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アンチヴィーガンを増やさない④

 前回のノートでは、動物たちのためにというヴィーガニズムの活動目的を忘れてエゴイズムに走っていないか?、リアルにお付き合いしてるノンヴィーガンの方への接し方と比べて顔の見えないツイッター上の他者への発言が節度のないものになっていないか?を常に自問自答したいということを書きました。その中で、文面が荒々しいことのデメリットにも触れたのですが、トーンポリシングだという批判があるかもしれないので今回はそれについて書きたいと思います。

正義中毒とは

 まずは最近知った正義中毒という言葉を紹介します。脳科学者の中野信子さんの造語です。自分と異なる考えや行動をなかなか理解できず許せないと感じてしまい「私は正しく相手が間違っているのだから、どんなひどい言葉をぶつけても構わない」という思考パターンが止められなくなった状態を指します。自らの正義に酔い、相手を一方的にけなすことに満足感を覚える快楽にはまってしまうと簡単には抜け出せず、その構造が依存症と同じであることからの命名です。

 脳科学的には、前頭葉のある部分が成熟していないと自分と異なる意見や考えを尊重することが難しいそうです。成熟するのに30歳くらいまでかかる一方、早ければ40代で加齢による萎縮が始まり、感情の抑制が効かない原因にもなります。ちょっと怖いなと思ったのは、脳の健康にはオメガ3脂肪酸の摂取が大事だそうで、ヴィーガンに不足しがちなものなので、私もキレる老人にならないよう気を付けたいところです・・・。また、自分と同じ意見の人は良い、違う意見の人は悪いと簡単に決めつけるのは、個別に判断する複雑な作業から逃げて脳がさぼっている状態であり、それをしないことが老けない脳を作るトレーニングにもなるそうですよ!

トーンポリシングとは

 トーン(口調、話し方)をポリシング(取り締まり)することで、話し方警察と意訳されることもあります。発言の内容ではなく、それが発せられた口調や論調を非難することで、発言者を貶めたり論点のすり替えをする行為を指します。歴史的経緯としては、差別や抑圧を受けている社会的弱者やマイノリティの怒りを伴う訴えを、抑圧者が侮蔑的に扱う様を指すものであるため、トーンポリシング行為は非難の対象です。

 ただ、最近はこのトーンポリシング非難が行き過ぎているのではという意見もあります。私も同意見で、特に正義中毒と絡むと問題だなと思っているので、関連を表にして個人的な評価を付けてみました。

トーンポリシングと正義中毒との関連図

 トーンポリシングは目的も行動原理も望ましいものではないので×評価にしています。トーンサジェスチョンはこのノート用の造語です。発言内容ではなく発言者の人格を誹謗中傷したりぞんざいに扱うような返し(コイツ、アホ、はぁ?など)や上から目線の物言いは、言われる側はもちろん、それを目にする周囲の人にも良い印象を与えないので、第三者が「言い方を変えませんか?」と提案する場合があります。この誠意からの提案は、トーンポリシングとは目的も行動原理も異なるので一緒くたにしたくないと考えています。とは言えこれも結局は非抑圧者の発言を抑えるものであり望ましくないという見解も多いようなので、△評価にしました。

 トーンポリシングを非難する目的は、抑圧者の卑劣な行為を抑止することなので、〇評価への異論は少ないかと思います。個人的に問題視しているのはトーンサジェスチョンの非難です。正義中毒に陥った主張者本人が、自分の暴言を正当化するために「口調を非難するのはトーンポリシングだ!」と言っている場合が多いように感じています。ひどい言葉を投げつけられる相手やそれを目にする人々の不快な感情を認めず、暴言へを吐くことへの意見や反論を封じ込めようとしている点で、トーンポリシングを行う抑圧者と行動原理的には同じに思えるのです。

 上の関連図は、トーンポリシングとひとくくりにされるものを、誰がそれをするのか?何の目的でするのか?という着眼点で自分なりに整理してみたものです。別の着眼点として、対象となる問題を時間軸で捉えてトーンポリシングの是非を論じているネット書籍を見つけました。とても共感したので一部を引用します。

 「トーンポリシングは良くない」という発想が生まれたのは1960年代 のアメリカ黒人差別問題などが源流だと思いますが、それってもう半世紀以上も前の話ですよね? そうやって「トーンポリシング」を一切拒否した姿勢で押すだけ押し続けてきて、果たして今のアメリカは、分断を超える相互理解が実現しているでしょうか?
<中略>
 「まず問題を周知するまで」は一切の妥協をせず、「トーンポリシング」 も拒否して強く訴える必要はたしかにあります。半世紀前のアメリカ 黒人 の悲惨な状況を考えれば、その当時にそういう発想で運動を行ったアメリカ 黒人たちのことは当然理解できます。
 しかし、いざ「周知」がある程度は実現し、社会がその解決に動き出し たなら、今度は「 受け入れ側の事情」もちゃんと精密に細かく受け取ってブラッシュアップしていくプロセスが必要ですよね。

倉本圭造. 「みんなで豊かになる社会」はどうすれば実現するのか?:
「レペゼンする知識人」による「自分軸ビジネス」が社会を変えていく
(Kindle の位置No.4493-4505). Kindle 版.

 2016年に一世を風靡した「保育園落ちた日本死ね!!!」という過激なブログは、その過激さあってこそ世間の注目を集め国会でも取り上げられたのであり、同じ立場の人はおそらくみな拍手喝采したんじゃないでしょうか。私は既に保育園探しに必死になる状況ではありませんでしたが、「こんなに少子化なのにまだそうなの?」と驚いたのを覚えています。6年経った今も解決には程遠い状態ですが、為政者やマスコミが意識を向けるきっかけには確実になったので、トーンをあえて無視した主張の成功例だと思います。

ヴィーガンの周知度

 ヴィーガニズムの目的は動物搾取を無くすことなので、問題は非常に多岐に渡ります。搾取形態によっては、まだまだ周知が足りない面もあります。倉本さんの論理に従えば、トーンポリシングを拒否して強く訴えなければならないのかもしれません。しかしながら、ヴィーガン食に対する国の対応については、思いの外動き出していたようです。

ベジタリアン・ヴィーガン議連のブログ
https://www.vege-vegan-giren.jp/blog/20210511

 このノートを書くために調べて初めて知ったのですが、オリンピックで大量の外国人観光客が訪れることを見据えた超党派の「ベジタリアン/ヴィーガン関連制度推進のための議員連盟」(通称ベジ議連)が発足していました!しかしこの議連、明らかに活動が尻すぼみしている・・・。昨年5月12日の「世界初! 国家が主導するベジ・ヴィー規格(ベジJAS)プロジェクトチーム始動」という華々しいブログを最後に続きがない・・・。なんじゃこりゃ。

 「東京でオリンピックとパラリンピックの大会が開催されますが、海外からも多くの旅行者が都内を訪れる絶好の機会を最大限に活かし、」で始まる設立趣旨の中には驚くべきことに「動物」という言葉が全く出てきません。オリンピックの観光客対策がメインだったので、無観客になったことで尻すぼみしたのですかねきっと。

 一方、官僚側は「農林水産省ベジタリアン又はヴィーガンに適した食品等JAS制定プロジェクトチーム」の仕事を着々と進めてくれたようで、この春にもベジタリアンとヴィーガンのJAS規格ができるそうです。プロジェクトの内容は、生活文化ジャーナリストの加藤裕子さんの一連のノートで詳しく知ることができます。

 しかし、こちらのノート以外にはあまり情報が見つかりませんで、それもちょっと謎です。ベジ議連のブログも加藤さんのノートの縮小版のような内容で、そのノートにリンクまで貼られていました。個人のノートが最大の情報源ってどうなんだ・・・。

 上のノートを読むと、規格制定に際して動物への配慮はあまり感じられず、「人間のライフスタイル」にしかフォーカスされていない感じが悲しくはありますが、少なくともヴィーガンJASマーク付きの製品にゼラチンが使われているというようなことは起こらなさそうです。製造業者が直接使用する1次原料、1次原料を製造する事業者が直接使用する2次原料までは動物由来の食材及び添加物を使用していないことを確認すると規定されるようです。「いかなる段階においても」と規定するのはエビデンス入手の負担が大きすぎるという理由で断念されたようですがやむを得ない落としどころかなと思いました。

 JAS規格については、きっかけも動機も内容もアニマルライツ・アニマルウェルフェアとは離れたところにあり、動物搾取削減が目的になっているわけではないところが残念ではありますが、大手スーパーにヴィーガン食品が増えつつあったり、官公庁の食堂や民間のファミリーレストランにヴィーガンメニューが登場するなど、食事については社会が少しだけ良い方向へ動き出したと言って良い状況ではないでしょうか。

現時点での社会通念に照らした理想の食事とは

 現時点の日本において望ましい食事とされているのは、「肉や魚を主菜、副菜は野菜、主食に穀物をバランス良く摂取」しつつ乳製品や果物も摂るというものです。厚生労働省と農林水産省の共同により平成17年6月に策定された「食事バランスガイド」に沿って学校給食なども作られています。肉や魚を食べることは禁止されておらず、むしろ推奨されています。牛乳についてはヴィーガン以外からも批判が多いですが、飲んだ方が良いとされていますし、この年末年始などは政府が消費の働きかけをしていたくらいです。

農林水産省HP掲載の食事バランスガイド

 今、動物性食品を摂取している人々は、物心ついた時から当たり前のように与えられてきた食生活を続けているだけであり、今現在もそれは望ましいことだと公に認められています。人種差別や女性差別における抑圧者のように、現代の社会通念に照らして罪だと考えられていることを法の網を潜り抜けながら功名にやり続けている一部の卑劣な権力者ではなく、人口の大半を占める普通の人々です。動物搾取の問題については、全く知らない人から、相当ひどいことが行われているらしいとおおよそ知ってはいるが気に留めない人、実はかなり罪悪感を持っているが周囲との関係や習慣を変えることへの不安から菜食に踏み切れない人まで様々でしょう。いずれにしろ、動物のための菜食主義者が「屍肉を貪る動物虐待加担者どもめ!」のような暴言を投げつけていい人々では決してありません。前のノートでも触れましたが、ネット上でそれに近い発言をするヴィーガン食実践者も、リアルにお付き合いのあるバランス食実践者にはそんな風には言っていないとしたら、内心では理解しているはずです。いくら攻撃しても自分の立場が脅かされる心配がないネット上の他人にならいいと考えるのはエゴイズムだと思います。

学術的研究成果は万能ではない

 オックスフォード大学が、2016年に「食肉消費を大幅に削減すれば、環境にも健康にもよい」という研究結果を発表したそうです。

 この論文を紹介した上の記事の見出し「ベジタリアンは、地球温暖化を抑止できる」はちょっと飛躍があるな~と思ったという話を書いて今回のノートを終わろうと思います。

 この論文が言っていることは、最初に書いた通り「食肉消費を大幅に削減すれば、環境にも健康にもよい」ということだけで、どうやって食肉消費を大幅に削減するのか?といったことついては一切触れていません。実際にそうなった場合には確実に発生するであろう食肉産業の雇用等の諸問題への対処にも触れません。論文の概要の最後は次のように締めくくられています。

However, significant changes in the global food system would be necessary for regional diets to match the dietary patterns studied here.
しかし、各地域の食事をここで研究された食事パターンと一致させるためには、世界の食料システムの大幅な変更が必要になるでしょう。

https://www.pnas.org/content/113/15/4146.full

 「え~!なんかちょっと結論が無責任!」と笑ってしまうのは私だけでしょうか?この論調でなら、「マイカーを大幅に削減すれば環境にも健康にも良い」とかいろんな研究成果が出せそうですよ!😆とあえて意地の悪い発言をしてみましたが、もちろん本心ではありません。学術研究とは何らかの仮定を置いて、もしこうしたらこうなるという推論を証明するものなのでそれで良いのです。それが研究機関の役割であり、その研究成果を後ろ盾として方針を決め、舵を取り、実際に世の中を変えていくのは為政者や企業経営者の役割だと思います。
 研究成果にはいろんなものがあり、相反する結果を導き出していたりもします。権力者が都合の良いものだけを拾い集めて好き勝手できないように、私たちは選挙に行くことで為政者を選び、買い物という投票をすることで企業に意思を伝えることが必要ですよね。為政者に望む政策を実施させ、企業に望む製品を作らせるためには、投票数を増やさねばなりません。つまりは以前のノートと同じ結論に立ち返りますが、仲間を増やさなくてはならないのです。

 今のヴィーガン人口では全然数が足りません。大多数を占めるバランス食実践者に何とかこちらへ歩み寄ってもらわなければなりません。そう考えれば、例えばこの研究成果を紹介する場合も「ひれ伏せ肉食者どもよ!」みたいなものではなくて、「菜食にはこんないいこともありますよ!」といったものの方が良いかと思います。本当は、環境よりも人間の健康よりも動物たちのために菜食者が増えて欲しいのですが、環境を良くすることは野生動物たちのためにも良いことなので、時には環境ヴィーガンにもなります😉

 ここまで読んでくださってありがとうございました😊今回もまたアンチヴィーガンの話がほとんどできませんでしたので次回へと続きます・・・😅

 最後に、タイトル画像に引用させていただいた宮沢先生の固定ツイートの全文を掲載させていただきます。


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