見出し画像

シェルターをぼくらに

人が、良く変わるためには何が必要か。

厳しさ?志?学び?
それらも重要なエッセンスであることは間違いない。しかしわたしは、まず何よりも、シェルター(の存在)だと思う。

「良くなりたい」と思う人間がいたとして、その人が厳しく鍛えられているのに、まるで改善効果がないとしたら、その人にはシェルターが足りない。
ヌクヌクと贅を尽くすための、ではない。
最低限の、自分が自分としてのかたちを認識して保っていられるだけの、自分のかたちを客観的にみつめて受け入れるだけの、世界への根源的な絆、ともいうべき、最低限の、心理的安全シェルターだ。

それが無い、という人など、この世にいくらでもいる。あるいは、ずっとあったけれど、ある一時的に無くしてしまった、ということもありうる。
生まれてこの方、シェルターの存在などないという人もいるかもしれない。この場合、シェルターの概念を知るための道のりは遠く、時間を要する。
「既存の"見たことのないもの"」を心に描くことはほとんど無謀に近いからだ。
なにかの幸運によって、ふと外部から「もたらされる」のを、待つしかないのが実態だと思う。

私は、我ながら、精神発達の遅れた人間であったと思う。今もそうだ。
世の中の多くのことが、ピンと来なくて、いつもぼんやりとしていた。
友達、という意味もよくわからずに、一度そのコミュニティを抜けたらそこでの縁は切り捨てて、ブツ切りの自我を生きてきた。何度も何度も、社会的に生まれ変わったように思う。

なぜそんなことをしていたかといえば、怖かったからだ。
好きになると言うことが、一体全体、怖かった。
誰かを、じゃない。いや、それもあるが…何より一番は、自分を、だ。

自分を好きになったら、自分に不利益を与えてくる人間を、いよいよ許せなくなって、最悪、殺してしまうしまうと、幼い頃は本気で怯えていた。

親には、「餓鬼(ガキ)であるお前は働きもせず家庭に寄生するだけの奴隷・穀潰しなのだから、人権などあるわけがない。親である俺に刃向かうな」というようなことを繰り返し言われて育った。
ガキであるだけで人権がないからこそ、大人になるための「教育」の一環で殴られることは、正しく思えた。

ガキでも世の大人と対等な人権があり、愛されるべき存在なのだ、などと少しでも信じてしまったら、とてもではないが今、目の前で自分を殴り、罵倒するこの大人を許せるはずがないと、本能が知っていた。殺したくなるかもしれない。でも、その人は親で、自分のシェルターで、代替不可能な存在だとも、本能で知っていた。
だから、自分を好きだ、などと、どうか思わないように。この環境にまずは耐え、逃れられる時が来るまで、精神を壊してしまわないように。嘘でもヤケクソの気休めでもいいから、なにかいま殴られるロジックが欲しかった。

自分が殴られ、罵倒されるロジックは、「穀潰しの餓鬼だから」そんな詭弁でも、無いよりは、100倍よかった。しっかり騙されているうちは、不思議と心安らかだった。

反面、気が狂いそうだった。己を騙し続けるのも、時間と共に、どんどん難しくなっていった。
まともな思考とか、人との絆とかいうことは、まだ考えられるステージでもなかった。
その状態が、フェードアウトしつつも社会に出るまでは続いた。
私の精神発達は、遅れに遅れた。
友達の意味を知り、仲間の意味を知り、パートナーの意味を知るころには、40手前になっているだろうと、いまでも真面目に思うのだ。

30手前になった今、友達の意味はわかってきたのだが、パートナーとか、家族といった概念は、いまだに本質的にはよくわからないので、そこが40まではかかる、と感じている。

映画「PRISON CIRCLE」との出会い

「言葉を失ったあとで」と言う本を、最近読んだ。敏腕の心理カウンセラーと、虐待を描いたドキュメント小説などを書く気鋭の作家の対談をまとめた本なのだが、とにかくタイトルに惹かれて本屋で見かけて即購入した。

「言葉を失ったあとで」
その先が、気になった。

言葉を、私も、失い続けてきたのだ。しかし大事なことは、いつもその「あと」だ。
苦しく、死にたくなる経験は、おそらく誰にでもある。言葉にならない日々もある。だが、その「あと」はどうなる?
その「あと」にこそ、無限で孤独の人生が続いていく。嵐が過ぎ去った土地で、我々は何を求め始めればいいのだろう? 何かを欲しがる練習など、まるでしてこなかったのに、だ。

本は期待通り、ページをめくるごとに胸が熱くなる言葉たちで埋め尽くされていた。対談の2人の言葉は、それぞれに思慮深くて、冷静で、正確で、ゆえに残酷で、そして愛に満ちていた。

そして、各章の終わりに、参考となる書籍や映画の紹介コーナーがあった。
実録ドキュメンタリー映画「PRISON CIRCLE」は、そのうちの1つとして紹介されていた。

見た瞬間、「見なければ」と強く思った。これは、私に必要な物語だと直感した。

犯罪を起こした人々の、懲役期間によりそった実録ドキュメントで、ボカシが入ったり、仮名で紹介されたりするが、彼らは本物の加害者たちだ。

そこにこそ、私の知りたいものが、「殴る側の気持ち」があるのだと思った。
そして、そこに描かれていたものはやはり、圧倒的に「被害者」であり続けた果てに「加害者」となった、シェルターなきひとたちの生き様だった。
あまりにリアルで、言葉が無かった。

私は、実は、もう、知っていた。
「加害者」とはつねに、どこまでも救いのない、往年の「被害者」であること。

被害が日常になり、シェルターもない。そんな時、唯一の理性の逃げ場として「加害」が、ふと首をもたげてしまうのだ、ということ。
知っていた。私は、その片鱗をこの身で悟った瞬間が何度もあったからだ。
そして、私を罵りながら私を殴る親が、自身の子供時代を語るのを聞くにつけ、彼こそがまた、限りなく被害者であり続けたのだとも、知っていた。

私は誰を、責めたらいいのかわからない。そう思った時、だれをも責める必要がないと考えるようになった。

被害意識こそが、加害を正当化する。
それこそが、事実と向き合わずに過ごす、それらしいロジックとなる。
だから、精神発達が遅れていく。
そのことに気づき出した。

おまけ

どうでもいいが、今日私は、嬉しかったことがある。

前回の冬の失恋を、はじめて、「あれは失恋だった」と思えたことだ。
何か理由があって相手と疎遠になっているわけではない。ただ、縁がなくて、疎遠になった。それをふと、ストンと理解できて、真っ当に、胸の中心がグサリといたんで、2秒後には、笑っていた。
なんで、笑えたのか、

おそらく今日の昼、仕事で会った人たちが、私の心のシェルターになっているからだった。今日の昼、仕事の人たちと久しぶりに会って、「この人たちと働けて幸せだな」と、噛み締めていたところだったから、失恋したことを思い出したけれど、いつものように目を逸らさなくても怖く無かったし、胸が傷んだけど、2秒後、誇らしかった。

私には、シェルターがなかったけれど、それは幸運によって、たびたび、「外から」もたらされた。
シェルターを失うことも、あまり怖くなくなった。
シェルターは、無いと生きていけないが、代替不可能ではないと知ったのだ。

この記事が参加している募集

今こんな気分

この経験に学べ