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自分にとって大切なこと

動かないで後悔するくらいなら、動いて後悔する

27歳の時に転職した。それまでの仕事は自分の意思で決めた職種ではなかった。事情により就いた仕事は、生活の糧を得るための手段であり、何より流されるままに生きてきた自分には選択肢は無かった。
25歳を過ぎた頃から、その事情や環境のせいにして愚痴ばかりになった。
周りの同世代と比べて、いかに自分の境遇が不公平か、その差のせいで自分の人生が思い通りにならないんだと卑屈になっていた。

ある時、ふと気付いた。
あぁ、このまま他責にして愚痴ばかりの人生は嫌だと思った。
どうせ後悔するなら、自分の意思で動いて後悔しよう。
そう思って転職を決めた。自分の中で30歳までに正社員になるという目標を掲げた。

2年で正社員になれなかったら転職しよう

幸いなことに何社か面接を受けて転職先は決まった。ただし契約社員。有期雇用だった。
2年で正社員になれなかったら転職しようと決めて、積極的に仕事に向き合った。
前職とは全く違う職種だったので知らないことばかりだったけど、自分で選んだ仕事だったから頑張れた。1年目は仕事を覚えることに必死だった。2年目を迎えたときに当時の上司にあと1年で正社員になれなければ転職することを伝え、そのためであれば何でもすると宣言した。
結果的に、2年で正社員登用されることになった。

自分と同じ思いはさせない

転職して1年を迎えるころには後輩が出来ていた。離職率が高く人の入れ替わりが多い職場だったからだ。
先輩方は、辞める奴が悪いというスタンスで、誰も改善しようとしない。人が入っては嫌になって辞めていく。そんな文化が根付いた職場だった。
分からないことを聞きに行くと、なんでそんなことも分からないんだと取り合ってもらえなかった。
だから、自分より後に入ってくる後輩には、同じ思いはさせないと決めた。
同じ質問でも分かるまで説明して理解できるまで付き合った。新人教育のやり方も変えた。
あるとき後輩に助けてもらったお礼をしたいと言われた。もしそう思ってくれるなら、君の後輩を大事にして欲しいと伝えた。
いつか君の後輩が活躍して、君のお陰だとどこかで話をしているのを耳に出来たら、それが1番の恩返しだよ。

出来ないと言わない。出来る方法を考える

業務や職場の改善を進めようとすると、必ず反発が起きる。変化にはストレスが伴うからだ。出来ない理由を探すことは簡単で、それっぽい理屈になる。
それを打破したのが、当時の事業部長の言葉「出来ないと言わない。出来る方法を考える」
この言葉は今でも行き詰まったりすると立ち返る考え方だ。

悩んだときは、勇気のいる方を選ぶ

人生は選択の繰り返しだ。重要な場面での選択は本当に難しい。悩んで悩んでそれでも選ぶことが難しいときは、勇気のいる方を選ぶようにしてる。
困難な選択をした方が、きっと自分のためになるはず。そうやって今まで選択してきた。今のところ、正解な気がする。

1%でも自分が笑ってる姿が想像出来る方を

人が集まって運営する職種柄、たくさんの人と関わってきた。
管理される側から管理する側へと役割が変わり、少人数だった範囲も大人数になった。
必然的に悩みや相談ごとを聞く機会が増える。
そんなときは真剣に相手のことを考えながら話を聞く。いろいろとアドバイスしたり、ときには厳しいことを言ったり。
でも、最終的に決めるのはその人。だから最後は、1%でも自分が笑ってる姿が想像出来る方を選ぶようにしてもらう。
1%の可能性は、2%の差になる(49%:51%)

家族より優先順位の高いものはない

どうしても家族より仕事を優先しなければならないときがあると思っていた。幼少期はそういう価値観が当たり前だったというのもある。
時代が変わり価値観も変わり、今では家族より優先順位の高いものはないと思っている。
自分の部下には、どんな時でも家族を優先するように伝えているし、そうしてもらっている。仕事なんてどうにでもなる。


自分にとって大切なことは、その時々で変わってきたし、それで良いと思っている。
こうして振り返ってみると、その時々に大切にしてきたことの積み重ねが、今の自分にとって大切なことになっている。


これからも大切なことを積み重ねて生きていこう。





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