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大日本報徳社『報徳』への寄稿 第5回

大日本報徳社の『報徳』2024年9月号(九月一日発行)に5回目の投稿を掲載していただきました。
今回は、コロナ借換融資が終了する前の本年5月に執筆したものです。静岡市本店の静清信用金庫の創設者が冀北学舎の出身であったことにも触れました。

地域金融機関の事業者支援と報徳
第五回 中小・零細事業者に対する経営改善および再生支援強化への動き

『報徳』令和五年十二月号の戸塚久美子本社理事の報告の中で、松本君平が茶業振興の偉人として紹介されていた記事を拝見し。日本銀行静岡支店に勤務していた時期(平成十八年から二年間)に、筆者が掛川西高校の卒業生と知った静清信用金庫の理事長から「当金庫の創設者(松本君平)は冀北学舎の出身」と教えていただいたことを思い起こしました(注)。
その後、実家に帰省した際の初詣に応声教院(菊川市中内田、松本君平の出身地)を訪問した際、本堂に飾られた静清信用金庫理事長名の奉納書を目にしたことも記憶に残ります。
さて、今回は新型コロナウイルス感染拡大時から講じられてきた中小・零細事業者向けの金融支援策の期限終了が迫る中、地域金融機関が事業者の売上・収益回復を目指す経営改善および再生支援の役割をこれまで以上に強く求められるようになった状況変化と、地域金融機関と連携して事業者支援に取り組む支援機関の整備・強化の動きについて解説することとします。
 

中小・零細事業者向け金融支援策の期限と地域金融機関が迫られる経営改善支援の強化

令和二年に新型コロナウイルス感染症が拡大して以降、中小・零細事業者の資金繰り支援策として日本政策金融公庫のコロナ特別貸付、民間金融機関のゼロゼロ融資などが創設され、その後は借換により元本返済据置期間を実質的に延長する措置が取られたのは第一回で解説したとおりです。これらの金融支援策は緊急対応としての一時的な特例措置であり、何度か期限延長が行われたものの、現時点では特例措置の期限は令和六年六月末となっています。
金融庁は、令和六年四月に「中小・地域金融機関向けの総合的な監督指針」を一部改正し、地域金融機関に借入金の据置期間満了に伴う元金返済が困難な事業者に対して特例措置期限までに据置期間を延長する形での借換を勧めるなどの早目の対応を要請する一方、経営改善・事業再生支援の一層の推進、経営改善・再生支援人材の拡充などを求めました。
 

再生支援の総合的対策

令和六年三月には、経済産業省・金融庁・財務省の連名による「再生支援の総合的対策」が公表されました。
この中で、金融機関対しては上述の監督指針の改正の内容が盛り込まれているほか、信用保証協会に対して事業者支援の強化、中小企業活性化協議会および事業承継・引継ぎセンターとの連携を通じた支援推進、などが求められました。また、中小企業活性化協議会には、支援レベルの底上げ、地方再生人材の育成が求められています。
さらに、「公租公課の分割納付の相談など、他省庁との連携が必要と判断されるものは、関係省庁等との間で情報共有する仕組みを構築する」ことも盛り込まれ、これまで再生支援の課題とされてきた社会保険料や税の滞納分についての取り扱いが弾力化されることへの期待も高まっています。
 

中小企業に対する視線の変化

日本経済新聞の「私の履歴書」には、日本商工会議所会頭を務められた日本製鉄名誉会長の三村明夫氏が本年四月に寄稿していました。その中で三村氏は「生産性の低い中小企業は淘汰されるべき」という極論を否定し、「(中小企業は)大企業に負けない勢いで改善やイノベーションに取り組んでいるが、その果実が手許に残らず、取引先(大企業)に吸い上げられている」「私たちの課題は大企業と中小企業の関係のゆがみを直視し、公正な取引環境を実現することだ」と主張されました。この記事は、中小企業支援に取り組む専門家の間で注目を集めたところです。最近の中小企業支援施策にも、三村氏の主張のような考え方が反映されていることが感じられます。
 

中小・零細事業者へのアドバイス

先に述べたように、政府や行政による環境整備が進められ、地域金融機関や信用保証協会、中小企業活性化協議会などの支援機関には事業者の経営改善・事業再生にこれまで以上に積極的に取り組むことが求められています。
ただし、地域金融機関や支援機関の現場では、支援人材やノウハウが十分に備えられていないケースがあるのも事実です。
事業者の皆様におかれては、自らの事業が抱える課題を早期に洗い出し、金融機関や支援機関に遅滞なく課題解決を相談することが必要でしょう。相談先の対応に満足できなければ、複数の機関に相談し、適切な対応が期待できる相手を選別することもご検討ください。
 
(注)大日本報徳社の二代目社長である岡田良一郎が教育機関として私塾「冀北学舎」を設立しましたが、明治十三年十月に掛川中学校が設立されて岡田良一郎が校長に任命されたため、明治十七年七月に閉塾となりました。この経緯を踏まえ。冀北学舎は静岡県立掛川西高校(旧制・掛川中学校)の源流と位置付けられています(出典:静岡冀北会ホームページ「冀北会の由来」)。
https://www.glode.co.jp/kihoku/

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