5年後「どこのお店のドーナツが美味しいかを教えてくれるお店を、評価してみました」

ネットワークを持ち歩けるようになって、8年くらいだろうか。手元にあるデバイスで調べごとができるし、誰でも投稿できるなんて、よく考えたらとんでもないことだなぁと、この前源氏物語を読みながら考えてました。当時は文ですからね、文。ビデオ通話なんて、光源氏もビックリでしょう。

さて、そんなこんなで情報を常に入手できるようになり、情報飽和社会なんて言われてます。たしかにありふれてますね。こんだけあったら、どれが正しい情報なのかわからないです。自分もよく「〇〇著者作品 オススメ」なんて調べますが、サイトによって違うので結局大して変わりません。そして今度は、正しい情報を見極めるための実用書やオンラインサロン、有料サイトなどが出始めました。

ここで、無料→信用× 有料→信用◯ と、世間は認識しました。いや、認識していたものが、サービスとして利用されて顕になりました。たしかに、お金かかったほうが良い情報なんだろうってのはわかります。が、「どのサービスを使うか」判断できるのでしょうか。

すると、
「どのサービスを使うか」を教えてくれる新たなサービスが有料化し、
「どのサービスを使うかを教えてくれるサービスの中で、どのサービスが良いのか」を教えてくれる新たなサービスが有料化していきます。

まぁ、これは妄想ですけど、極端な話そうかなと。判断できない人間がいる限り、そういったサービスの需要は上がっていくと思います。

つまり、これからも情報に踊らされていくか、自分で判断できる情報収集スキルと経験値を身につけようとしていくかで、これからの若者の将来って結構変わっていくと思うんですよね。

と、書いてますが、
僕の経歴もどんな人間かも書いていない時点でこの記事の信憑性は薄く、ましてや無料。
伝えたいことをいつでも発信できるが、より多くの人に伝えるにはお金がかかる世の中ですね。

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