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少年Aと少女B

カウンターの中の初老の人。
いわゆるマスターというものなのだろうか。
丸いガラスの不思議な装置に
珈琲豆をセットして
ゆっくりとかき回している。

厨房では若い男が
オレが頼んだナポリタンに
ハムとケチャップを
ふんだんに入れた。

カフェが主流の現代で
ここだけ時が逆流しているような錯覚を受ける。

お待ちどおさま。

意外にも オレの方が先にきた。

珈琲は目の前のガラスのなかで
ぽこぽこと音を立て 吸い込まれて行った。

お待ちどおさま。

ナポリタンでも
珈琲でも全く同じように抑揚もない
お待ちどおさま。

なんだか少し安心するのは何故だろう。

湯気をたてている目の前のナポリタン。

誰かが作った熱々の飯なんていつぶりだろうか。

腹が減ってるというより
胸が空いているんだいつも。

真ん中に巣食う虚無。

食っても食っても 
永遠に埋まることのない穴のよう。

「いただきます」

小さな声。隣からだった。

耳心地の良い声だなと思う。

いただきます。

オレも慌てて 言い慣れない言葉を口に出した。

オレンジ色の湯気にフォークをザクッと入れ
口に運ぶ。

初めて食べたナポリタン。

みんなが言う懐かしい味とは
これなのか。
このことなのか。

味だけではなく
このお店の空気や
お店の人の息遣いも
全て相まって
懐かしい訳はないはずなのに
懐かしく感じてしまう。

オレの記憶のもっと深く。

まだこの世界に生まれてくる前の
遠い遠い意識が刺激されている。

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