歌は絶えた。

昨日は、花の金曜日。
なんて今時は言わないのかもしれないが、友人とお酒を飲んだ。
たまたま金曜日だっただけで、花でもなんでもない。

友人は、どんなカテゴライズにも属さないようなタイプの人で、その考え方や行動などが、とても自分には理解不能なところがある。
合理主義者
といえばいいのだろうか。
現実的とは言えない事を平気で言ってのけるから、ある意味痛快で、ある意味空恐ろしくも感じる。
そんな友人と酒を飲んで、話題になったのは『絶歌』についてだった。

「なに?お前読んでいないの?本好きなのに。」
と、開口一番言われた自分は、なんとなく口ごもってしまった。
手に取るには少し躊躇してしまう件の本。
以前、『死刑でいいです』という本を読もうと思ったときは、それほど躊躇はしなかったけれど、これについてはなんとなく踏ん切りがついていないというのが自分の心情なのだ。

「ん〜。読んでみたいかどうかと言われると、読みたい気持ちがある。っていうのは、あるよ。でも、世間一般で言われるように、読むって事は、酒鬼薔薇聖斗を応援するような気持ちになるんじゃないかって、なかなか読もうって思えない。」

そのほかにも、いわゆるテレビのワイドショー的なところで、読む人間を批判しているのを聞くと、そんなものかと思うところもないばかりでもないから、なんとなく躊躇していたという事もあるのだけど、何となく友人に馬鹿にされそうな気がして、言えなかった。
そんな風に正義を振りかざしたりすると、バッサリ切られるからなぁ。

そんなこちらの意図を見透かしたのか友人はニヤッと笑って、
「ふぅん。それって、被害者の気持ちを考えていないとかっていうやつか?それとも、事件の事を書いて印税生活をするなんてとんでもないっていうやつか?」
まさにその通りだった。やっぱり、ついてくるよな。こいつは。
「まぁ、それもあるけどさ。そもそも、犯罪を犯した犯罪者がその犯罪でメシを食うっていうのは、如何なものか?って思うじゃないか。」
思わず突っかかるような事を言ってしまった。自分にだって去勢をはりたい気持ちはある。それを理解してもらおうとは思わないが、友人がそういう自分の心情を理解できない類の人間である事については、悲しくも自分は理解していた。

「まぁね。なんだっけ?なんとかの息子法?とかいうやつだろ?それは、そういう法律を整備していない国会の怠慢だよな。で、そういう国会議員を送り続けている自分の責任だから、読まない。か?」

自分がなにも言わないでいると続けて友人は言った。

「法律論なんか正直どうでもいいんだけどさ。なんていうかな?表現の自由というよりは、知る権利?それだって大事だと思わないか?」

友人は続けてこう言った。

今いろんな事件の報道があるけど、犯人の顔写真とか全然でないじゃん。出ても、学生の頃の卒業アルバムの写真とか、誰かの結婚式に出ていたときの写真とか、全然リアリティがない。
いつどこで誰がどういう理由で逮捕されたっていうのは、国家権力が誰に対してどういう理由でその権力を行使したって事だろ?
で、その結果、こういう取り調べが行われて、こういう裁判が行われて、例えば、どこどこ刑務所でこういう服役をして・・・とまぁ、そういう事も含めて知る権利だよな。
やつはさ氏名とか人相とかは少年法とかいうもので、公表はされなくても、その後、どういうところでどういう生活を送ったのかっていう事は、知ってもいいんじゃないのか?

そうはいっても、それを知らなければいけないという事もないだろう?
それによって、誰かが傷つく事であれば、なおさら知らなくてもいい事なのではないかと自分は思っていたのだけど、と、反論すると続けてこう言った。

あのさ、世の中に「知らなくていい事」ってあると思う?
ないんだよ。「知りたくない事」っていうのはあっても、「知らなくていい事」っていうのは、ないと思うんだよね。
そういうのは、専門家に任せておけとかいう輩がテレビのワイドショーに結構出ているけどさ。そもそも、専門家ってなにさ。専門家に任せればいいって、どういう理屈なんだろうな?
要は、興味本位で何にでも首を突っ込んで、人を傷つけるなとかいうんだろうけど。そもそも、専門家なんて、そんなに信用していいもんかね?

専門家が信用できるか?
そう言われると、なにも言えなくなってしまうところだけど、あえて反論してみた。

「そうは言っても、お前だって身体の具合がわるければ医者に行って、医者が処方した薬を素直に飲むだろうよ。」

「すべての医者を信用できるのなら、セカンドオピニオンなんて言葉は存在しないはずなんだけどなぁ。」

悔しい。
そういえば、子供の頃『専門家』っていう感じを『てんなしくちなし専門家』って覚えたよな。
専門家と言われる人を信用するなっていう事は、自分自身いろいろ知っているはずなんだが、痛いところをやはりつかれてしまった。

あのさ、知りたくない事から逃げて、誰か任せにして、自分の事を守って欲しいなんていうのは、社会人としてはどうなんだよ。
酒鬼薔薇聖斗の現在の境遇とか、名前とか、印税額なんかググればいくらでも出てくるよ。知ろうと思えばいくらでも知れる。それを知ってもなんとも思わないんだけど、あぁいう輩が、どういう風に産まれてくるのかっていうのは、知っておいたほうがいい。結果、それがやつの懐を潤す事になっても、正直なところ、自分にとっちゃぁどうでもいい話なんだよな。
他人の懐が、どれだけ潤おうと自分にとっちゃなんの関係もない事だろ?でも、自分の子供がそうなる可能性はゼロじゃないし、うちの隣の子供がそうなる可能性もゼロじゃない。だから、知っておくべき事だと思うんだけどな。

でも、被害者の家族は出版をやめて回収して欲しいって言っているんだろ?そういうところは引っかかるじゃないか。
被害者の気持ちを考えろなんて言えないけどさ、なんか、そういうのを読む気になれないって。

自分で言って、とても恥ずかしい気持ちになった。
そして、友人から「偽善者」と言われないかと、怖くなった。
所詮、自分はその程度の人間なのだ。
被害者の気持ちを考えろと言われたら、なにもできなくなるくせに、偽善者と言われるのも嫌なのだ。
だからいつもがんじがらめになってしまう。
いい歳こいて、本当に情けない。
案の定、友人は、

ふぅん。でも、俺、被害者の人の事をそんなに考えて生活してねぇし。

そうなんだ。それは自分も同じなんだ。
こういうときに、どうしてそういう気持ちになってしまうのかわからないけど、そう言いきれない自分がすごく嫌になっている。

以前、自衛隊の護衛艦だかなんかが漁船にぶつかって、乗組員が死んでしまった事故の報道を見ていたとき、被害者の遺族やマスコミから叩かれている当時の防衛庁(だったよな?確か当時は。)の長官だった石破茂(だったよな?確か。)の映像を見て、

「よく言うよな。こいつら。自衛隊叩きたいだけじゃん。被害者にこれっぽっちも同情していねぇくせに。」

と言っていた友人を思い出した。
そうなんだよな。みんな突っ込みどころを探しているだけなんだよな。
結局、この本の出版でも誰かを叩きたいだけなのかもしれないな。

まぁ、あれだよ。
酒鬼薔薇聖斗に印税が入るのが面白くないっていうなら、俺の本貸すよ。
被害者に申し訳ないって思うんなら、別に読まなくてもいいんじゃん?
知る権利は誰にでもあるかもしれないけど、知りたくない権利っていうのだってあるのかもしれないからな。

思いもかけず、友人が優しかったので、ちょっと面食らった。
その本を借りるかどうかまでまだ決めてはいないけど、友人からその本を読んでどう感じたのかという事をその後聞いて、少し読んでみようかと思うようにもなった。
所詮、そんな風にフラフラと揺れてしまうのだ。自分は。

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