観劇感想:冥婚ゲシュタルト2020(虚飾集団廻天百眼)

※ネタバレ大量

 ゲシュタルト=形。
 石井飛鳥氏は、異種婚姻譚という「様式」と、人と人でない者の戦いという「様式」を組み合わせて、新たなクトゥルフ神話の形を作り上げてしまった。
 前回の観劇感想(陰陽師 安倍晴明一最終決戦―)をご覧いただいた方には「またそれか」と思われそうだが、仕方ない。本作はあまりにも綺麗にクトゥルフ神話の「様式」に当てはまりすぎている。それでいて、提示された「形」は全く新しい物なのだから。
 尤も、当然のことながら氏がクトゥルフ神話を意識していたとは限らない。機会があればお尋ねしたいことの一つである……。

 あらすじは、難解なものが多い廻天百眼の作品のなかでは比較的わかりやすいだろう。

 帝都に暮らす青年・ヒラサカは悪友に連れられてとある秘密クラブに足を踏み入れる。そこでは「人形」と呼ばれる、科学的な方法によって生み出された、意志を持つラブドールが見世物にされ、時には残酷な方法で拷問・殺害されていた。そこで彼は虐げられていた人形、ヤエコに助けを求められ、なし崩し的に彼女の「主人」として逃亡劇を繰り広げる羽目になるというもの。

 さて、前回の観劇感想で私は自分なりのクトゥルフ神話の定義について記述した。
「人間とは明らかに違う異質な存在が人間を翻弄し、脅かすこと」「その存在は単純な武力で制圧できるものではないこと」の2点だ。
 人形は、これを恐ろしいほどぴったりとクリアしている。確かに彼女達は人と全く同じ見た目をしており、泣きもすれば恋もする。
 しかし、彼女達の祖先とも言える原初の人形「マリ」は愛した人間を殺害し、棺に入れて地下室に並べたという罪を犯した。そしてそれを語るマリに対し、「素敵ね」とうっとりとした様子で賛同するヤエコ。彼女達の愛情表現は人間のそれとかけ離れている。
 そして人形達は、マリよりも更に上位の存在、「ユミコ」によって見守られている。ユミコの存在について作中では明確に言及されてはいないが、「遠い昔、人間と枝分かれしたなにか」であり、人形の大元になる存在といって間違いはないだろう。
 人形達は人間の身体能力を遥かに超越しており、彼女達が本気を出せば、人間が止まっているも同然に見えるほどの速度で行動できる。(だが、人形は人間に服従するようプログラムされているので、彼女達は虐げられても反逆することができない。)そしてユミコは、その人形の速度を更に上回る領域に存在している。
 つまり、名状しがたい何かが地球よりも高位の次元に存在し、その徒達は明らかに人間とは異なる倫理観で行動しているのだ。
 そして人形の速度についていく方法は、作中世界での国家権力である「邏卒隊」が持つ加速装置を使用する以外にない。しかもこの加速装置すらも、永い眠りの果てに進化したマリの前では無力となった。
 この「明らかに異質」で、「単純な武力では制圧できない」人形達は、終盤マリと接触したことによってプログラムが外れ、人間を殺害し、人形に作り替えていくという暴挙に出る。人間がなす術なく侵略されていくのだ。
 ここまで語れば、クトゥルフ神話を一通り知っているという人ならば私と同じ考えに至るかもしれない。
 虐げられていた存在が自我に目覚め、支配者に反逆し、その世界を崩壊させる──古のものとショゴスが辿った道筋を、人間と人形もまた辿っている、と。

 これだけでもクトゥルフ的だが、ヤエコとヒラサカの関係もまたクトゥルフ的と言えるだろう。
 クトゥルフ神話における人間と邪神は、意思疎通ができないのが(例外もあるが)一般的だ。そして邪神に目を付けられた人間は、容赦なく一方的に翻弄される。更に目を付ける基準に至っては完全に邪神次第。クトゥルフ神話とは基本、理不尽である。

 物語の語り手であるヒラサカ青年は大変意志薄弱だ。ヤエコの美しさに心を奪われながらも、彼女を始末しようとする邏卒隊に頭を下げ、人形の生みの親であるハルミ博士に泣きつく始末。
 あまつ、最期は人形と化した周囲の人物と強硬に迫るヤエコの圧に負けて発狂し、人形にされてしまう。(物凄くディスっているようになってしまったが、演者である桜井咲黒氏がこの情けなくも人間臭いヒラサカの感情の動きを見事に演じきっている。)
 そもそも、ヒラサカがヤエコを連れ出したのも、彼の確固たる意志によるものではない。なにせ悪友に「何してんだよ!」と問われ、「わかんねえ!」と答えているのだから。
 そして、彼はヤエコに「魅入られて」しまったのでは?と思わせるシーンがある。それは最序盤、彼が秘密クラブの客に囃し立てられ、ヤエコを鞭打とうとした時に、彼女の顔を見て思い留まる場面だ。
 思い留まるだけでなく、彼は酷く青褪め、「こいつは、人じゃあないのか?」と呟く。時間が止まったような演出と、桜井咲黒氏の絶妙な間の取り方もあって、観客にもヒラサカが受けた衝撃が伝わってくる。(この空気感は見ないとわからないので是非体感してほしい。)
 劇中、彼がヤエコから離れるチャンスは何度もある。しかしその度に彼は後ろ髪を引かれ、必死になって彼女を逃がし、彼女を助けようとしてしまう。
 ラヴクラフトに限らずクトゥルフ神話小説を読んでいて、語り手は何故そんな危ない行動をするんだ?と首を捻ったことはないだろうか。またTRPGに親しんだ人であれば、怯えるロールプレイをしながらも嬉々として深淵に近づいていったことはないだろうか。
 人外に魅入られ、翻弄され、発狂する。ヒラサカは、探索者のお手本のようではないか。そんな彼が破滅するラストシーンは、恐らく人によって解釈が異なるだろう。

「クトゥルフ物に恋愛要素など邪道である」という意見を持つ方もいるだろうが、本作は恋愛である異種婚姻譚がクトゥルフ神話に不可欠である「人でないものに翻弄される恐怖」と結びついている。安易にとってつけられたものでは決してないのだ。

 現在、石井氏が劇を改めてカット割りし、編集をした「究極映像版」を準備中である。究極映像版の視聴権は廻天百眼公式サイトにて販売中で、購入すればずっと観られるので是非。(石井氏によれば大晦日には公開したいとのこと)

 なお、可憐でありながらも明らかに人間とは違う異質さを持つヤエコを演じるのは、陰陽師の感想でも言及させていただいたあの紅日毬子氏である。やっぱり……と思わずにはいられない...…。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?