私は戦わない。
国内外の情勢を見ていると、我が身や大切な人たちを守るためには『戦う必要がある』というところに意識が誘導されそうになる。
戦い争いあった結果の先に【真実の解決】が無いことは、私たち日本人ならよく理解しているはずなのに。
「戦わない」とは、ただ成り行きを諦観することでは無い。
ある人の言葉や考えに、私はNOというだろう。けれど、それが開戦の合図には、本当はならないはずである。
相手を打ち負かす必要ってあるんだろうか?
お互いと当事者以外のみんなと"全方よし"の方法を探すのでは駄目なんだろうか?
人には、言葉と知性と心がある。
他の動物たちにはない、戦う以外の方法を持っているのに、それを使えないならば獣と同じなんじゃない?
思いやり・尊敬や尊重・真心からの愛
これらの"当たり前"が"綺麗事"になってしまっていることに気づけば、見える世界はきっと変わるはず。
タンザニアのある村人たちの精神性の高さが紹介されている動画です。
(縄文人?の話はさておき)これこそ、私が探し求めていた愛だ!と感激すると同時に「何でそうやって生きられなかったんだろう」と悔しくて悲しくて号泣しました。
ぜひ、1人でも多く必要な方に届きますように🙏🏻
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