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身体にそこそこ気をつけてるわたしが食養をはじめた話3

「20歳までは親の顔。20歳からは自分の顔」

大学生の時にゼミの先生に言われた言葉だ。

当時もなんとなく納得をして、20歳になった時に「これからは自分の責任でいい顔にしていくんだな」と心に決めたものだし、働きだしてからも30歳を越えた時も、我が身を振り返るときはこの言葉が出てきた。


最近またふっとこの言葉を思い出した時には、前の印象と少し違う感想を持って、そこに「食」という要素が加わった。親に食べさせてもらう時期と、自分で食べ方、食べ物を選んでいく時期。食を変えていくことで自分の身体の環境、思考、出会う人たち、もちろん顔つき身体つきが変わった経験があったから、あぁこれは食のことだったのかもしれないとすら思えた。持って生まれたもの、育った環境、食べてきたものをベースにしてそこから自分次第で変えていけるんだという前向きなこの言葉がわたしは好きで、その変化していく手助けをしてくれる1つが、「食」なんだと今は信じている。

それにまだまだわたしは食の力でもっといい顔になりたいと思ってる。

話は変わってもう一つ、最近興味深かったのは、排毒について。身体に不調が溜まった時に外に出す手段として「排毒」と言われる状況がある。鼻水や下痢、便秘、熱、目やに、涙、肌荒れ、湿疹等で排出をしていくと言われていて、毒のたまった場所、臓器によって排毒の場所が変わる。例えば鼻水だったらこれまでに摂取してきた乳製品やスパイスなどの刺激物の量が多すぎたと判断できたり、身体の左半身にでる症状であれば身体が陰性に傾きすぎてると判断できたり、親指ならこの臓器、人先指ならあの臓器といった風に身体のどの部分に出るかで臓器との関連がわかるなんて面白い。もちろん病気という形もありがたい排毒の一つだと、わたしはやっぱり信じている。

排毒は心にも当てはまる、ということを最近知ってすごく腑に落ちた。イライラは肝臓の排毒と言われているし、引きこもりや鬱でさえ、臓器の排毒症状だという。

これを聞いて、どう思う?

ストレスが心の病を引き起こすことは、一般的な共通の認識であると思うけど、ストレスや食生活、暮らし方によって、臓器が負担を感じ、それを改善して元どおりに戻そうとする中で、心の(身体の)一部を休ませる、その結果が鬱や引きこもり症状だとしたら?本人の心が弱いわけでもなく、身体の声を忠実に守れる繊細な感覚の持ち主だということになる。

これを思いながら、身体ってなんて素晴らしいんだろう!って感激するのはわたしだけではないはずで、身体の神秘性にますますわたしは惚れ込んだ。もちろん人それぞれの意見もあるだろうけれど、「誰かの心は弱い」と決めつけるよりも、「今はこうゆう状態だけど食で改善できる、今は体が休憩する大切な時間だ」って思える方がよっぽど気持ちがいいと思う。

「20歳からは自分の顔」

いつまで経っても自分の人生に責任を持っていい顔でいられる自分でありたいなと思う。


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