伯父の死

 父の一番上の兄が日曜日の夕方に亡くなったと連絡があった。

 伯父は父の実家を継いだ人だ。父や伯父たちの親、つまり私の祖父母は私が生まれるずっと前、少なくとも父が結婚する前には亡くなっていたので、伯父はかなり若くして実家を継いだらしい。継ぐといっても特に財産などないのだが、お正月やお盆に挨拶まわりをする時、「お父さんの実家に行く」は「伯父さんの家に行く」ことを指していた。

 伯父は優秀な人であったようで、勤めていた某公的団体で、一般採用で辿り着ける一番高い地位にまで登りつめた。父と伯父とは大分年が離れていて、伯父が現役だった時のすごさを私はあまり知らない。ある大きなイベントのマスコットキャラクターのピンバッジを特別にくれたいいおじさん、くらいの認識しかなかった。

 伯父の三人の子供(つまり私のいとこ)も優秀だった。前途洋々、順風満帆といった感じだった。途中までは。

 一番下の従兄が、京大在学中に事故で不慮の死を遂げてから、その家はどこかおかしくなった。一番下の従兄は伯父がとりわけ目をかけていた子供であった。
 従兄の葬式にはおそらく同じ大学の彼女が出席していて、式の間中ずっと泣いていた。今思えば、出席したのはほぼ親族だけという完全アウェイな葬式に、はるばる参じていた彼女はすごいと思う。恋人をこんな風に泣かせちゃ駄目だな、と子供ながらに(当時確か中学生だった)思った。この従兄の影響で、我が家ではバイクの免許を取るのは禁止された。

 先日、母子をプリウスの危険運転で死に至らしめた高齢ドライバーの受刑者が獄中で亡くなったというニュースを観た。事故さえ起こさなければ、その死は彼のいた業界内でごく自然と悔やまれただろうにというツイートがTwitterに流れて来た。同じ死でも、これまでの業績が称えられて悼まれる谷川俊太郎さんのような死もある。

 私の結婚式の時にしみじみとしたペンギンの話をしてくれた、理性的な印象だった伯父は、あまり飲兵衛というイメージが無かったのに、晩年はアルコール依存症になり、伯母だけでは面倒が見切れずに専用のグループホームに入れられ、その後、身体的な病を得て亡くなった。私が式を挙げた会場はオーセンティックな名前が付いていたのに廃業して建物すらなくなり、ペンギンの話はとてもいい話だったのに、私はペンギンの話だった以外の情報を忘れてしまっている。

 伯父の人生とはなんだったんだろうか。従兄が亡くならなければ伯父の死のありようも変わっただろうか。しかし、そうでなくても晩年にどのように人生が狂い、あるいは狂わないかは分からないと思う。谷川さんも公には詩のイメージを崩すようなことはなくても、家族に見せる晩年の姿は違ったかもしれないのだし。

 身内が死の淵にあると知っていても、私は東京に行ったし、自分が使えそうなありとあらゆる物や機会、人を使って作家になろうともがいている。生とはそういうものなのだろうとも思う。

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紅茶と蜂蜜
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