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続 あきらめたこと、あきらめきれないこと

 三月末に作品を出版社に送ったら、創作意欲は尽きるかと思っていたが、意外にもそうならなかった。今思い返すと、あの頃は強迫観念に追い立てられて書いていた。その状態は九月まで続いた。

 九月、あるきっかけから、複数人にWeb上批評を頼んだ。ありていに言うと、私はそこで心が折れたんだと思う。

 悪い評価に心が折れたのではない。私はこれまで人の間で生きてこなかったし、この先も生きていけないと思って絶望したのだ。

 悪い評価をしたうちの一人と作品について話した時、こんなにも話が合わないなんて、と思った。違う人間なのだから、合わないのは仕方ない。向こうの世界の見方にも一理ある。ただ、私はそれを受け入れられないし、受け入れられないことが、実は事前によく分かっていたのに(その人のことを信頼していた訳ではないのに)、批評を頼んだ自分に気付いてゾッとした。その人に限らず、私は人間全般をまるで信用していないのではないか、ということも思った。そんな私は、一体誰に向かって物語を書いているのか。私に小説を書くことを再発見させてくれた人との関係すら、私は自分で壊してしまった。その関係を大事だと思っていたはずだが、全然大事じゃなかった。少なくとも大事なものとして扱ってこられなかったじゃないか。

 皮肉なことに、私が絶望に打ちひしがれているのとほぼ同時期に、私の文章がnote内で評価され始めた。私設賞や準公式賞に次々と入賞した。上記の人にけちょんけちょんに言われた作品すら入賞した。新しい講座の先生(現役の小説家)とやり取りして、私の狙いと実力にお墨付きももらった。私の努力は間違っていなかったことが一応証明されたのである。
 それなのに、想像したほどは受賞は嬉しくなかった。このままもっと頑張れば望む方に行けるのだから、頑張りつづけようと何度も自分を叱咤したのだけれど、自分の中からいくら絞ってみても何も出ない。そもそも、誰のことも信用できなくなってしまった私に、他の人に伝えたい何かなんてなくなっていた。

 私はアプローチを変える必要があった。また「自分、自分、自分」になるけれど、自分と世界との収まりの悪さをなんとかしなければ、先に進めないと思った。

 私は創作を書く時、そこはかとない後ろめたさを感じていたのだが、それは、こんな自分が書いたってどうなるものか、というところから来ていた。でも、そこで止まってしまわずに、「こんな自分」がどんな自分なのか、もうちょっとちゃんと分かろうとすべきだと思った。
 自己卑下して、自らを慰撫するのは簡単だけれど、本当に駄目なところがあるならそれを認識し、弱点を克服する現実的な手を打つ必要があるし、良いところがあるのなら、自己卑下という怠惰に流されず、強みを使って、伸ばしていくべきだ。自分がどんな人間かまるで分からない人間が何か書いて、それが仮に世間で評価されたとしても、おそらく続かない。書いたものに誇りも持てないだろう。自分の全体像を分かることは無理だろうけれど、もう少し他者の認識する自分に近付けていこうと思った。そこまで来て、やっぱり文章しかないと思うなら、私がこれまで感じていた「文章は私にとって、現実生活からの逃げでしかないのでは」という後ろめたさからも解放されて、もう少し納得のできるものが書けるだろう。
 小説家なんて人種はどこか壊れているのが本当だ、という考えも世の中にはある。小説家になるには壊れた自分に戻る必要があったとしても、一度自分の根幹を見つめ直して、頑丈なものにしてから、また壊すべきだというようなことを思ったのである。

 

 もう、全部諦めよう。諦めた先に何かあるかもしれない。


 普段その手の暗示は効きにくい体質なのだけれど、今回はとても良く効いた。徹底的に諦めてみると、私が諦められないことは多岐にわたっていることにも気付いた。色々なことを諦められないから、なぜ自分にはできないのかと自らを責め、苦しいんだということに気付いた。そもそも、私はかなり多くのことが、人並み以上に出来るから、あまり諦めずに来られたんだろう。だから自分が世間平均から見て、諦めの悪い人間だということを自覚できていなかったのだ(このことは、有志リーダーになったときに痛感した。世の人の多くは、少し頑張れば簡単にできることさえ、最初から自分にはできないと諦めてやろうとしないらしいのだ)。


 そんな考えで生活してみて、一番変わったのは対人関係だった。
 私は、一生誰のことも好きになれないという深い絶望と諦めの中にいた。それは同性の友人でもそうだし、(法律上許される立場になったとして)異性に対してもそうだと思った(し、今もそう思う)。
 しかし、そうやって徹底して諦めている今の方が、交友関係は広がっている。集団のリーダーをやっていさえする(人の上に立ったり目立ったりするタイプじゃないという自己認識だったのに)。変に愛着を持ったり特定の人に特別な情をかけたりするからおかしくなるのであって、必要なことや相手が望んでいると思われることを、対人スキルを学び直しながら粛々と実施すれば人との交流はできるし、むしろやるべきことが分かるようになれば、私は優秀な方らしかった。こういう言い草は人間味のない、味気ないものに映ると思うけれど、私はシステマティックにしか世界を認識できない人種かもしれないと諦めたのだ。私自身は多少味気なさがあるかもしれないが、相手が不快感を感じなくて、交友関係が広がるならそれで十分じゃないか。ネットと違って、現実の交流はある程度取り返しが効くことにも気付いた。

 仕事の面でもそうだった。自分自身を出すことをある程度諦めた方が仕事の効率があがったし、仕事の型を早く習得できた。そして型が分かれば、型を上回る何かを発揮しやすくなった。文章にしてみると当たり前じゃないか! と思うけれど、私がこのことを体感するには、「諦め」というプロセスが必要だったみたいなのだ。
 仕事は文章に関わるもので、自分の文章がはっきり上達しているのを感じることができた。創作の文章に直接効くわけではないものの、自分の言いたいことと、文字というツールの接続が良くなったという実感は、おそらく創作を書くだけでは得られなかったことだろう。これこそが、私がこの仕事を選んだ主目的だったのだ。


 そんな風に、創作からは心理的に距離を置き、ここは自分が思ったよりできる、あそこはやはり未熟だ、ということを一個一個確認していったのが今年だった。諦めと、諦めきれないこと(伸ばしてもいいこと)の判別をしていたともいう。世間の同年代の人と比べたら赤ちゃんレベルなのかもしれないが、ある程度自分を知ることができたし、能力的には自信を持っていいことも分かった。だから、やっと本来のスタートラインに立てているんじゃないか、という気持ちでいる。


 ふーっ。なんとか前向きに終わらせることができた。
 自分のことをくどくどと書いて、人に見せる場に出すことの是非はあるけれど、これでも後から恥ずかしくならないように、大分かいつまんで書いたつもりだし、ちゃんとスタートラインに立つぞ!(立てるかも?)という表明をしてもいい時期かなと思ったので、noteにアップする。ここまで読んでくれた皆さん、ありがとうございました。

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