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暫定、いま愛してるもの(7月)

日々感じてることって、書き残しておかないとサラサラーっと溶けて流れていってしまう。もはや思い出せなくなる。
私は暇な時や不安になった時にはよくフォトアルバムを見返すのだけど、写真に残した思い出は何度も振り返るので意識が強化されて経験的血肉になっていく感じがする。「ああ、あのときの点と点が繋がっていま線になったんだな」と振り返れる。でも、忙しかったり気恥ずかしかったりして写真に残さなかった日々は、文字通りなかったことのように扱ってしまう。最近、LINEのアルバム機能のことを思い出して、友達が作ってくれていた過去のアルバムを見たら、私がフォトアルバムに保存していなかったいろんな私がそこにいて、「ええ、こんな時間も過ごしていたんだ」「けっこういい笑顔で笑っているじゃない」とちょっと衝撃を受けた。
気づかなかったけど実は足元にあった宝物に気づいた感じ。いまここにあることの豊かさにじんわり浸されていくような。「もう色々持ってたじゃ〜ん」っていう、最高にハッピーな裏切りみたいな。持つべきものは友。そしてフォトアルバム。

大好きなものごととの距離感について、ずっと考えている。これは私のライフワークでもあるし、仕事でもある。つまり、「愛しさ」と、それを最大の鮮度で保つための「距離」について、いつ何時も推し量り、哲学/科学/文学しつづけることが、この人生で私がやりたいことであるように思う。

①友人Aとの距離感

失恋したての友人Aの家に泊まりにいった。Aの彼氏が使っていた部屋は、いまは客室となっていた。その部屋にごろんと横たわり、彼らが過ごした短い日々と、出された結論について想いを巡らせる。
恋愛は、あるときに「始まって」、あるときに「終わる」、期間が区切られた、ふしぎな関係だ。わたしはそれがどんなかんじなのか、未だわからないけれど、私にとってAは、ある時から「気づけば」友人として始まり、私たちの関係は強くなったり弱くなったりを繰り返してきたが、「終わった」ことはない。そして、今後、仮に疎遠になることがあったとして、そのことを取り立てて「終わった」などとは呼ばないだろうと思う。私にとってAは、いつのまにか友人として始まり、そして私が死ぬそのときまで、ずっと友人であり続ける存在だ。ケンカをしようが、疎遠になろうが、終わることはできない類のもの。恋愛もきっと、そうであればいいのにと思う。世間やステレオタイプがしきりにパッケージしようとし続けている「恋愛」という市場は、いまや過剰パッケージ状態だ。Amazonもびっくりの、ゴテゴテ梱包祭りだ。本来は、「いつのまにか」始まり、そして死ぬそのときまで終わることのない「恋愛」ってものも無数にあるはずなのだ。いや、もしかしたらそんなことは全員知っているのかもしれない。私だけが知らないことがこの世界にはまだまだあるのだ。
Aは、思ったよりもあっけらかんとしていた。そして、その暮らしぶりはとても頼もしかった。これからもAは恋愛をしたりしなかったりするだろう。その横顔を、私はこうやってたまにお邪魔して、学ばせていただく。そんな距離感が、私にとっての彼女への節度ある「愛し方」なのだろう、と思ったりした。

②友人Bとの距離感

イラストレーターの友人Bが、あたらしいマガジンを始めた。何年ものあいだ、コツコツ制作を続け、そして発信してきた、Bらしい、Bにふさわしいサイズとデザインのマガジン。わたしはそのマガジンの成り立ちを、とりわけ美しく思った。
私は数年前に彼女と共同でつくったブログのことを、たまに思い出す。私と彼女の共通点をすりあわせて、そして共につくろうとしていたブログ。結局のところ、私は彼女と一緒になにかをつくれることがうれしくてしかたなかった。そして、そのことが(ブログでなにかを発表したいという意識より)目的としては強くなっていた。私はただ、彼女のいい友達でいたいのだ。だからそのブログは(私の中に目的がなくて)続けられなかった。
彼女には、彼女の内側で燃える「続けたい創作のカタチ」がある。わたしはそれを、共同創業者として同じ土俵で伴奏することはむずかしいかもしれないと思う。けれど、それを愛することはできる。何の足しにもならないかもしれないけれど、深く愛することはできる。私は、この距離感を誇りに思い、いまは気に入っている。

③陶芸教室との距離感

昨年の8月から、ほとんどすべての土日を、陶芸教室で過ごしている。コロナにかかった時と、じいちゃんが死んだ時以外は、休んでいない。陶芸講師としての自我が生まれてから、もうすぐ1年になる。正直、いつまで続けるのだろうかとつねに思う。やめることは容易い。私が入ってから、何人もの新しいスタッフがやってきて、そして何人も辞めていった。それを、長く続く村の村民のような気持ちで、ただただ見届けている。定年後の活動を求めてやってきた元陶芸家のおじいちゃん、フリーター生活のなかで偶然にやってきた風来坊お兄さん、進学までの繋ぎでお金を貯めにきた学生さん、家計を支えながらもほそぼそとライフワークの陶芸を続ける主婦。あげ出したらキリがないほど、彼らの人生はどれもが違っていて、うつくしい。30分のお昼休憩の時間に、彼らの話を聞く。その時間が、私にとっては宝物のように愛おしい。
それから、次々とやってくるお客さんたち。彼らもまた、まったく違う前提を生きていて、それぞれの物語を背負ってやってくる。初々しいカップル、大喧嘩中のカップル、セレブママとその自由な子供、元気な女子会チーム、くせの強いアート系おじさん。私は毎回、陶芸教室に行くだけで良い。彼らがいろんな物語を見せてくれるのだ。私にとって、陶芸教室は映画館みたいなひみつの箱だ。そこでは、毎日違ったフィルムが上映されている。見飽きたと思った映画でも、ひとつとして全く同じ体験はない。
そもそもは、働いて少し学んで、資金を作ってから、自分で陶芸作品を販売しようと考えていた。働きながら勉強したら、自由に自分の作品を作ろうと、自宅に環境も整えた。でも、いざ整えてみると、私はきみょうなことに気づいた。陶芸教室をやめたいとは、ぜんぜん思っていないのだ。私は、なにを愛しているんだろうか。
お昼休憩の時間に聞く、スタッフたちの物語? 毎回やってくるお客さんたち? どんなに眠くても面倒でも同じ時間に起きて、同じ道を通う通勤路? 
たぶん、そのどれをも今は愛している。
自分で選んで、自分で続けている活動としては、おそらく初めてのものがこの複業だ。私はこの選択を心から愛おしく思っている。
そして、陶芸教室を支配する「制約」のこともまた、心から愛している。陶芸教室では、使う土や釉薬の種類が決められている。作る時間が決められている。作れるデザインが決められている。こうした制約は、ビジネスとして効率的に教室を運営するためにオーナーによって決定されたものであるが、それは実にクリエイティブな「作品」だと日々感じる。不慣れなお客さんが毎日やってきて、最小限の説明で最大限に楽しめるバランスで、運営コストと両立できる塩梅とはどこなのか。それを365日ずっと考え続け、アップデートし続けられている今の教室のルールは、丁寧に積み上げられた建築物みたいに美しく、作り手の情熱と市場の需要にもとづいている。私は、オーナーのつくった「ルール」という作品のファンなのだ。
自分の家にスタジオを作り、さて自由になんだって作っていいとなった時、そこに私のつくりたいものなんかないと、皮肉なことに、まざまざ気づいてしまった。
私は、美しいルールがつくりたい。私にふさわしいルールを。いまはそれを探すために、私と創作の距離感を知るために、陶芸教室に通っている。

暫定、いま愛してるもの(7月)