SNSの『映え写真』と80年代ポップアートの収斂進化
私見ですが、インスタグラムを中心とした写真系SNSで流行っている写真には、彩度やコントラストが高いビビットな作風が多いです。
例を列挙すると、
・マジックアワーと呼ばれる、夕焼け空のグラデーション
・チューリップ畑と菜の花畑と桜並木と雪山が横4列に並んだ写真
・気嵐(けあらし)に包まれた朝焼けの海と岩と山脈
・アジサイを手水にみっしり浮かべたやつ
・傘や風船や気球やランタンやキャンドルの群れ
・イルミネーションやプロジェクションマッピング
・めっちゃ青い空とめっちゃ青い海とめっちゃ白い砂浜
こんな感じです。(固有名詞を出さないように注意しています)
そんなビビットな写真作品を誰しも一度は目にした覚えがある、というか何なら毎日TLに流れてくるのではないでしょうか。
この、不自然なまでに極彩色な自然や、非日常を感じさせるほどのコントラストに縁どりされた風景を見ると、私の世代はヒロ・ヤマガタやラッセンに代表される80年代のポップアートを彷彿とさせられてしまうのです。
この近似は偶然でしょうか?
それとも、背景となる社会とその中での立ち位置が似ている、いわば似た環境の中での生態的地位が近しいがために起こった「収斂進化」なのでしょうか?
(※収斂進化とは、異なる系統の生物が、同じような環境や生態的地位に置かれたことで、独立に似たような形態や機能を獲得する進化現象のことです。例としては、全く異なる分類群の生物であるサメとイルカとイクチオサウルスの形状がとてもよく似ている、などがあります。)
ここで私は、「最近流行りのSNS映え写真は80年代ポップアートに似ている」という仮定を、批判や侮蔑のために使っている訳ではないことを明記しておきます。
世代を超えて同じような映像作品が流行る現象が、共通の社会環境を原因とするものであるならば、このムーブメントの後にはどんな映像作品が主流になるのかを予想できるのではないか、という事を関心の主題として、以下に論を進めます。
1.作品の「鑑賞のされ方」の共通性
80年代ポップアートとSNS映え写真の共通点の根源は、「視覚メディアの発達」と「作品体験の個人化」によるところが大きいように思います。
1980年代、多くの人が広告によるヒロ・ヤマガタやクリスチャン・ラッセンのビビットな絵画を主にテレビで(消費的に)繰り返し見るうちに、その理想郷のような明るく美しい世界観に憧れはじめ、「個人的に所有」したくなり、ポスターやポストカードやジグソーパズルを購入したのです。
自分のために自分の部屋に飾って鑑賞する、という行動です。これは鑑賞行為であると同時に、自己実現のための所有行為でもあったのです。
(庶民による美術作品の所有ブーム、という観点では、江戸時代の浮世絵の木版画も同様の行為ですし、構図の大胆さや色彩のインパクトについても共通点が見出せそうですが、それはまた別の話にします)
一方、SNS映え写真は、インターネットとデジカメ・スマホの普及によって、誰でも簡単に写真作品を制作・発信できる時代に生まれたものです。SNS映え写真は自己実現しつつも個人として他者に対して自己表現するツールだと言えるでしょう。
部屋に飾られた80年代ポップアートは、自己の理想を投影し自己実現するためのツールであったのに対し、SNS映え写真は「理想の自分らしさ」を自己表現するために活用された、と区分できます。
2.作品の「作成条件」の共通性
80年代ポップアートは、美しい非日常や明るく楽しい非現実、美しい超自然などの「理想」への「憧れ」を内包しています。ラッセンは美しい海洋生物や宇宙の楽園を、ヒロ・ヤマガタは明るく健康的に彩られた都市や社会を描くことで理想を求める大衆の支持を集め、結果商業的に大成功して多くの観覧者がその作品を鑑賞し、作品を保有しました。
一方でSNS映え写真は、それ自体が自己表現・自己実現の場であり、理想的な生活や自然を写真として切り取り、所有し、発表することができる場です。
「理想的な環境に身を置きたい」「憧れの状況を写したい」という感情は、そもそもSNS界隈だけでなく、もともと社会に蔓延していた欲求なので、容易に広まりますし、「映える」撮影スポットもすぐに共有されます。キラキラした、美しい、整った、明るい、楽しい、といった感情がすぐに強く想起される写真が好んで撮られることになるでしょう。
そのため、SNS映え写真撮影の特異点である「ここでこの時期に写せばこういうふうに撮れますよ、というテンプレートがある」ことや、「そもそも、撮影のためのイベントや場所である」という、もう作為的・非現実的であることを自ら宣言しているような不思議な前提が必然として登場します。
結果何が起こるかというと、「理想的な状況の画一化」と、その連鎖です。SNS映え写真の世界では、大勢が同じような風景や状況に憧れ、理想の写真と感じるのです。
これは80年代ポップアートでは作者個人には起こりましたが、作者間では起こらなかった新たな要素です。
そしてさらに、大勢の人が、多くの写真を毎日のように目にする中では、瞬間的な視覚的インパクトが大きな役割を果たします。SNS映え写真に「映え」に関しての生存競争と自然選択が起こるのです。
インパクトの弱い作品、ぱっと見で興味をひかない写真は淘汰され、生き残った写真はさらに鮮烈で刺激的に進化を続けるのです。
最終的にSNS映え写真は、余韻や奥行きやメッセージ性を味わうものではなく、視覚的インパクトの瞬発力を競い合い、その作画傾向がどんどん先鋭化するものになっていった訳です。画像加工ソフトや現像ツールも日進月歩ですので、爆速です。
もうその写真がロラン=バルトの言う「かつて そこに あった」リアルな生活の痕跡かどうかは問題ではありません。
3.作品の「作風」の収斂と今後
以上により、SNSの映え写真は以下のような特徴を持つ、強烈な視覚的刺激と瞬発的なインパクトを持つビビットな写真群へと進化しました。
・理想的に美しい光景
・非現実的、幻想的な現実風景
・非日常的な日常風景
・不自然に人工的な自然風景
・デジタライズされたアナログ風景
・誇張され過ぎた主題、または誇張され過ぎた背景
・多すぎる季語(季重なり)
・少ない余韻、メッセージ性の欠落
・大胆な構図、風景のトリミング
これは社会背景・表現内容とも、80年代のポップアートと共通したものだと考えられます。合目的性を除いて考えれば、収斂進化といえるものでしょう。
違いといえば、SNS映え写真の進化速度が半端ないだけです。
80年代のポップアートは、その商法も相まって一部では「商業アート」「バブルアート」等と揶揄されることもありましたが、「庶民がアートを所有する」理想と憧れの先駆として存在し、徐々に姿を変えながらすそ野を広げながら融けて混ざり、その歴史的役割を終えました。
SNS映え写真も、現在主流の「瞬間的なインパクトと目を引く鮮やかさ」が飽和状態にまで達し、それでは逆に目を引かなくなった先で、様々な作風、多様な表現方法に適応放散していくのではないでしょうか。
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