったのか。ある日散歩に出ると近所で釣り糸を垂らして湖面を眺めて微動だにしない老人を見かけた。こんな所で魚が釣れるのかとこちらも暇なのをいいことにしばらく眺めてみる。



どれくらいの時間が経ったのだろう。いつしか私は一人で老人と根比べをしていた。彼が釣り上げるのが先か私が離れるのが先か。もうこれ以上何も起こるまい、時間を無駄にしたと私がそこを立ち去ろうとした時に老人の顔に笑みがこぼれた。何かと思うと同時に竿はしなり糸が弧を描く。バシャバシャと水音と共に網で掬い上げられたのは小ぶりではあるが黒味がかった鱗が金色に光る立派な鯉だった。



それまで同じ様な日々を悶々と生きていた私だったが、あの日から何か見えない体内の蝋燭に炎を灯された様な気持ちが芽生えた。仕事や日常生活も特に変わりは無い。ただ私には何か大切なものが欠けているのだ。それは何だろう。


私は何の知識も無いままとりあえずあの老人を真似てみる事にした。釣りをするには道具を手に入れなければならない。釣具店という場所に生涯初めて足を踏み入れた。私に知識の無い事をいいことに店主は様々なものを勧めて来る。餌も数種類買わされた。餌に何故種類があるのかということすら私にはわからない。しかもその中の一つは余り見たくない長い形をした生き餌だ。



何の力が働いているのだろう。私がそんな事を始めるとどうゆう訳か今まで全く興味の無かった釣りに関係する場所や施設を思いがけず見つける様になった。この釣堀もそんな中の一件だ。ここの顧客は年齢層は割と高めだ。20代は珍しく30代もそんなにいない。圧倒的に目に付くのは幅の広い40代、それに続く50代、そしてまた数が減る60代だ。


顧客同士でよく情報交換も行われている様だ。このルアーがいいの、あのリールが使いやすいのテレビで宣伝していた最新式がどうしたこうしたの。私には余り響いてはこない内容だ。私が思うのはそういった事柄ではなく魚をいかにすれば捕獲出来るのかは水の中にいる魚に聞いてみた方が早いのではという事だ。そんな理由から私から水中の魚へ対話する日々が始まった。


つづく

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