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◆線維筋痛症について1

私が線維筋痛症を発症して今年でおよそ10年目となります。
10年たった今でもやはりまだ原因が不明みたいですが

なんとなく私の世界線は今年の冬非常に寒そうなので
近しい世界線にいる同じ状態の人たちの痛みが
少しでも緩和するといいなと記事を書きたいと思いました。

私が線維筋痛症を発症したのはまだ正社員で経理をしていた20代の時でした
今思えば、夏くらいから車の運転の際に足が攣りやすくなったり
手にした物をよく落とすようになったりしていたのですが

夏バテかな?や疲れてるからかな?と初期症状を見過ごしてしまいました。
そしてその年の冬はとても寒い冬だったのですが
ある時両足が攣るという珍しい症状が友人との買い物中に起こり
その後、歩くのもしんどいくらいの激痛が起こる時間が長くなっていき

友人に「普通じゃない病院に行ってきたほうがいい」

と言われ様々な病院にいくも

原因不明で、酷い医師には「仮病なのでは?」
とすらいわれた事がありました。

現時点で日本の医師がこの病気をどの程度認知しているのか不明ですが
私が発症した当時この病名を知る医者は数%しか日本にいなかったという
事が後になり判明しました。

どうりでどこに行っても病名すらつかなかったわけだ。

そしてこの激痛さらに酷くなり
ついには「箸を持ってご飯を食べることすらできない」状態になりました。

痛みで眠れないため(今思い出してもあの痛みはもう体験したくない)
朦朧とした意識で仕事をしていました。

そう、私これでも仕事を続けていたのですよね😅

まあ、結果としてこの年の3月に退職することになりましたが
退職理由は病気とはまた別の理由でした。

この時期、私はガイドさんなどがチラチラみえていたのですが
幽霊との違いがわからず全てを無視。
幽霊の中には悪い物もかなりおり怖い思いを何度もしていたため
基本的に無視する事が一番安全だったのですよね😅

きっと疲れているからこんな幻聴が聞こえるんだと思っていました。

私の他の記事を読んでいる方からは想像できないかもしれませんが
私はいわゆるバリキャリに該当しておりかなりの現実主義者でした。
物質的に見えないものや確証のないものは一歳無視が通常運転。

今では考えられないような性格をしていました。
ほんとかなり無理をして作り固められたキャラクターだったなと思います。
今やれって言われても絶対嫌ですから(笑)

私の場合、痛みは「アイスピックで全身を刺され続けるような痛み」
に非常に似ていました。

それが腹痛と一緒で、痛い中にも波があり
痛いー激痛ー痛いというのを繰り返していることがなんとなくわかりました。

当時はまだ機能不全家族から完全離脱できていなかったため
洗脳も酷く「箸すら持てない自分は本当に無価値だ」
と毎日泣いていました。

いやいやいや、病気なんだから仕方ないし
それで価値がないとかないし
そもそも価値は自分で決めるものよ(⌒-⌒; )

と今の私ならいう(笑)

ある時、この痛いみはいつまで続くの?
となんとなく誰かに聞いたことに対して

「2年で終わる、だから諦めないで」と謎の女性の声が聞こえたのです。

種明かしをするとこの女性の声は「今の私の声です😅」
実際に私のこの激痛は2年で緩和されたのです(笑)

ただ、なんで2年も必要だったのかは後々わかるのですが
私はこの女性の声をなの疑問もなく信じ2年なら頑張ろうと

激痛の中行動することを諦めませんでした。

この2年で、どうやったら痛いみが緩和するのか
なぜ医師はこのような発言をするのか
様々な薬の副作用、漢方や運動での緩和方法
生活する上で何をどう気をつけたら痛みが増さないかを

まとめ上げることができたのでした(笑)

おそらく私の仕事は
「当事者になって緩和方法をまとめ上げて」だったのかなと

このまとめは実は別のブログでだいぶん前に挙げているので
そちらをみているかたもいるかもしれませんが

何せ私は世界線をふらふら移動しており記憶が曖昧です(笑)

ペアの彼にも「君はいつも彷徨っている」と苦笑されています。

なのでその時書いたことと微妙に違うことやそこからまた数年たった
事で分かったことなどもあるのでまた記載していきたいと思います。

今回は前説明となり具体的なお話はまた次にUPさせてもらいます。
ごめんね、私も全快したわけではないためあまり疲れると
痛みが悪化してしまうことを知っているので

でも必ずあげるからお待ちくださいm(_ _)m


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