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備えあれば

今日は熊本地震の前震があった日だ。5年前、4月3日に埼玉から熊本に引っ越してきて、11日目に地震がきた。幸い、我が家は地盤の強い地域で、揺れた方向も良かったのか、棚が倒れることもなかった。ただ冷蔵庫が動いた拍子に冷却ガスが出なくなって、中の物がどんどん溶け始めたのと、水だけはしばらく出なかったのが痛手だった。

最近、また嫌な感じで鹿児島付近に地震が頻発している。少し前から、意識して備蓄をしているが、まだ不完全だ。

とにかく水がないのは不便だった。かろうじてお風呂の残り湯があったので、それをバケツに入れてトイレに置いておき、用を足したらそれで流して、また次の人のためにバケツに残り湯を入れておく。どんどん目減りする水を見ると、どうなっちゃうんだろう、と不安になった。2番目に近い小学校で、水が出るという情報を聞いて、ポリタンク二つ持って車で駆けつけると、もう校庭は車で一杯、人の列も何列も長いのができている。それでも1時間並んでいたが、自分の番が回ってくる直前に、水が出なくなった。えー!と思ったが、仕方ない。義母が元気な頃にたまに行っていた、美味しい水を売っている所までダメ元で駆けつけた。そこは穴場で、ポリタンク4つ分の水を買うことができた。

しかし、何せ美味しい水だ。基本は煮炊きに使う。やむを得ず食器洗いなどで使った水は、捨てずに風呂桶に入れて、トイレ用の水にした。汚いとか言ってられない。

数日経つと、お風呂に入りたくなってくる。開放している温泉施設がある、というので、朝5時から家族3人駆けつけたが、そこもすでに長蛇の列、おそらく待っていれば昼には入れるかと思ったが、諦めた。貴重な水を鍋で沸かして、お湯を作り、それでタオルを濡らして体を拭いた。我が家はまだ良い方だ。プロパンガスなので、すぐに火は使えたし、電気もすぐに復旧した。家にもいられる。全て壊れて、車中泊をしている人もたくさんいた。それを思うと、文句など言っていられない。

雨が降りそうだ、となると、やった、水が手に入る!と鍋やゴミ箱まで動員して水を貯めた。近くの川を通りかかると、男の子達が川の水をバケツに汲んでいる。水の綺麗な熊本は、その手もあったのか!と目から鱗。幸い、川に汲みに行く前に、すぐ近くの大学で水が出ている、という情報を聞きつけ、義父と二人で8往復して、風呂桶一杯の水をゲットした。ようやくそれで、山のような洗濯物を久しぶりに洗うことができた。

数日経つと、ようやく水道が復活した。新しい冷蔵庫も届き、我が家は何事も無かったような生活に戻った。それでも、周りはまだまだ生活を立て直すメドも立たないまま、避難所や車の中で暮らしている人が多かった。せめて少しでも出来ることを、とボランティアに参加して、支援物資を配ったり、避難所の掃除をしたりと出来ることを探した。娘の高校は、OBからも支援物資が潤沢に届いた。大変なところに分けてあげたい、とトラックに食糧などを積んで益城に向かった人たちが、荷物を積んだまま、憤慨して帰ってきた。人数分ないから受け取れない、と言われたそうだ。なんて融通がきかないんだ、そこに困ってる人がたくさんいるのに!と呆れた。今思えば、濃い人間関係がある地域だからこそ、遠慮や譲り合いで、自分だけ受け取るわけには、という空気があったんだろう。程なく、福岡市役所からだと思うが、ボランティアの指揮を取る人が支援に来てくれ、物資の流れもスムーズになった。当事者が何から何までやろうとするのは難しいんだな、と初めて知った。

という経験を踏まえて、我が家が何より備える必要があるのは水だ。次に電気。今度はすぐに復旧するかわからない。太陽光を貯められるスマホ用の充電池は用意した。ガスは多分大丈夫。煮炊きはできるはずなので、カップ麺などはあまり必要ない。日持ちのする食材をローリングストックしている。体拭き用の大判のウェットティッシュ、簡易トイレも用意した。あとは、これらを少しずつ増やしていく。密になるのを避けたいので、避難所には行かず、なんとか家で過ごすつもり。持ち出しリュックは作っていない。そんな風に、我が家流の備えを考えられるようになったのも、震災を経験したおかげだ。毎回同じようにはいかないかもしれないが、いざという時何が必要かは、やはりそれぞれの環境で違う、ということはわかった。

何も起きないかもしれない。でも、備えておけば安心して今の暮らしに集中できる。今日も少しずつ、備えておこう。

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