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【八月のスーベニア感想】あの夏を追いかけて

2022年7月20日にリリースされた水瀬いのりさんの4thアルバム「glow」より八月のスーベニア。
同アルバムを引っさげてのglowツアーを経て思うことが色々とあるので感情を書き殴ります。
感想というより妄想。よろしくお願いします。


■はじめに

八月のスーベニアを初めて聞いたとき、癒えていない傷口を触られるような生々しさ、痛みを伴う曲だなと思いました。

アルバムの発売から約3ヶ月が経つこのタイミングでこのnoteを書こうと思ったのは、前述の通りglowツアーを経て感情がおさえられなくなったからです。
夏の約束→八月のスーベニアという流れで悟りを開き無事死にました。対戦ありがとうございました。
まあ要はglowツアーの八月のスーベニアが好きすぎたという話なんですけどね。


■曲解釈

まずはそれぞれの曲に対する私なりの捉え方についてざっと。

○八月のスーベニア

君と過ごしたあの夏を思い出す一人の夏という解釈です。
登場人物は僕と君。君は亡くなっているんじゃないかなと思います。

この曲、過去の視点と現在の視点があってそれがちょっとわかりにくい。私の中では一応こんな感じです。

赤線が君と過ごした過去の夏の記憶で、青線が現在の僕の行動や心情。無地のところは、過去と現在どちらでとっても話が繋がるため、自分の中で明確な判断がついていない部分です。

何らかの形で君を失い一人取り残された僕が、君との夏を想って空を見上げる曲。
スーベニアには記念品、土産物という意味があるらしいですね。土産物の方の意味から盆の話なんだろうかと思ったりもしました。

一つだけ解説します。
八月のスーベニアには三度「空が綺麗だった」という歌詞が登場します。
このうちの一度目と二度目が「よく晴れて空が綺麗だった」という歌詞、そして三度目が「泣きたいくらい空が綺麗だった」という歌詞です。
私は、「よく晴れて空が綺麗だった」のは君と過ごした過去の夏で、「泣きたいくらい空が綺麗だった」のは僕が一人で見上げた現在の夏だと捉えています。
なんでかって言われたら、そう考えた方がエモいからです。根拠もクソもありません。

「泣きたいくらい空が綺麗だった」といっていますが、泣きたい理由は本当は「空が綺麗」だったからではなく、別の何かがあったからだと思います。「空が綺麗」は建前です。
「見上げたらさ雲一つないからなんだか急にさ泣きたくなった」って歌詞が2番にありますよね。このとき、なんで僕は泣きたくなったんだろうって。

見上げた青い空に無性に腹が立った経験ってありますか?私はあります。
他人からしたらちっぽけなことかもしれない。だけど私にとってはとても大事なことで、悩んでつらくて苦しくて。それなのに目の前に広がる空は快晴。雲ひとつない青空。
自分はこんなに苦しんでいるのにどうしてって思ったこと、ありませんか?
そのときの感情に似ていると思いました。

もうこの世界に君はいないのに、そんなの関係ないと言わんばかりに空はどこまでも青くて雲ひとつすらない。
僕にとってはたった一人の君でも、世界にとっては取るに足らない君なんだと。ちっぽけな悔しさと君がいない悲しさ、そういった感情が混ざり合って僕は泣きたくなったんじゃないかと思います。

あとはあの日君と見た綺麗な空を思い出して泣きたくなっているのかもしれません。あの日と変わらない空なのに、今君はここにいない。そんな僕の気持ちを誤魔化すように、泣きたい理由を綺麗な空に押し付けたのだと思います。

長くなりました。
詰まるところ、君といた夏を想って僕はひとり孤独に包まれるということです。泣きたくなるほど君を想っていたということです。


○夏の約束

甘々な一夏の恋愛ソング。二人の恋のはじまりを描いた曲です。
「恋は独り占めするほど苦しい/せつない」という歌詞にもあるように、恋をするからこそ出会う葛藤や悩みも描いているのがめちゃくちゃ好きですね。
そういう時間も含めてアオハルを感じさせる曲です。甘甘甘です。オタクには縁のない世界の話なんですけどね。

細かい解釈とかはなくて、歌詞通りに捉えていい曲だと思ってます。特にこれ以上書くことないので終わります。文量に差がありすぎますが許してください。
夏の約束は甘々恋愛ソングです。


■約束と夏

さて、よくわからん解釈を書いてきましたがそろそろ本題に。
glowツアーではこの2曲を夏の約束→八月のスーベニアという曲順で披露したわけですが、これにより私の中の八月のスーベニアの解像度がより上がりましたという話です。

夏の約束で僭越ながら(?)小さく指切りをしたあとに、八月のスーベニアのイントロを聞いてあー夏つながりねーなんて油断してた私、息してますか?

2曲続けて聞くことでそれぞれの「約束」の意味を分からされてしまいとんでもないことになりました。

夏の約束で交わしたまだ何も知らない甘い一夏の「約束」八月のスーベニアで交わした泣きたくなるほどの悲しい「約束」

夏の約束ではどんな約束をしたかは明かされていませんが「また会う日までの約束」という風に明言されています。夏の約束とあることから、恐らく夏にまつわる約束なんじゃないでしょうか。それこそ、「また一緒に来ようね」なんていう。

はい、どこかで似たフレーズを聞いた覚えがありますね。
そうです、八月のスーベニアです。
「また海に行きたいな」と君はそう笑って言いました。それに対する僕の返答は何だったのでしょうか。

言っていましたね。
笑いながら「絶対約束だ」って。
透き通る青みたいに言ったって。

八月のスーベニアの約束が、本当に「また海に行きたいな」ということに関する約束だったのかはわかりません。
重要なのは約束の内容ではなく、結果なので。

恐らく、この八月のスーベニアで交わした約束は果たすことができなかったのだと思います。
君が旅立ってしまったことによって果たすことも破ることもできなくなってしまったのだと思います。

同じ「約束」でも重みが違います。
夏の約束では、無限のように思える時間の中でまた果たせると信じて疑わない、そんな甘い「約束」。
八月のスーベニアでは、もう二度と決して果たすことのできないと知っている「約束」。

そんな二つの約束を立て続けにくらって何を思うでしょう。
私はひたすらに心が苦しかったです。

要は夏の約束→八月のスーベニアと繋げることで、八月のスーベニアに出てくる「あの夏」が、より具体性をもった「あの夏」になってしまったということなんですよね。

必ずしも「あの夏」が夏の約束で過ごしたような甘い夏だとは限りません。しかし、そのような夏だった可能性がないとも言えません。
もちろんここの捉え方は個々の自由です。夏の約束の世界線と同列で考えるもよし、全く違う世界線だと捉えるもよし。私は全くの同じ世界線だとは思っていません。

しかし、八月のスーベニアに登場する過ぎ去った「あの夏」が夏の約束のような甘い夏だった世界線を想像して、感情がおかしくなったのも事実です。 
過ぎ去った「あの夏」が甘ければ甘いほど、八月のスーベニアで迎える「夏」はひどく切なくて苦しいものに感じます。

だって甘い「あの夏」を一緒に過ごした「君」はもう、ここにはいないのだから。

やってくれたなと思いました。
めちゃくちゃに泣きたくなりました。

■君と夏

glowツアーでの八月のスーベニアについて語りたいことがもう一つだけ。完全にただのオタクの感想なのでへーくらいでお願いします。

なにかというと、イントロとアウトロの「ハッ」という部分についてです。
この部分、音源ではしっかりと「ハッ」という音を発していたのに対して、ライブではほとんど息を吸う音だけで表現していたように感じました。なんなら発音してないんですよ、「ハッ」っていう音を。
hの子音だけでaの母音はもういなかった気がする。

んでこれの何がやばいって、すごく切羽詰まった音といいますか、少なくとも普段の生活の中でこんな音で息を吸いはしないだろみたいな音なんですよね。

この「ハッ」を聞いて思ったのは、泣くときの息の吸い方だなって。
しかもただの泣くときじゃなくて、もうどうにもならないくて、感情に押しつぶされそうなくらい苦しいときの泣きというか、息ができないんじゃないかってくらい何かが押し寄せてきて、それが決壊するときの泣き方に聞こえたんですよね。
わかりやすく言えば慟哭の前の一瞬の音。
声が詰まって、それが決壊して、自分じゃない何かが溢れ出すときの音。

たぶんここまで考えてるの私だけかもなんですけど、そう思った瞬間に感情がおかしくなりました。
泣きたいのを空が綺麗なことで誤魔化していた僕から出た悲痛な叫びだとしたら。
まじでやったなって感じです。素晴らしかったです本当に。

イントロとアウトロで歌っている水瀬さんの表情が見えないようにしているのも憎いほどに素晴らしい演出ですね。
表情が見えないからこそ、僕はどんな気持ちだったんだろうなって余計に色々と考えてしまいました。

曲中では決して泣くことのなかった僕が、君と夏を想って流した声がこびりついて離れない。ほんとうにつらくなってしまった。なんなんだこれ。


■最後に

長くなりましたがここまでお付き合いいただきありがとうございました。
衝動から書き始めた今回のnoteですが書いてる側としてはめちゃくちゃ楽しいですねこれ。
曲の解釈なんて10人いれば10通りですから、そのうちの1人が突然クソデカ感情解釈を放り出してもなんら問題はないはず。知らんけど。

水瀬さん関連でまともな文章を出すのが初めてなのでびくびくしてますが、おもしろいなーってちょっとでも思ってもらえたら嬉しいです。泣いて喜びます。締め方がわからない。

読んでくれた方、ありがとうございました。
水瀬いのりさん、並びに楽曲提供者の藤永龍太郎さん、僭越ながら曲をお借りしました。素晴らしい楽曲をありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

では。