瞬間 live/die

銀行を目指していた。
何か大事のために送金をする訳でもなく、金が必要になった訳でもない。
ただ記帳しよう、と思ったため自転車に乗ってそこを目指していた。記帳は思い立ったらするに限る。
自転車は左側通行、また原則車道を走らなければならないというルールがある。自転車も軽車両とみなされるためだ。
私はそのルールに従い、自転車で狭い車道の端を走行した。
すると、軽自動車が私の横をかすめるほどに近く私の横を走る。
バン、と音が鳴る。
その瞬間私は自分が転んでいることに気がついた。
軽自動車にぶつからないよう、左側に自転車を寄せ過ぎたために歩道と車道の境目に設置されているポールにぶつかったのである。
私はその反動で車道に投げ出され、大きく前のめりに倒れていた。
やばい、後続車に轢かれる。私は脊髄反射よろしくそう考えた。いや、考えたというより脳が認識したと言った方が適切だろう。
私は死ぬのだ。
あぁ、律儀にルールを守ったから私は死ぬのだ。車道が狭いと分かっていて、歩道に歩いている人がいなかったのだから歩道を走行するべきだった。本質を捉えるべきだったんだ。ルールはルールであって、常に正しいのではない。自分の身を守るために本当に正しかったことはルールを破り、自分の身を危険に晒さないことだったのだ。

ーしかし、後ろを振り返れば後続車はいなかった。私は左尻の打ち身と左肘の擦り剥きを負っただけだった。
自分が死ぬところだった、と思うと同時にえも言われぬ興奮を感じた。これが死のスリルなのだろうか?
あぁ、死とは身近にある、後悔のある人生は良くない。
やりたいならやらなければならない。
「いつかやりたい」が存在するのは死の存在を自分と切り離して考えているからだ。
死は身近にある。
ハイデガーの言っていたことを本当に実感したように思える。

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