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ツワモノの思い出

昔ノコギリクワガタを飼っていた。
小学校3年生くらいの頃だったと思う。
そんなに虫に興味があるわけではなかったけど、捕まえて虫かごに入れる喜びは人並みにあった。
深い茶色の甲殻、その名の通りいくつも牙が生えたハサミの、流線型の湾曲の美しさは今でも思い出せる。

僕自身よりも、兄がとにかく動物の飼育が得意で、兄に言われたとおりに土を作って、くぬぎの太い枝を入れて、餌をやってた。
兄が僕のために捕まえかたを教えてくれて、そのとおりに捕まえて、兄の言う通りに育てた。

近所にいた年上のお兄さんが、オオクワガタを持っていた。クワガタを喧嘩させようと言われて、ずっと嫌だと断っていた。
ただ自分のクワガタを自慢したいがためだけの自己顕示に付き合うのにうんざりだったし、なにより一応は大切に飼っていたのだから、無意味なストレスを与えたくなかった。
彼は多分、オオクワガタを武器かなにかのように思っていたと思う。試し切りがしたくてしかたがなかったのだ。
でもあまりに何度も誘われて、鬱陶しさからついに頭に血が昇って一度だけ勝負を受けた。

アスファルトの上にベニア板を置いて、二匹を対峙させる。
オオクワガタと、ノコギリクワガタの体格差は明らかで、この無意味な戦いで彼が死んだりしないかとひやひやした。オオクワガタのドス黒い甲殻がその時は悪魔のような威圧感をもって見えた。

勝負は意外な形でそれも一瞬で終わった。
にらみ合いのような対峙はごく一瞬で、それだけで相手のすべてを理解してしまったかのように、一切のためらいも見せずノコギリクワガタが猛烈に突進してつかみかかった。
ハサミの片方をがっしりと捕まえられたオオクワガタの体はいとも簡単に持ち上がって、ベニア板の外へと放り投げられた。

ノコギリはベニア板の上で、勝利の後もじっと動かずハサミを上に向けている。そこにどんな感情があるのかわかるはずもないが、それがとても頼もしく思えた。
兄貴のクワガタが勝ったのだ。人を誇るという気持ちを始めて感じた瞬間だった。

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あとで知ったことだけど。
虫の勝敗は「勝ち癖」とやらが大きな要因となるらしい。どれだけの戦いに勝ってきたか。勝てば勝つほど、どんなに小さな個体でも勝つことを覚え、負け癖のついた個体は、本来の種のポテンシャルを十分に発揮できなくなるのだそうな。
ノコギリクワガタは、琵琶湖のほとりにあるクヌギの木で採取した野生の個体で、一方ご近所の兄ちゃんの飼っていたオオクワガタは、ペットショップで買ったもの。
もしかすると、おぼっちゃまとギャングの喧嘩だったのかもしれない。飼い主のほうは、まったくその反対の構図なんやけど。


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