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僕がフリーコーヒーをはじめたワケ。

企画書をつくり授業を担当する学校とスポンサーに説明する。
現地からテレビ電話で授業をする。
何月何日にはどこにいて、そしてどこから帰国する。

僕が自由を感じていた自転車旅は、いつのまにか、がんじがらめなものになっていた。それは確かに社会では必要なことなのかもしれないけれど、すでに僕の旅ではなくなっていた。それをごまかすために、これが僕の人生での役割なんだと言い聞かせていたのだ。僕はアメリカ大陸縦断旅を途中で切り上げた。

次に選んだ旅の舞台は日本だった。自分が世界の多くの国で感じる人間らしさと、街には人があふれているのにどこか寂しさを感じる日本。

そして生きるためにお金を稼がなくてはいけないという、どうしようもないルール。それらにむけて自分なりに旅で表現をしたいと思った。
それは僕が中南米で強盗と泥棒により2度も全財産を失い、現地の人に助けられ旅を続けることができた体験も大きく影響していた。

2018年6月、東京で全財産を銀行に預け、文字どうり無一文になった。
コーヒーセットを積んだ自作カフェテーブル付きのロングテールバイクが旅の相棒。このカフェバイクとともに、1円も持たずに僕は日本で生きていけるか?寂しさを感じる街で人と笑顔が集う場所をつくることができるのか?それが僕がこの旅を通して実験してみたかったことだった。

1円も持たない僕にとって、生きるために働く人が集う都心は恐怖だった。
逃げるように八王子まで走って、途方に暮れて、けれどもう生きるためにやるしかないと腹をくくってはじめた路上フリーコーヒー。
僕が日本でお金を持たずに生きる方法として選んだのは、すべての人に無料でコーヒーを振る舞うことだった。

最初の30分は誰にも見向きされなかった。
最初に来たおじさんには見事に怪しまれた。
お金をとらないなんて信じられないと。
けれどそのおじさんと話しながらコーヒーをいれて飲んでもらうと、まあがんばりなよ、と小銭をくださった。

そのあともぽつりぽつりと人がやってきては、みんなたくさん自分のことを話してくださった。みんな笑顔だった。
1日が終わったときに、僕の手元には差し入れの食べものと、コーヒー豆と少しのお金が残っていた。
そうしてお金を持たない状態から約1年間かけて北海道から鹿児島まで日本を縦断した。

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僕が次に目指したのは韓国だった。
連日メディアでは韓国のネガティブなニュースがながれ、僕が授業を担当している小学校でも子どもたちからは韓国に対するネガティブな反応がたくさんあった。

国同士ではいがみ合うことがあっても、そこに生きる人同士がお互いを嫌いになることは、僕にとってとても寂しいことだった。日本人として韓国でコーヒーを振る舞うためにフェリーで釜山に渡りそこからソウルを目指した。

3週間の旅でどれほど温かい言葉と笑顔、それに贈り物をいただいたことか。
「来てくれてありがとう。」
「日本人のことは嫌いじゃないからね。」
「あなたの行動に感動した。」
どの言葉にも気持ちがこもっていた。

そして日本国旗をつけて旅した3週間、一度も心ない言葉を浴びることはなかった。

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そして、僕は香港に向かった。
テレビでは暴徒と化した民衆が街を破壊するようなイメージが先行している香港で、僕はSNSで現地から状況を伝える個人メディアの人たちの投稿を見ながら全く違う印象を抱いていた。

そこにはいまとこれからを本気で考え行動する人たちの姿があった。
いまの香港の人たちにこそ僕のコーヒーを飲んで欲しいと思った。

悲しみや怒りや不安。それらの感情の行き場を失いつつあった香港の人たちに僕のコーヒーは届いた。日に日に集まる人が増えて社会現象のようになった。最後は群衆のなかでコーヒーをつくり続けた。

たった1週間でいただいた手紙や贈り物がダンボール3つになった。

僕はもうすこしこのコーヒーがもつ可能性を信じて旅を続けたいと思っている。コーヒーがつくりだす「余白」がきっといまの社会や人には必要だと信じているから。

つぎは2月。また僕は香港へ向かう。

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