統一教会には軍事部隊がある 有田芳生氏
転載
有田芳生氏が極秘資料を公開。旧統一教会「非公然軍事部隊」のメンバー・経歴・自衛隊への浸透…日本を破壊するカルト集団の危険性
https://www.mag2.com/p/news/565072
「警察庁は統一教会を反社会的集団であると認識している」とテレビ番組で指摘し、教団から名誉毀損で訴えられたジャーナリストの有田芳生氏。その「反社会性」の根拠は、霊感商法や高額献金、宗教二世といった個人の被害にとどまりません。有田氏が独自に入手した捜査当局の「重点対象一覧表」には、テレビや新聞が報じない、すべての国民が知るべき驚くべき事実が記されていました。メルマガ『有田芳生の「酔醒漫録」』の中で、その「極秘資料」を詳しく分析し、紹介しています。
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警察当局が警戒。軍事勢力としての統一教会
1960年代後半から70年代にかけて、韓国の統一教会系企業が、日本に散弾銃(鋭和B3)、空気銃(鋭和3B)を輸出し、日本の信者が銃砲店を全国で経営(文鮮明教祖によると38店舗)していたことに警察当局は注目していた。
仙台では住宅地に会員制の射撃場まで持っていた。こうした施設は名古屋、大阪でも営業がはじまり、会社員だけでなく自衛隊員や警察官も会員に登録していた。文鮮明教祖が「趣味産業を作れ」と信者に命じたのがきっかけだ。教祖の好きだった釣りの延長でマグロなどの卸業をアメリカや日本で展開したように、ハンティングも好んだから、散弾銃などを製造するようになった。
だが冷戦下で「勝共」という強烈なイデオロギーを精神的支柱とする信者たちは、「趣味」の域を超えていった。早大原研メンバーが、「70年安保」を前に空気銃で「軍事訓練」したのも、当然の道筋だった。原理研究会の会員たち(信者)が銃砲店を通さずに「鋭和B3」1000丁を所持したいと申請したが、警察庁生活安全部保安課によって認められなかったと信者たちには伝えられている。
「重点対象一覧表」で当局が監視していた要注意メンバーたち
捜査当局が作成した〈統一協会重点対象一覧表〉というA4版3枚の資料がある。ここには52人の統一教会関係者が実名で記録されている。時期的には平成8年(1996年)秋以降にまとめられたものだと記述からわかる。
まず総論的に全体の特徴を見ることにする。最左欄は「氏名 生年月日」、その右に以下の項目が続く。「本籍 住所(電話番号)」「活動拠点 職業 勤務先(所在地・TEL)」「活動歴」「犯歴」「免許」「身体特徴 写真」「猟銃」「戸籍」「脱会」「備考」。以上の11項目だ。
名前を見ると、統一教会幹部として教団の宣伝物などに登場する者もいれば、一般にはまったく知られていない人物も多い。私はこの資料に何度も眼を通していて、「オウム真理教の次に統一教会を摘発する準備をしている」と語った警察庁と警視庁の幹部が口にしたある言葉を思い出した。
警察庁と警視庁の幹部から「オウム(真理教)の次には統一教会を摘発する。その準備をしている」と聞いたとき、私はいくつかの質問をしている。そのひとつの答えが「(組織内部に)相当の情報源ができた」というものだった。
統一教会組織の核心部分に情報提供者を作ることができた。私はそう理解した。2人の警察幹部は、公安部門の担当だったから、捜査員を通じて監視対象組織の内部に情報提供者を育てることもしばしばだったという。
相手の生活上の不満や弱みをつかみ、ときに金銭も動く。いわゆる「エス」(組織の内通者)だ。その手法を統一教会でも実施したのだろう。具体的証言によって事実を収集していく。それが捜査の出発点だった。そうでなければ、これほど組織内部の機微にわたる情報は入らない。
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MA氏の活動歴に「勝共の非公然軍事部隊」の文字
捜査当局による〈統一協会重点対象一覧表〉は、なぜか「アイウエオ」順ではない。名簿のいちばん最初に記録されたのは、「MA」氏夫妻(資料では本名)だ。統一教会関連ではよく知られた人物で、主として国際勝共連合の仕事をしてきた。
私の持っている別の資料では、1941年生まれのM氏は入信(1958年あるいは1963年。諸説ある)後の1960年代に統一教会の北海道地区長、北海道青年連合会原理 研究会会長、1969年ごろ国際勝共連合の全国組織部長、全国遊説隊長、さらに1971年に統一教会総務部長、1975年2月8日に韓国ソウルで行われた1800組の合同結婚式に参加、のちに国際勝共連合の副理事長、事務総長を歴任、さらに統一教会系企業「世一観光」の代表取締役についている。
統一教会が関連組織との人事交流を行なっており、霊感商法などの経済活動はやっていないという教団の弁明は、人事の動きを見てもありえない。関連組織は教団本体の「防波堤」なのだ。この「MA」氏は、夫婦で国際勝共連合の仕事を中心に活動してきた。
しかし捜査当局は、この人物の「活動歴」には、そうした事実はまったく書かず、驚くべきひと言がそこには記されている。「勝共の非公然軍事部隊」。
私が国際勝共連合で幹部だった人物に問うと、「MA」はある身体的なクセがあるので演説や講演も上手くなく、ゴルフや接待をする姿が印象的だったという。この「MA」氏の次に記録されているのが1954年6月10日生まれの「IH」氏だ。捜査当局は自衛隊のなかに統一教会と接点のある3人の人物がいたとの情報をえていた。そのひとりである。
IH氏は陸上自衛隊出身、海外義勇軍にも参加
捜査資料には「IH」氏は1982年に市ヶ谷の(陸上)自衛隊第32連隊を除隊し、防共挺身隊から分派した大日本誠流社本部に所属、同会の国防問題研究会の議長を務めたとある。この団体は、タイのカレン独立義勇軍などへの支援も行ってきた。「IH」氏が、ケニアの反共義勇軍に参加していたことを捜査当局は確認している。
さらに1986年の参議院選挙全国区に所属団体から32歳で立候補、落選。宗教遍歴 は不明で、妻は捜査当時「統一協会等宗教関係なし」とある。ところが捜査当局は、「IH」氏を「統一協会の軍事部隊」所属だと認定していたのである。妻とは1988年に真言宗の集まりで知り合って結婚。しかし1990年1月29日に奈良の寺で一酸化中毒死している。享年36。一般的に右翼構成員には活動に行き詰まって自ら生命を断つ者がいる。ただし捜査当局は「IH」氏が自殺だったとは断定していない。
3人目には1953年10月10日生まれの「KH」氏で、「統一協会の軍事部隊」とあり、1982年にはケニアに行っていたことが記録されている。4人目が1952年11月19日生まれの「HI」氏。同氏は上記の「IH」氏と同じく1982年に市ヶ谷の自衛隊を除隊、やはり「統一協会の軍事部隊」とある。5人目の1955年4月24日生まれの「MK」氏は、早稲田大学政経学部卒業で、「軍事部隊関連者 」として「勝共の自衛隊工作の幹部横田某の部下で自衛隊員に対する勝共倫理浸透と情報の収集」を任務としていたとされる。
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捜査当局がターゲットとしていた「統一教会の暗部」
〈統一協会重点対象一覧表〉の1枚目には、19人が登場する。そのうちの5人が早稲田大学の原理研究会の出身で、3人が「軍事部隊関連者」、1人(女性)が「軍事部隊関連者M(注、「MA」氏のこと。資料では本名)の下で国会議員の渉外担当」とある。
別の人物の「備考」には「軍事部隊のMA(資料は本名 )の下で第一補佐」ともある。〈一覧表〉の最初に「MA」氏があるのは、「軍事部隊」を統括しているとの情報があったと推測できる。ちなみに「国会議員の渉外担当」は、国際勝共連合では「PR TEAM」といい、赤坂の事務所から定期的に議員会館を訪ねてロビー活動を行うことを目的とした。
2枚目以降の捜査資料には「自衛隊出身 入隊中統一協会と関係を持つ 自衛隊では要注意人物 銃申請者(韓国銃)」とされた者もいれば、「陸上自衛隊」の現役で、姉が「鋭和銃砲店勤務」、しかも上記「要注意人物」がその銃砲店から統一教会系の「鋭和銃」を購入した疑いもあると記録されている。
こうして〈統一協会重点対象一覧表〉には、(1)早稲田大学原理研究会出身者が10人、(2)自衛隊出身者4人と現役が1人リストアップされていた。さらには1973年に旧ソ連に渡航、社会主義国の教育機関であるルムンバ大学を卒業し、帰国して国際勝共連合事務局長を務め、警察との関係では暴力行為や公務執行妨害で逮捕歴のある「KA」氏の名前もある。
捜査当局はいったい何のために人物を特定して〈統一協会重点対象一覧表〉を作成したのだろうか。捜査資料の誤りもふくめて、統一教会の何をターゲットにしていたのか。その核心問題を検討していく。
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