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「ビンテージ」という響きとその世界観に人生どっぷり浸かってしまうことになってしまったその日のこと。

さあ今日こそは!ビンテージへの道を突っ走りますよ!(願いごと)

ビンテージへの興味が先だったか、外国に行きたいと思ったのが先だったか。
どっちだったんでしょうか。とにかくボードウォークで同い年の古着屋をするふたりと出会って、それこそ毎週末ずっと時間をともにしていました。

徳島で週末に古着を売るパラソルマーケットでも時間を過ごしていたけれど、雨の予報のときや平日の夜はよく車に乗って徳島や高松のビンテージショップをめぐったり、カラオケ行ったり、仲間の家に泊まりにいったり。

なんとまぁ、あれだけ時間をともにして、よくも飽きずにいたなぁというくらいに古着のこと、これからやりたいこと、ここには書けんくらいアホなことをそれこそカラオケでも誰かの家でも、それから深夜のファミレスでも、濃厚接触しまくりながら話していたものです。これでスーパー銭湯行って、群れている大学生たちを見て「どうしてああもくっつきたがるんだろうか。。。。」なんて思ったりするのだから、すでにオッサンになっているのでしょう。認めたくはありません、いや認めているとか、まだ大丈夫とか言うている時点ですでにスーパーで言うたら「おつとめ品」というシールとともに売られているようなものなのでしょう。

ふたつのお店を覚えています。ひとつは徳島駅のそばポッポ街にあった古着屋Jというところ。あそこは確か自分ひとりで行ったんです。誰かに教えてもらって、大学終わったら夕方にでも行ったんだと思うんですよね。あのころはリサイクルショップなり、古着屋さんなり、思いついては自転車で行ったりしていました。

そのお店で、へぇやっぱりアメリカで買い付けをする古着は結構高いんやなぁなんて思いながらポリエステルの柄シャツを買ったんじゃないかなと思うんですよ。そうしてレジにお金を払おうと持っていったときに、僕が店に入ったときから軽やかな笑顔でお客さんにプレッシャーを感じさせることもなく、余裕たっぷりに見守ってくれていたエアロスミスみたいにモジャモジャで茶髪ロン毛のお兄さんが話しかけてくれました。

たぶん僕の持っていたシャツがこうこうこういうやつみたいな説明をしてくれていたんだと思います。そのときにね、僕もちょっと興味が湧いて、彼の後ろにかかっていた、だいぶ色褪せていて、ちょっと破れているところもあるのに妙に雰囲気のあるGジャンを見つけて、あれはどういう古着なんですか?と何気なく聞いたんです。

いま思えば、あれが運命の分かれ道でした。聞いたことに後悔はないです。けれども聞かなかったら僕の人生のベクトルはだいぶ変わっていただろうなぁとは確信を持って言えます。あーあ、あとの祭りとはこのころ。けれどこのおかげで僕の人生も祭りみたいになったようなもんだからそれでいいのか。

「あ、あれね。あれはすごいよ。LEEというメーカーなんだけど、すごく古いの。今から50年近く前のやつ。」

「へぇ。けどカタチはいまでもありそうなやつですよね?そんなに違うんですか?」

(どうしてそんな返しをしたんだろうか。へぇーぐらいに聴いていればよかったのだ!)

「ビンテージって知ってる?・・・・・・・・・」

そこからはエアロスミスの独壇場でした。


ビンテージとは歴史そのものだ。

その生地、パーツのひとつをとっても時代背景があらわれている。

いまでの作れないくらい贅沢なつくりかた。

当時の未熟だった技術だからこそ味わいがある。

ビンテージを着ることは、この服の歴史を着ること。


もう当時の僕にはゾクゾクするような言葉ばかりで、それはもう新たな世界のドアをバカっと開いたらそこにはとんでもないキラキラした世界が広がっていたようなもんです。

それからというもの、僕はリサイクルショップや古着屋にとにかくチャリンコで行きまくっていたと思います。そのときに、今では全国にあるセカンドストリートというリサイクル古着屋さんで、あの古着屋Jのレジ裏にかかっていたようなボロボロのLEEのジージャンを見つけて、たしか7000円くらいだったかな、当時の僕にはだいぶ勇気のいる金額で売られていたのをエイヤ!と買ったのを覚えています。あのGジャンもこないだ引き取ってもらったなかにあったな確か。


そしてもうひとつの古着屋さん。ここで受けた影響はもうずっと自分の人生に残っています。その名もNUTS(ナッツ)。佐古という徳島でもわりとイケてないと思われがちなふるーいお店がポツ、ポツとある地区の焼き鳥屋さんの近くにあった古着屋さんです。

確かイサムとダイちゃんがすでに通っていて、彼らに連れられて僕も行ったんじゃなかったかな。僕がまだ行ったことないアメリカ、そしてそこにある古着屋さんってきっとこんなとこじゃないかなという店でした。

コンクリートにペンキで色が塗られ、外にはおっきなアメリカのどこかのタイヤの会社の看板や、コカコーラの鉄のかたまりみたいな自動販売機(ビンのやつ)、そして鉄筋のところにはツタがからまっていて。ひらべったい流木みたいな板に小さくNUTSと書いて、それがぶらさがっていたんです。なんともかっこよかったな。どこにも古着屋ともなんとも書いてないんです。だからはじめて行く人にとってはめちゃんこ入りにくかったやろうな、僕は連れられて行けてよかったなぁという感じのお店でした。

そこのオーナーがヒロさんでした。ロン毛。いつもサングラス。ビンテージをびっくりするくらいたくさん持っていたのに、本人は割といつもおっきめのロンTにゆったりとしたジーンズか綿パン、そして冬はそこにガサッと羽織ることができるボアジャケットみたいな、アメリカに行ったあとならわかる、いかにもアメリカ人っていう感じのひとでした。

そういう意味でいうと、日本の古着好きが着る格好っていかにもコスプレという感じがするんです。人のことを棚にあげてまさに僕もそんな感じでした。映画や当時の写真にあるアメリカの人たちの格好をそのまま真似するって感じ。もしくはアメカジと呼ばれていたスタイルをお手本にしていました。チャンピオンのスウェットシャツに、下はリーバイス、それがレギュラーの501だったり、ちょっと色落ちが独特だったら、「あ、あの人ビンテージはいてるな」てな感じ。足元は僕はレッドウイングと呼ばれるレザーのブーツやコンバースをよくはいていました。

さて、このヒロさん。容姿だけ書くとなんとも怖そうな感じだったのですが、彼がまた愛されるキャラだったんですよね。ビンテージでも「そんなことはたいしたことないんだよ」という態度のヒロさん、僕が知らないほんとのアメリカを知っている人でした。彼はパースと呼ばれる、建物の外観図を描くのが仕事でアメリカにずっと住んでいたんです。そのきっかけの話もすごい当時の僕は痺れたなぁ。

「自分の憧れた建築事務所がロス(だったと思う)にあってね。毎日毎日そこに通ったんだよ。そうして外からずっと眺めてたんだ。そしてある日なかの人に声をかけていれてもらえて、そのときに“ここで働かせてほしい”って言ったんだ。」

彼が描いた作品を見せてもらったこともありました。なかには東京の有名なホテルの外観図もあって(たしか赤坂のホテルやったと思う)。こんなにすげーキャリアを積んだ人が徳島におったんや!というなかば憧れとともにそのいかにもアメリカンドリームな話に感動したことを覚えています。

時代は変わり、手描きからコンピュータに変わっていくなかでヒロさんも日本に戻って古着屋をすることにしたらしいのですが、いま思っても彼との出会いは僕にはおっきなものでした。

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↑古着屋Jの店内

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